「伝説の勇者の末裔は剣なんて振るわない─実は、振るえない。の間違いです」第1話【#創作大賞2024】【#漫画原作部門】
あらすじ
勇者が、かつて世界を恐怖の底に陥れた魔王を討伐してから千年。勇者の末裔、ユーリ・ハウゼンは安寧の世で順風満帆な学生生活をおくっていた。
ある日、姉エキドナが生き延びていた二代目魔王にさらわれてしまう。親の命令により救出に向かったが、逃げることしか能がないユーリは救出に失敗。名門ハウゼン家を追い出されてしまった。
勇者の末裔ユーリと、ゆとり社会で育った魔導士、魔剣士、回復術士の子孫たちは無謀ながらも魔王討伐に立ち上がる。
無能なユーリだったが、仲間と一致団結し、精神的にも能力的にも成長していく。ついに魔王を倒し、エキドナを救出する。自身の名誉も回復させ、時代の英雄となる。
補足説明
【アピールポイント】
主人公は、“勇者”から想像される人物とはかけ離れた情けないキャラクターであること。強い魔王と、ゆとり社会で育った弱い勇者という、立場の逆転が設定のキモになっています。
この作品は完璧じゃない、弱さを持った主人公が自分なりに頑張って、仲間と共に困難を乗り越えていく様子を魅せる物語です。
読者に応援してもらえるような明るく、楽しいファンタジー×コメディを目指しています。
【設定について】
西洋ファンタジーの舞台設定で、近代ヨーロッパをイメージしています。一方、魔王討伐の千年前の雰囲気は中世前期のヨーロッパです。
世界は魔力が動力となり、エネルギー産業や通信技術などが発達しています。電力を魔力で作り出しているイメージです。
魔王討伐以降、平和になった世の中では魔術がすたれ、精通する者も限られています。
世界の動力となる魔力は、主に生き残った二代目魔王から供給されています。二代目魔王の命を見逃すことと引き換えに、人間に魔力供給する約束を交わして、初代魔王は勇者に倒されてしまいます。
魔王は人間とは違い、体が丈夫で寿命も長く、魔力も無尽蔵に生み出すことができます。そのため、人間は平和な世の中で鍛練を怠り、肉体的にも弱くなり、魔力を失っていきます。弱くなる人間と強くあり続ける魔王の対比関係が生まれ、千年の月日で立場が逆転してしまいます。これが設定の背景です。
第1話
【プロローグ:追放された勇者】
「ユーリ、お前とは親子の縁を切る」
父にそう告げられ、俺は勇者家系であるハウゼン家を追い出された。
ユーリ・ハウゼン。齢15。
人生で初めての、敗北。
俺は約束された薔薇色人生から転落した──。
*
季節は春。この世界の幸福をすべて集めたような穏やかな風が、俺の頬を撫でていく。
ここは名家の子息・令嬢の学舎、イグニス帝国学園。
俺は校舎に囲まれた中庭で、ある人物を待っていた。剣を相まみえる──つまり決闘するためだ。
「あら、約束の時間だというのに、いらっしゃいませんわね」
「きっと怖じ気づいて逃げ出したのですわ」
「これでまたユーリ様の勝ちね」
声を潜めてくすくすと笑い合う女学友らの声に包まれ、俺はサーベルを鞘に納めた。ふっと鼻を鳴らし、左右にキッチリと分けた茶色の前髪をかき上げる。
「売られた喧嘩は買うのが礼儀。だが、取り合う相手ではなかったようだな。また俺と勝負したいなら、この勇者ユーリ・ハウゼンが受けて立とう!」
蕾がいっせいに開くように、ぶあっと黄色い声が上がる。
そう、俺はユーリ・ハウゼン。約千年前、魔王を討伐し、この世界に安寧をもたらした初代勇者の末裔だ。
俺は生まれながらの勇者──。
「みんな! 俺のために時間をつくってもらってすまない。午後の授業があるから、今日はもう解散としよう」
群衆にそう告げて体を翻すと、女学友らから再び黄色い声が溢れ出した。
俺はそれを合図に彼女たちが作る花道を、颯爽と歩き出す。
これこそ青春。この世界の春を詰め込んだまばゆくも輝かしいひととき。
女学友らが居並ぶ隙間から、中庭を囲む木に目を配る。
俺のことを羨ましく見ているであろう男たちの顔でも見て、優越感に浸っておくか──。
瞳を輝かせている者、唇を噛みしめている者、目を細めて訝しんでいる者、口をぽかんと開けている者……。
俺に抱く感情は様々あるようだ。
まぁ、それでいい。
何せ俺は勇者の末裔なのだから、俺の体に流れる血筋はさぞかし羨ましかろう。羨ましすぎて、俺を歪んだ気持ちで見てしまう感情はわからなくも、ない。
俺をギロリと睨み付ける、黒髪の剛毅な男がいた。ふたつ上級生のヨルド・ヴァーレルト。こいつも俺と同じく伝説の勇者御一行の子孫。
いつもいつも俺の行く先々に姿を現しては好戦的な視線を送ってくる。そのくせ、勝負を挑まずに遠巻きで見ているだけとは……どんな趣味なんだ?
