なんのはなしですか。【長編小説】23
*
アラームが鳴る。榎本は手探りで頭元に置いたスマホを掴むと、おもむろに音を止めた。
もうそんな時間か。時間にして2時間程だろうか。19時、そろそろ行くか。
榎本はソファーから起き上がり、傍に置いていたジャケットを手に取ると本部を後にした。
路地裏へ向かう途中の曲がり角にある、どう見てもヤバい店『月曜日をぶっ飛ばせ(げっぷ)』の扉は今日もネオンで輝いている。
今日は木曜日だ。それなら『げっぷ』じゃなくて『モップ』だろ。というか、『ぶっ飛ばせ』なら『ぷ』じゃなくて『ぶ』だろ。なんて、ついどうでもいい事を考えてしまう。
「#どうでもいいか」
そんなことを考えていたら酒場『魑魅魍魎』の店先に着いた。
入口の暖簾をくぐる。内装はこんな感じなのか。榎本は初めての店内にやや緊張した。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
店員に誘導されカウンターへと座る。やはり、この時間ともなれば、それなり客はいるな。榎本は周りを見渡した。
とりあえず、何か頼んで食べるか。夕飯がてら串をいくつか注文する。
「あ、生1つ貰えますか」
そう言った辺りで「すみません、隣りいいですか」と男性に声をかけられた。
歳は自分と同じくらいだろうか。清潔感のあるスラッとした体型、『イケメン』と呼ばれる部類か。榎本は、どうぞ、と答えた。
「ありがとうございます。ここ、よく来られるんですか?」男性が気さくに話しかけくる。
「いえ、私は今日が初めてなんです」
「そうなんですね、僕はしょっちゅうここで呑んでるので、いつでも声掛けてください」と男性は笑った。
「ありがとうございます。ここの常連なんですね。そんなに呑んでるのにスタイル良いなんて羨ましいです」
「いえ、隠してるだけなんですよ」と男性は何やら照れたように笑う。
「あー、分かります。私もお腹周りとか見えてないだけで付いてますから」
榎本がそう言うと男性はきょとんとした顔で榎本を見て言った。
「なんの、話しですか」
榎本は思わず「え?」と答える。それ以外なんの話があると言うんだ。もしや、この男、難民か。
「贅肉の話じゃなくてですか?」榎本が思わず訊く。
「いえいえ、僕が言ってるのはタンスに隠してる下着の話ですよ」
榎本は困惑した。この男、いったいなんの話をしているんだ。
「えーっと…なんの話ですか」
榎本が訊ねると男性は、よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに目が輝いた。
「僕はね、基本的に下着は3つ、その都度洗って綺麗な下着を穿いてるんです。あ、コートとか、ある程度時間が経った物はクリーニングしなきゃなって思った時に出してるんですけどね」
榎本が「はぁ…」と呆気に取られた返事を返す。
「そんな僕が引っ越した時に、まだ穿いてない内にすぐにタンスに引っ込めた勝負下着があるんですよ。なぜタンスに戻したか分かります?」
なぜ突然質問形式なんだ。榎本が「え、っと…」と言葉に詰まると、男は待たずして答えた。
「“重し”になると思ったからです」
俺の答えは聞かんのかい。そう思ったが口には出さず、「重し…」と、とりあえず男の言葉を繰り返す。
「そうです。この下着を世に放たないことで、いつか穿くことを夢に見続けることができて、さらに言えば、いつか穿ける未来のための生活を続けられると思ったからです」男は意気揚々に答えた。
「なるほど…」
榎本はなぜか納得できた。これが宮下が言っていた、あの感じか。何やら感慨深い気持ちになった。
「まぁ、青豆さんの受け売りなんですけどね」男は少し恐縮したように笑った。
「青豆さん…?」
「はい。まぁ、青豆さんに僕は逮捕されちゃったので、もうこれ以上は詳しくお話できません」となぜか男は照れている。
ダメだ。全くもって男の話についてけない。いったい何を話しているのか。榎本はとりあえず名前だけでも訊くことにした。
「そうなんですね。分かりました。そういえば自己紹介まだでしたよね。遅くなってすみません、榎本と申します」
「あ、そういえば、そうですね。理生です。よろしくお願いします」
榎本は、正直よろしくお願いされたくないと思った。何やらミルコやpersi達と同じ臭いを感じる気がした。
「こちらこそ、お願いします」と、内心嫌々ながらも返す。
「まぁ、ビール届きましたし、まだまだ夜は長いですので、とりあえず乾杯でもしましょうか」
まだまだ…まだまだ続くのか。榎本は理生に流されるように乾杯した。理生が美味そうにビールを喉元へと流し込む。
理生はまだ酔っていない状態でさえ、あの難解な内容である。今後どうなるのか、榎本は漠然とした不安に襲われた。
それからは、至って普通のたわいもない会話が続いた。むしろ榎本は同年代として仲良くなれそうな気さえしていた。
しかし、そんなことはなかった。後にそれは錯覚、気の迷いだと分かる。
次へ続く
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