【1982年のYMO】ライブで繋ぐ友達の輪
終わりの始まり
1981年のYMOは、『BGM』と『テクノデリック』という2つのエポック・メイキングなアルバムを発表し、両アルバムの楽曲をセット・リストの中心とする『ウインター・ライブ』を敢行。国内でのグループ3人としての活動が、(内情は別として)高密度に現れた年だったと言えます。
翻って1982年は、グループとしての目立った活動がなく、各メンバーがソロ活動に専念した年でした。その後の歴史を知っている現在の視点で見ると、まるでYMOとしてやるべき事はやり終えてしまって、メンバーそれぞれが次の道を模索していたようにも見えます。
同時に、周辺アーティストとの「繋がり」が、特に各々のライブ活動を通じてより明瞭に現れた年であり、そのことによって、日本のニュー・ウェイヴの中心としてのYMOの存在感を強烈に示した年でもありました。
翌1983年にYMOは「散開」してしまいます。当時、ミュージシャン同士の交流の充実ぶりに、YMOとその周辺の文化圏は、ますます広がり続けるに違いないと感じていましたが、実際には、'82年がYMOとその仲間たちが築いた、日本のニュー・ウェイヴ全盛期の「終わりの始まり」だったのかもしれません。
坂本龍一&B2-UNITS
1982年5月5日、NHK-FMで坂本龍一&B2-UNITSのスタジオ・ライブが放送されました(収録は4月26日・NHK509スタジオ)。このライブが、中学生の私に、日本のニュー・ウェイヴの「繋がり」を具体的に見せてくれた、最初の例だったと言っても過言ではありません。
【坂本龍一&B2-UNITS】
坂本龍一(Piano/Synthesizer)、沢村満 (Sopranino/Sax)、Robin Thompson(Sax)、永田純(Bass)、立花ハジメ(Sax/Guitar)、鈴木さえ子 (Drums)
「繋がり」を象徴するハイライトは、元プラスチックスの立花ハジメの登場でしょう。この日は、後述するYENレーベルからリリースされる1stソロアルバム『H』からの楽曲も多く演奏され、「僕は清志郎じゃありませんから」などの面白コメントで、初めましての「ハジメ・リスナー」にも強い印象を残しました。
チャクラの永田純(通称どんべい)やフィルムスの鈴木さえ子を含め、YMO周辺のアーティストが、我々地方在住のファンにもくっきりとその姿を現すようになった分岐点が、このライブであったと言えるでしょう。
余談ですが、教授が曲間のMCで、自らの近況やYMOのほかの2人のソロ活動を紹介してくれています。幸宏さんのロンドン録音の件では、「あ、Heaven17とやってらっしゃる!?」と言っていましたが、これは実現していませんね。また、細野さんの『フィルハーモニー』については、「フニクリ・フニクラ」を「どテクノでぶちかましてる」と紹介しています。
細野晴臣とYENレーベル
細野さんは、YMOとしての活動中はソロ作品を作らないと決めていた筈が、5月21日に件の『フィルハーモニー』を発表します。そればかりか、幸宏さんとともにアルファ・レコード内に『YEN』という新レーベルをに立ち上げ、その第一弾としてこのアルバムを発表したのでした。
そして、同じ5月21日には立花ハジメの『H』が、6月21日には高橋幸宏の『What, Me Worry?』がリリースされ、いずれも教授の『サウンド・ストリート』でも紹介されましたから、前述のB2-UNITSのライブと地続きの感覚が強く印象づけられたものでした。
このほかにも、細野さんと幸宏さんを主要なプロデューサーとして、ゲルニカ、戸川純、越美晴、サンディー&ザ・サンセッツと、次世代のアーティストを中心に個性的な作品を世に送り出し、YMOと周辺人脈の交流拡大を促しました。
また、元ヒカシューのメンバー2人によるユニットであるイノヤマランドの作品もリリースしており、『テクノ・ポップ御三家』のうちの二つが、YMOの求心力に引き寄せられた格好です。YENレーベルについて、詳しくは下記の特集をお勧めします↓
高橋幸宏・初のソロツアー
6月25日には、『YUKIHIRO TAKAHASHI TOUR '82 WHAT ME WORRY』と銘打った、高橋幸宏初のソロ・ツアーがスタートします。7月27日までに14公演が行われ、このうち7月26日の新宿厚生年金会館での公演が、9月15日にNHK-FMで放送されました。
【高橋幸宏バンド】
高橋幸宏(Vocal、Keybords、Drums)、細野晴臣(Bass、Keybords)、土屋昌巳(Guitar)、立花ハジメ(Sax、Guitar)、Steve Jansen(Drums)
【7月26日の公演のゲスト】
加藤和彦、坂本龍一、鈴木慶一、David Sylvian
番組冒頭の「ゲストも豪華よ」の言葉どおり、YMOとJAPANと一風堂とプラスチックスとムーンライダーズが同じステージ上にいるとなれば、さながらジャパニーズ・ニュー・ウェイヴのショー・ケースの様相もあり、中学生の私は、ウルトラ兄弟の勢揃いでも見るようなワクワク感に見舞われていました。周辺アーティストとの「繋がり」のピークです。
前述のB2-UNITSのライブのMCで、教授がこのツアーについても言及しており、Steve Jansenを「幸宏に取られた、悔しい!」と言っていましたね。また、細野さんの「スポーツマン」と、立花ハジメの「H」も演奏され、やはりB2-UNITSのライブからの「地続き感」がありました。
JAPANのファイナル・ツアー
暮れも押し迫った12月27日には、英国の盟友JAPANの解散に向けた最後のツアー『JAPANファイナル・ツアー “Sons Of Pioneers”』の、12月8日の日本武道館公演が、同じくNHK-FMで放送されました。
【JAPAN】
David Sylvian(Vo、Guitar、Keyboard)、Mick Karn(Bass)、Richard Barbieri(Keyboard)、Steve Jansen(Drums)、土屋昌巳(Guitar /サポート・メンバー)
【12月8日の公演のゲスト】
坂本龍一、高橋幸宏、矢野顕子
前述の高橋幸宏のツアーと多くのメンバーが重なっており、私にはやはり「地続き感」があったんですね。幸宏さんとSteve Jansenの師弟(夫婦?)関係は、その後も長く続きますが、幸宏さんがJAPANの曲を歌うなんてことは、これっきりですからね。
教授とDavid Sylvianとの合作「Bamboo Music」も披露され、こちらはあっこちゃんとSylvianがデュエット。教授はFM番組の案内役として、バック・ステージの様子などを伝えてくれました。このライヴは、JAPANにとっては正に「終わりの終わり」であり、YMOのメンバーとの特別な関係を改めて示すものとなりました。
祝宴の終わりに
翌1983年にはYMOが散開。最後のツアーには、かろうじてABCのDavid Palmerのみがゲスト参加しました。その後も、恒例となった幸宏さんのツアーや、一風堂の『File Tour』などがありましたが、こんなに様々なグループから豪華なメンバーが互いのライブに登場し合ったのは、1982年を除いてほかにないのではないでしょうか。
YMOと周辺アーティストの「繋がり」を強く示した、これら一連のライヴ活動は、華麗なるニュー・ウェイヴ時代の最後の宴であり、各々の次の活動への助走となる豪華な「友達の輪」でした。
少々長くなりましたが、1982年のYMOの思い出を、ぜひコメントしてください。
*この投稿は、予告なく改訂することがあります。
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