同じく勇者御一行の子孫と言えば、聖女の血を引くセシェン・ファーシアの姿もあった。目配せするとスカートを翻しさっと木陰に隠れてしまう。しかし、隠れたつもりが体の半分はみ出していて、腰まで届く紫色の長髪がたなびいていた。セシシェンの大きな体を隠すにはその幹は細すぎる。
ジトッとまとわりつく陰気な視線の先を見返すと、くすんだ金髪頭と目が合った。同じく勇者御一行の子孫、レスター・ロルクラインだ。彼は一瞬俺から視線を外すが、眼鏡を直しながら再びこちらに目を配り、何か言いたげに凝視してきた。
ああ、わかっているさ。レスター。今回の働き、ご苦労だった。ちゃんと褒美はくれてやる。
「ユーリさん。はい、これ」
俺のマントを抱えて、学友のソニア・エンデルが駆け寄ってきた。空に溶けてしまいそうな青みがかったボブヘアがさらさらと揺れる。彼女はいつも寄り添ってくれるガールフレンド。まぁ、そんなところだ。
「ありがとう」
気取った低い声でお礼を返すと、マントを羽織り学舎に向かう。
この風にたなびくマントは学園の中でも由緒正しき血統と優良生徒だけが身にまとうことを許された、伝説の防具だ。
俺は勇者だが、剣なんて振るわない。
何故ならば振る必要がないからだ。血統こそが俺のすべて。
勇者の末裔という、俺の体に刻み込まれた勲章の前では、みな剣を抜くこと無く頭を垂れる。
俺は心底陶酔していた。
そんな日常がこれからも続いていくと……、疑わなかった。
それなのに──。
「ユーリ、お前とは親子の縁を切る。もうお前は勇者家系の人間ではない。使命を果たすまでこの家門に足を踏み入れることを禁ずる」
実の父親に淡々と告げられ、あっさり実家から摘まみ出された。
煤をかぶり、裾が擦りきたボロボロの衣服のまま、夜空に浮かぶ月を見上げ途方にくれる。
ヤツにこてんぱんに叩きのめされ、やっと実家にたどり着いたと思ったらこの仕打ち。心身共に限界だった。
心の叫びが、夜の街にこだまする。
「あんなヤツ、どうやって倒せばいいんだよぉ!!」
【伝説の勇者の実態】
魔力によって煌々と灯された街灯が眩しい。疲れた足を引きずりながら、石畳の歩道をとぼとぼ歩く。帝国の目抜き通りは夜になっても華やかで、より俺の心を虚しくさせた。
奥歯をギリギリ噛みしめる。夜の寒さなのか惨めさのせいかはわからない。
そもそも、なんでこんなことになった……?
