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ヒップホップと私

中坊放課後ブロンクス!


今でこそ、日本の音楽シーンにおても、ヒップホップ系のアーティストがチャートを賑わしていますが、 これは、私が最初にヒップホップというものに出会った時の嘘のようなホントの話です。

それは、土曜日の昼間テレビ朝日系で放送されていた『独占!女の60分』でのことでした。1983年のことだったと思われます。当時、日本で公開された『ワイルド・スタイル』という、ニューヨークのヒップホップ界隈を描いた伝説的な映画のレポートでした。確かレポーターは泉アキだったと記憶しています。

その後、ヒップホップの情報が紹介されたのは、『11PM』今野雄二によるニューヨーク・レポートだったように記憶しているので、『独占!女の60分』の方が早かったということになります。恐らく日本のテレビでは最初ではないかと思われます。嘘のようなホントの話です。

田舎の中学生だった私は、友人と『ワイルド・スタイル』が公開されたら観に行こうと、無駄に盛り上がっていましたが、そんなもん公開される訳がありません。それでも80年代初頭の体育館には、放課後の部活をサボり、体操着で床を2、3回転する僕達がいたのです。

ブレイク・ダンスの衝撃!


何が言いたいかというと、ヒップホップというものが、当時の僕らを魅了したのは、ブレイク・ダンスのアクロバティックな動きや、レコードを逆回転させて楽器にしてしまう、いかがわしさのようなものであって、決してラップ・ミュージックではなかったということです。

それは、例えるならば、Mr.マリックの超魔術を初めて観た時の興奮にも似た、ある種ギミックな感覚を与えてくれるものでした。Mr.マリックを初めて観たのも『11PM』だったように記憶していますが、その時の興奮は、ムーン・ウォークを観た時のそれに近いギミックな感覚でした。

今日においては、とかくラップ・ミュージックとしての側面がクローズ・アップされる傾向にありますが、ヒップホップとは、ラップ、ブレイク・ダンス、グラフィティ・アートの3つの要素の統合的な呼称であるというのが、一般的な定義です。そのことについては、ネルソン・ジョージの著書『ヒップホップ・アメリカ』辺りを参照して下さい。

事実、80年代初頭においては、むしろブレイク・ダンスが最も注目されていたポイントでした。映画『フラッシュ・ダンス』の番宣でも、クルクル回るところしか観たことないでしょ? ライオネル・リッチーのプロモーション・ビデオのバックにすら、ブレイク・ダンサーがフィーチャーされていたものです。シーンのメイン・ストリームにおいても、ヒップホップというものの扱われ方が如何にギミックなものだったかということが分かります。否、本来ストリートでプレイされていたヒップホップというものは、そうしたギミックな感覚を持って出発したに違いありません。

ラップ・ミュージックとの遭遇!


ラップ・ミュージックとしてのヒップホップで言えば、無意識に聴いていたのは、スネークマン・ショー「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」が最初だったような気がしますが、これは厳密にはヒップホップのレコードではありません。あるいは山田邦子「邦子のかわい子ぶりっ子」。これもヒップホップではありませんね。そう言えば、小林克也「わしらはみんな広島じゃけん・・・」っていうCMもあったな。

私がヒップホップを音楽として初めて意識したのは、これまたラップではなく、ハービー・ハンコック「ロック・イット」のヒットでした。グランドマスターDSTのスクラッチが全編にフィーチャーされていて、マネキンの足が機械仕掛けで動きまくるプロモーション・ビデオも衝撃的なものでした。

ハンコックは、1985年のグラミー賞のセレモニーで、トーマス・ドルビーハワード・ジョーンズとともにステージに立っています。すなわち、シンセやコンピュータが如何にポピュラー音楽のフィールドに浸透してきたかというエキジビジョンでした。実は、初期のヒップホップとテクノは非常に関係が深いのですが、その話はまた別の機会に。

初期日本語ラップの決定盤!


そして、1984年我々に強い衝撃を与えた1枚のシングル、吉幾三「おら東京さ行ぐだ」が登場します。これは日本語によるラップ・レコードのエポックとして記憶されるべきです。「レーザー・ディスクは何物だ?」という衝撃のリリック。本場アメリカでは、東海岸、西海岸、南部、フロリダなど、地域によってスタイルに特徴が出るのですが、日本では青森県だった訳です。

RUN D.M.Cウォーク・ディス・ウェイのヒットが'86年、近田春夫がアディダスを着ていたのもこの年ですので、この頃からヒップホップに対する大衆の興味も、ラップ・ミュージックへと移って行ったのでしょう。ヒップホップがラップ・ミュージックとしてメイン・ストリームに受け入れられるのに、如何に時間がかかったかということです。全くの余談ですが、いとうせいこうがデビュー直前のスチャダラパーを引き連れて初めてテレビに登場したのも『11PM』の後番組の「EX-TV」だったように記憶しています。

後半は、『ヒップホップと私』という本題とはやや逸れてしまいましたが、最後に、本場の米国のヒップホップには、始祖としてのJames Brownがいるように、日本のラップのオリジネーターとして、トニー谷の名を挙げて、本稿を締めくくるといたしましょう。もちろん、この場合は「そろばん=スクラッチ」です。ギミックでしょ? では、また。


*この記事は、2004年2月に自分のホーム・ページ(閉鎖済み)に掲載したものを改訂したものです。

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