教授のマナーとマー坊のマナー
坂本龍一と土屋昌巳の楽曲構成
文学やエッセイにおいて、文体や表現のスタイルを作家の「マナー」と呼ぶことがあります。では、ポピュラー・ミュージックの世界においては、どこに音楽家固有のマナーを見てとるができるのか? メロディーの傾向とかアレンジのクセみたいなものもありますが、ここでは坂本龍一と土屋昌巳、二人の80年代初頭の楽曲の構成に注目してみました。
【教授のマナー】2周目は英語で語りたい?
YMOの‘Citizens Of Science’のAメロの2周り目って、英語詞で「語り風ヴォーカル」になってますよね。教授の’81年のシングル‘Front Line’では、2コーラス目がピーター・バラカン氏の「語り」になってるので、教授は途中に「語り」を挟むパターンがお気に入りだったのかなと思い至ったんですね。でも、調べてみると明確に2周目に「語り」や「語り風ヴォーカル」が現れるのは、残念ながら上記の2曲だけでした。当てが外れましたね。“BGM”の‘Mass’(細野さんの曲)もバラカン氏の語りなので、その印象も頭の片隅にあったのかもしれません。
しかしながら、MのRobin Scottをヴォーカルに迎えた‘The Arrangement’も、2周目ではないのですが、ブレイクの部分で「語り」が入ります。“BGM”の中で唯一の教授の新曲と言ってよい‘Music Plans’は、バースの部分が歌唱というよりは「語り」に近く、このパターンの変形と言えなくもありません。“Technodelic”の‘Seoul Music’もバースの部分も、意図は異なるかもしれませんが全編「語り」ですね。
日本語での歌唱を披露した『左腕の夢』以降は、こうした「語り」や「語り風ヴォーカル」の傾向は見られなくなりました。教授の歌うことに対する考え方の変化が影響しているのかもしれませんね。
【マー坊のマナー】2番の後半は間奏にしたい!
一方、我らが一風堂のリーダー、土屋のマー坊にも得意な楽曲構成があります。2コーラス目の途中で間奏になるパターンです。

上図のような構成の楽曲があったときに、1コーラス目は当然ながらサビまで通して歌い、2コーラス目のAメロを1回だけ歌って、続く2回目のAメロを間奏にするんですね。そして、Bメロの転調から歌に戻ってサビへ繋げるというパターンをたくさんやっています。
特に後期の一風堂のシングル曲にこの傾向が強く、「アイ・ニード・ユー」「すみれSeptember Lve」「アフリカン・ナイツ」「ドリーム・オブ・ザ・ジプシーズ」「ムーンライト・マジック」と、悉く同じパターンです。昔から洋楽にも日本の歌謡曲にもよくあるパターンなのですが、マー坊は意図的にポップスの王道パターンをシングル曲に採用したのだと考えて然るべきでしょう。
教授とマー坊の共同作業
教授こと坂本龍一とマー坊こと土屋昌巳の出会いは、70年代に遡ってリリィのバイ・バイ・セッション・バンドのメンバーとしてですよね。80年代に入ると、矢野顕子や高橋幸宏、JAPANなど、他人のライヴ・ツアーでの共演は多いのものの、互いのレコーディングへの参加はあまりありません。
前述の『左腕の夢』では、マー坊がコーラスで参加していますが、全面的に楽曲を共作したと言えるのは、教授がマー坊の1stソロ・アルバム“RICE MUSIC”に提供した“Kafka”が唯一の例ではないでしょうか。「でない…である…かまたは…」というシュールな教授の「語り」で始まり、教授が吹く鍵盤ハーモニカと同じパターンで重なるマー坊のギター・カッティングがグルーヴを産んで、最終的に非常に力強いリズムに進展します。佳曲揃いのこのアルバムの中でも、ひときわ異彩を放っていますよね。
NHK-FM「サウンド・ストリート」の火曜日にマー坊がゲスト出演された際には、トラック・ダウン中の一風堂のアルバム“Radio Fantasy”から多くの楽曲が紹介されていましたが、「ふたりのシーズン」に使われている、ホワイト・ノイズを基にレゾナンスを上げて作られた「キッ、カー(息多め)」という効果音が、教授が自分で作った音と同じだと言って盛り上がっていました。
互いに個性的な「音楽的マナー」を持っている二人でしたが、当時のYMOと一風堂の音楽的アプローチに多くの共通項があることがわかる貴重な放送でしたね。そして、両者の設計思想に注目することで、一つの楽曲にこれまで気づかなかった新たな発見や、より深い鑑賞体験を加えることができるのではないでしょうか。
今日はこの辺りで。
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