全部全部アイツのせいだ……。
忌々しい記憶が甦る。
「ええ……、ですから……。そこをなんとか、魔王殿」
両手を擦り合わせながら、フリードリヒ・シュライク・ハウゼンは、気怠げに腰掛ける大男に向かって頭を下げた。
頭を下げているのは俺の父、つまり現在勇者の称号を有するハウゼン家当主。“シュライク”は初代勇者の名前に由来する。
「応じぬ」
魔王と呼ばれた大男は、人間とよく似た容姿をしている。
父の申し入れをあっさり断ると、グラスに注がれた朱色の酒を転がした。父の頭部を見下ろし、鋭い目をして無言の圧力を送るのだった。
「……ですから、そこをなんとか、お願い致します」
同じ言葉を繰り返し、さらに父は頭を下げた。腰の角度は90度の最敬礼。これ以上頭を下げ続けるなら、跪くか、両膝をついて床に額をつけるしか打ち手がない。
『なんとも情けない』
吐き出したくなる言葉とため息を無理やり腹に押し込んで、目の前で繰り広げられる応酬を、俺は死んだ目をして見守っていた。
「ユーリ、お前も」
不意に父に背中を叩かれる。
“お前も一緒に頭を下げろ”
そう言うことだ。
うんざり。と、一瞬、目を宙に泳がせたが、魔王の逆鱗に触れる前に無言でさっさと頭を下げる。
「お前は?」
重苦しい空気がふっと軽くなる。父の付き添いで空気と化していた俺に、初めて魔王の興味が注がれた。
「わたくしの倅、ユーリです。わたくしが退いた際には、魔王殿の世話係後任を務めさせていただきます。以後、お見知り置きを……」
「顔をよく見せろ」
「はい。ほら、ユーリ」
父に促され、俺はゆっくりと顔を上げた。俺を見下ろす赤い双球とかち合うと、背筋にぞくりと震えが走った。恐ろしい獣に睨みつけられ、足が縫い付けられたように動くことができない。
次に豪快な笑い声が飛んできて、本能的に二、三歩あとずさった。
「はははは、お前も親父に劣らぬ間抜け面だな。代々勇者の子孫が腑抜けていくのがよくわかる」
む。と思わず口元が引き吊りそうになるが、ヘラヘラとだらしない作り笑いを浮かべる。
「笑える顔だ」
魔王は満足そうにニタリと笑った。愉快そうに酒を飲み干すと、乱暴に空のグラスを卓上に置いた。
「いいだろう。わざわざ勇者一家が初めて顔を揃えてやってきたのだ。将来有望な子息に免じて、もう少し話を聞いてやっても良い」
「本当ですか!?」
機嫌を取り戻した魔王を前に、この機を逃すまいと父は瞳を輝かせた。
千年前、諸悪の根源、全世界の敵だった因縁の魔王に対して、である。
初代勇者が討伐した初代魔王の忘れ形見、二代目魔王。
こいつが生き残ってしまったことは初代勇者の恩情という名の罪深い過失であり、末代まで続く勇者家系の汚点だ。
「千年前祭にご列席頂けるんですか!?」
魔王の気が変わらないうちに約束を取り付けるべく、父は必死になる。
「その判断は貴様らの企みを聞いてからだ」
口調は落ち着いているが、凄みのある声に父の血の気が徐々に引いていく。
「企みなんてそんな……。魔王殿と我ら人間が友好条約を結んでから千年。帝国をあげた祝祭の場に魔王殿も是非お呼びしたいと皇帝陛下が仰せなのです。どうか、何卒っ……!」
父は何度も頭を下げ、言葉を重ねたが、赤い瞳がギロリとこちらを見据え、俺も父もその場に凍りつく。
「わざわざ余を呼び立てる理由はなんだ? 何故余が人間たちの前に出向かねばならぬ? 何か企みがあるのであろう?」
理由を聞き出そうと、魔王の顔が俺の鼻先まで迫った。背後にいる父がしきりに頭を左右に振っている。
余計な事を喋るんじゃない。そう言いたいようだ。
しばし魔王の瞳と見つめ合う。……が、ものの数秒で俺は根をあげた。
「……伝説の魔王様と伝説の勇者の手合わせの再現を……」
勝手に言葉が滑り出てしまう。
罵声を飛ばさんとする勢いで、父がこちらに顔を向けた。
殺すような目つきで魔王に睨まれ、黙ったままではいられなかった。
