沢田研二のエキゾチックな季節
茶の間とニュー・ウェイヴ
沢田研二がその輝きを最も強く放っていたのは、1980~82年位の時期だろう。ザ・タイガース以来のオールド・ファンには異論もあろうが、僕らの世代にとっては、特別な歌謡曲ファンでなくとも、強く印象に残っているのがこの時期なのである。というのも、この80年代初頭が、日本の音楽シーンと英米のロック・シーンが、ニュー・ウェイヴという一点においてシンクロした希有な時代だったからである。すなわち、日本がニュー・ウェイヴの空気感をお茶の間レベルにまで迎え入れ、歌謡曲においても、その影響が色濃く及んでいたと考えることができるからだ。
実際、我々の世代は、音楽と直接的に関係のない事象にも、直感的にニュー・ウェイヴを感じ取り、奇妙なシンパシーを感じていたものだ。それは、例えば柄本明の髪型とテクノ・カットの相似性であったり、研ナオ子と土屋昌巳の近似性であったりといったものだ(みんな同じような髪型だっただけか?)。これらは、日本がニュー・ウェイヴ的な空気感に包まれていた端的な証拠だ。洋楽ファンにとっても、歌謡曲やテレビ文化を違和感なく受け入れることのできる、居心地の良い時代だった訳である。
ジュリーと重里(ジュリー)の邂逅
この頃の沢田研二は、歌謡曲のフィールドにおいて、そうしたニュー・ウェイヴの空気感を最も顕著に表出した突出したサンプルであったと言える。沢田研二のイケメンぶりというのは、それだけで生来のニュー・ウェイヴ体質と言えなくもないが、70年代後半までは「時の過ぎ行くままに」や「カサブランカ・ダンディ」に代表される、やや退廃的なムードを湛えた大人の歌謡曲を主戦場としていた。
80年代に入ると、作詞に糸井重里を起用した(ややテクノっぽい要素のある)「TOKIO」で、80年代的ポップセンスに踏み込み、「恋のバッド・チューニング」の金色のコンタクト・レンズで文字通り開眼したかに見えたが、なぜか「酒場でDABADA」で大人歌謡曲に逆戻りし、「おまえがパラダイス」「渚のラブレター」と、凡庸なポップ・ロックっぽい楽曲が続いた。
エキゾチックスと“発情期”
真の転期は、’81年の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」だろう。この曲は、ど真ん中のニュー・ウェイヴではないが、当時流行したストレイ・キャッツ(ヤンキーに人気だったね)のネオ・ロカビリーを模したものであり、明らかに最新の英国ロックに寄せていこうとする意図が見られるようになった。
この方向転換は、'81年結成のエキゾチックスをバックに迎えたことが要因と考えて良い。このバンドならそうした嗜好が体現出来ると確信し、最新英国ロック路線に舵を切ったのではないか。それが証拠にレコード・ジャケットには、沢田研二ではなく、JULIE&EXOTICSとあるではないか。
以後、沢田研二は英国ニュー・ロマンティック勢さながらのメイクで、一気にニュー・ウェイヴ色を強めていく。ウルトラヴォックスを彷彿とさせるギターリフの「麗人」、冒頭の“I don't need your love at all”というコーラスが印象的な「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」とヒットを連発し、当時の歌謡曲シーンに一時代を築きあげた。
忘れてならないのは、山口百恵作詞、沢田研二作曲によるアン・ルイスの「ラ・セゾン」のヒットだ。これは、アン自身のリクエストによって、「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」と対になるような楽曲だが、シンセや効果音の音色にニュー・ウェイヴ感の増加が見て取れる。編曲は伊藤銀次で、そのニュー・ウェイヴ感を演出しているキーマンと言える。
引いてゆく波
この時期のジュリーの楽曲のアレンジャーは、先ほどの伊藤銀次と後藤次利、白井良明のいずれかで、70年代にはティン・パン・アレイやナイアガラ周辺の人脈ではあったものの、作曲の大沢誉志幸を含めて、当時のジャパニーズ・ニュー・ウェイヴの中核を担っていたYMOに極めて近しい人物という訳ではない。当の細野さんは、松田聖子をはじめとするバリバリの歌謡曲を作っていたことを考えると示唆的で興味深い。
そして、'83年の「背中まで45分」では、かつての日本的な大人の憂いとは違う、ニュー・ウェイヴを通過したダンディズムを現出しており、例えるならば、ロキシー・ミュージックを解散して、ビデオ・テープのCMに登場したブライアン・フェリーとその姿を重ね合わせることができる。
ニュー・ウェイブの文脈で説明できるのは、アダム&ジ・アンツやバウ・ワウ・ワウのジャングル・ビートを取り入れた「晴のちBLUE BOY」までで、以後はこうした路線から後退し、ジュリーのテレビへの露出も徐々に減ってしまう。
最後に、この時期の沢田研二を称して「日本のデビッド・ボウイ」と紹介している例も散見するが、忌野清志郎とのデュエット「KI・MA・GU・RE」こそ、ボウイとミック・ジャガーの‘Dancing in the Street’に他ならないことを付け加えて、本稿をおしまいにしよう。
エキゾチックスと言えば、西平彰や吉田建がいたことで知られていますが、「LIBRARY」というリーダー・アルバムも出しているそうです。本文中のニュー・ウェイブとの関わりで言えば、80年代当時「YMOの専門誌」とまで呼ばれた、学研のニュー・ウェイヴ系音楽雑誌『サウンドール』によく取り上げられていました。私の手元に『サウンドール』特別編集の『シンセ倶楽部』なるムックがございまして、YMOメンバーはもちろんのこと、立花ハジメ、土屋昌巳、Shi-Shonen、Real Fishからサロン・ミュージック、MELON、Potable Rock、戸川純まで、並み居るニュー・ウェイブ系アーティスト(越美晴と鈴木さえ子の対談まで載ってる)に混じって、エキゾチックスが一緒に紹介されています。
この頃のジュリーやニュー・ウェイヴ歌謡に思い出がある方は、ぜひコメントで教えてください。
*この記事は、2004年2月に自分のホーム・ページ(閉鎖済み)に掲載したものを改訂したものです。
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます。応援されるってとても嬉しいですね。