【読書メモ #14】お金のむこうに人がいる
なんのために働いているのか、という議論になった時、生活費のため、社会貢献のため、人生の充実のためなど、理由は人それぞれだろう。
昔は一つの企業に勤め上げることが普通であったから、理由も一つだったと思う。近年は副業が解禁されたこともあり、職業ごとに働く目的を分ける人も増えてきたのではないだろうか。
例えば会社勤めは生活費のためで、人生の充実のために副業を始めるなどだ。スポットワークが普及したことでさらにこの動きは加速しているような気もする。
さて、今回紹介する本は、
「お金の向こう人がいる」である。
(田内学 ダイヤモンド社)
お金を取っ払って「人」を見れば、
とたんに経済はシンプルになる。
誰が働いて、誰が幸せになるのか?
専門用語も計算式も出てこない、
誰でも最後まで読み通せる
「やさしい経済の入門書」です。
——
ゴールドマン・サックスという会社で働くことになって、経済について考えるようになった。
そこでは、日本政府の借金である日本国債などを扱う金利トレーディングという仕事をしてきた。
取引相手は、銀行や保険会社などの金融機関や、世界中のヘッジファンドだった。
一度の取引量は数百億円から数千億円におよんだ。
このトレーディングの仕事では、経済を見誤ることは命取りになる。16年間そういう仕事をしながら、「お金」のことをとことん考えてきた。
自分の頭で考えるときに経済の「専門用語」は必要なかった。専門家が専門用語を使うのは、相手をごまかそうとするときだ。自分をごまかしながら考える人はいない。
経済の話が難しく感じるのは、決してあなたのせいではない。専門用語を使わなければ、誰もが同じスタートラインに立って考えることができる。
だからこの本では専門用語や難しい数式を一切使っていない。出てくる数式は、足し算と引き算くらいだ。
—
「僕たちの暮らす社会は、一人ひとりが支え合っている」資本主義のど真ん中にいた僕がこんな話を始めたら、あなたは眉をひそめて、僕の腹の内を探るかもしれない。きれいごとを並べて、自分をダマそうと何かを企んでいるのではないかと。
でも、道徳の話をしているのではない。これは経済の話だ。資本主義ど真ん中の会社で働いてみて僕は確信した。経済は、お金ではなく人を中心に考えないといけない。
純粋に経済を突き詰めて考えたときに見えてきたのは、お金ではなく「人」だった。
——
本書の最後では、ある「謎」を一緒に考えてもらいたい。
この謎は答えがまだ見つかっていない。僕がこの本を書いた動機がそこにある。なるべく多くの人にその謎を考えてほしいと思っている。
そして、あなたにこう感じてもらいたいと思って、
僕はこの本を書いた。
「経済の問題は、専門家だけに任せるものではない。自分も考えよう。そのほうが未来の社会はずっと良くなる」と。
感想
お金自体に価値があるわけではないということを痛感させられる本である。大事なのは人だということが本書を通じて一貫している。
端的にいうと、お金だけあっても働く人がいなければ何にもならないのだ。年末年始などに強く思うが、働いている人がいなければ何に使う(替える)こともできないし、ただの紙とコイン、もしくはカードでしかないのである。
具体例を出されると何をそんな当たり前のことをと思うかもしれない。でもこの具体例はいつも頭から抜け落ちていて、普段は下記の思考になっているのではないだろうか。自分が稼ぐために相手に多く払ってもらいたい、何なら楽してお金だけもらいたいと。
自分がタダの労働を提供する時代なら、その目的はお金ではなく相手の幸せだった。しかし、ほとんどの労働に価格がつくようになると、労働の目的は、お金と切り離せなくなる。相手の幸せを考えるよりも、相手に多くのお金を払わせることが目的になっている人たちもいる。
昔はアドバイスや簡単なお手伝いであれば、地域の助け合いなどでお金は必要なかった。
単純に相手のためになればよいな、または地域が良くなればよいといった思いで動くことがあったろう。
それが価値換算として金額を試算するメディアが出てきた、またネットで簡単に金額基準が調べられるようになったことで、もっともらえるならもらいたいと思う人が増えたかもしれない。
家庭内の家事に対して、(男性があまりにもやらないから)金額を試算されて糾弾されることがある。これ自体可視化されることに意味はあると思うが、それをお金のやり取りで解決できるのかは疑問だ。
仮に夫がお金を払って家族に家事を全部してもらうとなった時、夫は今以上にふんぞりかえるだろう。お金払ってるのに何でやらないといけないんだという免罪符になるからだ。
きっと世の中の人が望んでいるのはそうではなく、それくらい家事は大変で価値のあるものだから、同じくらい負担しろということだと思っている。
また夫が家事代を家族に払うのであれば、夫の収入がそれで増えるわけではないので、家計はより厳しくなってしまうだろう。家計として使える全体のお金は変わらないのだ。
さて、家計の話をしたが国家予算としても同様のようだ。
政府の予算の配分とは、僕たちの労働の配分を表している。多くの予算がつけられることで、多くの労働が投入される。
戦時下の国の政府が軍事関連の予算を大幅に増やすとき、生活が苦しくなるのは、軍事関係に多くの労働力を奪われるからだ。お金だけ見ているとその事実に気づくことができない。
政府がお金を使うとき、そのお金を受け取って働く人が必ずいる。僕たちの生活が豊かになるのは、彼らが働くことによって効用が生み出されるからだ。国債発行という打ち出の小槌を使って「楽」しているということはありえない。
引き続き家計を例とすると、家族全員で使える余剰資金(お小遣い)があり、その配分を一定ルールで分けるとする。毎年家族イベントがあるので、ルールは毎年変わるものとする。例えば下記のような配分で決まるとする。
例1の年)引越し準備:5、家事:3、資格取得:2
例2の年)家事:6、資格取得:2、学校行事:2
このとき、親と子供でお小遣い欲しさにこの配分に従って自身の余暇の時間を使うようになるだろうという話だ。例1の年のとかは、引越し準備が大変で家事は通常時ほどはこなせないだろう。
国債発行の例にならうと、余剰金額(お小遣い)を増やしたとしても、親と子どもの人数が変わらなければ、引越し準備しながら、いつも以上に多めの家事をこなすことはできないのである。お金をいくら積んでも人がいないと、追加の作業はできないのだ。
本論より脱線した議論を多めに書いてしまったが、当たり前だけど普段意識することができていないことが的確に書かれている書籍だった。何で働いてるんだっけ?、お金ってたくさんあった方がいいんだっけ?って思った時に読むことが勧められる。
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