どのみち父だって吐かされていただろうに。
「ほう」
魔王は目をニタリと笑みを浮かべ、顎をさすった。
「お前らと手合わせ、だと? 馬鹿馬鹿しい」
ああ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
千年祭の催し物として、勇者の魔王討伐を再現する決闘が発案された。父が全力で案を潰そうとしたが、叶わなかった。皇子殿下の戯言が皇帝陛下の勅命に成り代わってしまったのだ。
「フリでいいので……」
つかさず父が低姿勢で口を挟む。
魔王は聞き入れてくれないだろう。しかし、皇帝陛下も立てなくてはいけない。無理難題とわかりつつも、魔王に話をした形は示さなくてはいけなかった。
「なるほど……。余に負けたフリをしろと……?」
心を抉ってくる鋭い目に、背筋が凍りつく。
ゆっくりと言葉を紡ぐ魔王は、心の底に沸々と怒りをたたえているようだ。
次に瞳を半月型に歪ませ、妖しく微笑んだ。それでも目の奥はちっとも笑っていない。
「フリードリヒ、今ここで裸になって踊れ。それができるなら考えてやってもいい」
「は?」
唐突過ぎる提案に、俺と父は口をあんぐりとさせ顔を見合わせた。
「わ、わたくしの踊りなぞ見ても楽しいものではございません。踊りならば、今日も一流の踊り子を連れておりますので、彼女らに舞って頂きましょう。……ええ、そうしましょう」
魔王を退屈させないために歌手や踊り子、道化師、娼婦を連れてきた。いつでも呼び出せるように別室に控えさせている。
だが魔王は一切興味を示さず、眉を吊り上げただけだった。
「勝手に話を進めるな。余はお前に頼んでいるのだ。フリードリヒ。……やるのか? やらぬのか?」
話が通じないことに愕然とした父は、擦り合わせていた両手を力無く床につけた。死んだ目に、青ざめた顔をして。
ほぼ身内しか居ない状況でも、人前で裸になることは恥辱以外の何ものでもない。
応答不能になった父に、魔王は呆れながら苦言を吐いた。
「貴様らが余にやらそうとしていたことも同じことだ。わかったか。フリードリヒ」
「は、はい……」
気まずく返事をする父。魔王が千年祭で晒し者になることは、人前で裸になることと同じ。そう言いたいらしい。
魔王をそそのかす手は無くなった。父はがっくりと背中を丸めて肩を落とす。
「なんともつまらんな。本気の裸踊りを見せて貰えるなら考えてやったものを。今月の魔力供給もこの程度にさせて貰おう」
鼻先であしらう魔王の言葉が耳にはいるやいなや、父は魔王の足元にすがりついた。
「魔王殿! それとこれとは話が別でしょう」
「いいや。余は腹がたった。気が失せたのだ」
「それだけはなんとか……! 今月の魔力が足りないのです。帝国の動力が持ちません。千年祭のことはなんとか皇帝陛下に不参加と掛け合ってみますので……魔力供給だけは……」
「うるさい!」
「うぐっ」
魔王は脚を組み合えるついでに、すがる父を蹴り飛ばした。
「父上!」
床に放られた父を抱き起す。顔色は青ざめたまま。魔力不足の対策をどのように講じるか、解のない問題に頭を抱えているようだった。
今や、人々の生活は魔王からの魔力供給に支えられている。
例えば台所の火起こしや街灯のあかり、移動のための自動馬車、魔法具を使った通信や情報伝達などなど……。
魔の者と人間の戦いが終結を迎えてから、徐々に魔術を駆使する者は減少し、ついには自分たちの魔力だけでは生活が回らなくなってしまった。
「魔王殿。契約により、魔力提供はあなたの義務なのですよ」
負けじと俺は前のめりで訴える。これが最後の切り札だ。
初代魔王と初代勇者。当時二人が交わした約束。二代目魔王を見逃す代わりに、後世に渡って人間に魔力を供給し続けること──その責務を果たして貰わねば。
魔王は追い詰められた様子もなく、余裕たっぷりに口元を吊り上げる。
「ああ、わかっているさ。だが、毎月の供給量については取り決めがない」
俺はギリッと奥歯を噛んだ。
仰る通り。反論の余地はない。
それは父も同じだった。
これまでの勇者、少なくとも曾祖父の代まで、ハウゼン家当主は名実ともに有力者だったから、二代目魔王を説き伏せることができた。
しかし、平和のぬるま湯にどっぷり浸かった俺たちでは、魔王とまともに張り合えない。やつもそれをわかっている。
千年の平和がもたらした立場の逆転現象。
魔王はゆっくりと椅子から立ち上がり、俺たちの前に立ち塞がった。
「……と言うわけだ。反論がないのなら帰ってもらおう」
「お待ちください!」
背後から、女の声。
俺の姉、エキドナだった。
『政と交渉は男の仕事。私たちはただのお飾りよ』
母の言いつけを守り、人形と化していた姉だったが、ここで初めて言葉を発した。
止めようとする母を振り切り、立ち上がる。部屋の脇に佇む騎士の石像に飾られていた鞘からサーベルを引き抜くと、その切っ先を魔王に向けた。
「エキドナ!」
悲鳴にも似た震え声が、父と母から同時に発せられる。
動揺も怯みもなく、姉はまっすぐ魔王を見据えて言った。
「魔王殿、決闘をしましょう。私が勝ったら、今月も先月と同等以上の魔力供給を約束してください」
「昔の勇者たちは余を剣と力で説き伏せたものだ。……面白い。いいだろう。勇者の娘よ」
不敵な笑みを浮かべる魔王。
「なんてこと……」
声を引きつらせる母に、青ざめる父。それをただ茫然と見つめることしかできない弟の俺。
呆気に取られている間に魔王もサーベルを構え、姉と睨み合う。
「やーーっ!!」
姉の気合いと共に、剣が交わる金属音が響く。
おそらく、数百年ぶりになる勇者と魔王の遊戯だった。
これが実家追放の発端の発端。
思い返すだけで、後悔が再燃する。なぜ魔王と姉を出会わせてしまったのか……。
重い足を引きずり、やっとの思いで、とある屋敷にたどり着く。
帝国学園中等科、勇者の取り巻き女学友のひとり、エリーゼ・コンテの屋敷。
一番に訪ねた理由は実家から最も近い、ただそれだけ。
大仰な門の前で呼び鈴を鳴らすと、清潔感のある年配男性が出てきて、こちらの用件を伝える前に頭を下げてきた。
「申し訳ございませんが……」
「頼む。エリーゼ嬢に会わせてくれ」
「このような夜分に困ります。お嬢様はすでに就寝しています。ハウゼン家のご子息様と言えど、お通しするわけには参りません」
「そこをなんとか」
腰を90度に折り曲げ、使用人であろう男に向かって必死に頭を下げた。
もう、なりふりなんて構えない。
「頼む。今の俺には彼女の助けが必要なんだ。せめて一晩、夜風を凌いで過ごせる部屋をお借りしたい。……それだけなんだ」
使用人は口をもたつかせ、次の発言をためらっている。本音では追い返したいが、雑に扱うわけにもいかず対応に困っているようだ。
彼が心底お人好しであることはわかる。同情を買おうと瞳を潤ませてみる──が、俺の淡い期待はすぐに打ち砕かれた。
呼び鈴の隣に備えられた魔灯がまばゆく光り出し、宙に立体像を形成した。巻き髪のエリーゼ嬢の姿が浮かぶ。
「エリ──」
「ユーリ様。何者でもないあなた様と、これ以上友人関係を続けることには参りませんの。申し訳ございませんが、お引き取りください」
俺の言葉を遮ったエリーゼの立体像は言いたいことだけ告げて消えてしまう。彼女の顔は恐ろしく無機質だった。
返す言葉がない。
申し訳なさそうに佇む使用人に背を向け、無言で屋敷を去る。
ハウゼン家を追い出されたこと、勇者の称号を継ぐことができないかもしれないこと。俺の失態はすでに筒抜けだった。
『こんなに珍しい宝石を……私に?』
『君、今月誕生日だったろ?』
『まぁ、ユーリ様、覚えてくださったのですね』
『ああ、もちろんだ』
そんな会話が懐かしい。
味方を増やすため、金品をばら撒いてきた。しかし彼女らは、俺の立場が危うくなったとたん、豹変し手のひらを返してきた。
天地の差ほどある待遇の変化に、惨めさが募っていく。心よりも体が痛かった。
今はとにかく暖かい部屋で体を休めたい。
いよいよ精根尽き果てそう……。
断られ続けて20回。貴族階級住居の区画を通り過ぎ、街外れをふらつく。
行く宛もない。頭も働かない。
もう野宿をするしかないと腹に決めて、帝国公園の門を通り抜けた。
「……ユーリさん?」
正面から、聞き覚えのある声。
声がした方へ視線を移動させる。青色の髪が目に入った。次にふらっと世界が揺れて、星空が飛び込んできた。記憶があるのはここまでだ。
【さまよえる勇者】
むさくるしい獣の臭いがして目が醒めた。上半身を起こすと、額に乗っていた冷タオルがぼとりと落ちる。
「ひぃっ」
薄暗い中、ギラリと光る赤い双球と目が合った。魔王の顔が浮んできて震え上がる。
「目が覚めたのね、ユーリさん」
聞こえてきたのはソニアの声。
「めっ、ジルバード。怖がらせちゃダメ!」
その言葉は俺ではなく、同じ空間に居た赤い瞳の獣に向けられた。
目が慣れてきて、ようやくジルバードの姿を捉えることができた。赤い瞳の白馬。一般の馬に比べて大きい。魔力を秘めた馬なのかもしれない。
「……ここは?」
「モンスターサーカス小屋よ。ユーリさん、ごめんね。どうしても私の部屋にはあげられなくて……。一応、ここも私のおうちの敷地内ではあるんだけど」
ソニアが一家で大道芸をやっていることは知っていたが、家に来たのは初めてだ。いろんな獣を飼い慣らしているらしいが、俺がいる場所はジルバード専用の小屋のようだった。
「ジルバードは神経質で、私以外のいうことを聞かないの。ここならパパとママも来ないから、誰にも見つからない。安心してね。多分もう、寝ていると思うし」
まだ何も事情を話していないのに、気をまわしてくれたソニアの行動に、じわっと涙が滲む。感動して鼻水まで垂らすんじゃないかと思われた瞬間、ソニアが神妙な顔をして俺の顔を覗き込んできた。鼻をすすって何とか堪える。
「……で、どうしたの? ユーリさん。夜の街をふらついて、家出でもした?」
彼女の耳には俺が勘当された情報が届いていないようだ。安堵のため息を漏らす。
君こそ、夜遅くに出歩いて。と、言おうと思ったが、おかげで助かったのでそのツッコミは隅においておく。
実家を追い出された事情を一言で言い表すことは困難だ。彼女には呆れられたくない。その思いが大きく膨らんで、
「俺は魔王を倒すまで家に帰らないと決めた」
そう口走っていた。
ソニアの瞳はみるみるうちに輝き、俺にキラキラしたまなざしを注いでくる。
「だけどこのザマさ。俺ひとりでは敵なわなかった」
腕を広げて埃まみれの擦り切れた服を見せると、彼女は口元に手を添えて驚いた。
「伝説の勇者の末裔であるユーリさんが負けてしまうなんて……」
さらにソニアの同情を買うべく、小芝居を打つ。瞳をうるませる俺。
「魔王に勇者の力を封印されてしまったんだ。だから俺ひとりでは無理だ。ソニア、君の力が必要なんだ」
そんなものはでまかせである。
俺に魔王を自力で倒せる力など備わっていない。剣すら振れないこの俺だ。勇者の子孫という権力は人間界でしか通用しない。
「……ごめんなさい、ユーリさん。私は力になれないかもしれない」
肩を落とすソニアだったが、それは予想の範疇だ。
魔王討伐のフリをして出かけて、負けたふりをして帰ってくる。悲劇の勇者を一生演じていればいい。そうすればしばらくはここに居座れるし、三食飯付き寝床付きでなんとか暮らせるだろう。馬と相部屋なのは百歩譲って良しとしよう。
隠居生活を決め込んだ俺だったが──
「ユーリさん、あなたには強い絆で結ばれた仲間がいるじゃない!」
ソニアがすっくと立ち上がった。
「彼らと力を合わせれば、きっと魔王をやっつけることができるはずだわ!」
ええええ?
意外な展開が来た。まともに魔王と戦う気なんか、これっぽちもないのだが?
「……ああ」
本心が顔に出ないようにして、とりあえず相槌を打つ。
「私が仲間のもとに連れて行ってあげる!」
「……い、今?」
「善は急げ。まずは同じ学年のレスターさんのところね。彼は大魔導士の子孫だし、きっと良い策を考えてくれるはずよ!」
ソニアは使命感に燃えた目をして、藁の上で寝転ぶ俺の手を引き起こす。こうなると何を言っても彼女を止めることはできない。
「いや、レスターんとこはちょっと……まずい」
この前、決闘の裏工作を頼んだのだが、その報酬がまだだった。今一番会いたくない男だ。
彼女は聞こえていなかったらしく、お構いなしに俺の手を引き、小屋の外へと連れ出した。
「ユーリさん、乗って」
そして、ふたりがやっと乗れるサイズの絨毯に座らされる。
ソニアは両手をかざし、詠唱を始めた。ふわっと絨毯が舞い上がる。みるみるうちに屋根が眼下に見える高さまで飛翔した。
「飛ばすね」
ソニアは絨毯を前進させ、ロルクライン邸に向けて飛行を開始した。前から風が吹きあがり、頬を叩きつけていく。地味に痛い。
飛行の魔女──それが帝国学園での彼女の異名だ。家業の大道芸でもそうだが、彼女の得意技は飛行術なのだ。
髪を乱しながらたどり着いたロルクライン邸はいつ見ても異様な外観だった。
前時代のバロック調建築で、並ぶ尖塔は杉林のよう。魔女が出てきそうな家。いや、むしろ城だ。帝国の近代化計画に感化されず、市街地から離れた森の中に鎮座する観光名所。レスターの両親は古代魔術や骨董品マニアで、魔王討伐前に建築された古き良き時代の城に、補修しながら暮らしている。
「レスターさん、起きているかしら?」
絨毯は尖塔を旋回しながら、ゆらゆらと高度を落としていく。
夜も更けた。呼び鈴を鳴らすわけにはいかない。レスターの両親にも、俺の失態は伝わっているだろう。直接、彼の部屋に侵入するしかない。
「ユーリさん、見て!」
尖塔のひとつを見たソニアが声を上げた。
窓から見知った顔が覗く。眼鏡の少年が訝しげに外の様子を伺っていた。彼こそがレスターだ。
ソニアは絨毯をなびかせながら窓への接近を試みた。
その瞬間、ヒリッと擦れる感覚が皮膚を撫でた。嫌な予感がする。
「ソニア、これ以上近づくな!」
「……えっ?」
──ジジジジジッ!
間に合わなかった。電撃が脳天から指先へ駆け抜ける。
「ぐおっ!」
言葉にならない呻き声。
思うように動かない。それでもソニアを守らなければと震える腕を前に出そうとする。が、腕すら上がらない。
痺れが全身を支配し、その次に襲ってきたのは脱力感。目蓋も重くなってくる。
振り返ったソニアは無事だった。
……よかった。
重くなっていく瞼に抗えず、俺は目を閉じた。
第2話
第3話
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