猫の人生はまだ終われない。【短編小説】【ピリカ文庫】
内側から表のシャッターを開けると正面から差し込む陽の光で一瞬だけ目が眩む。徐々に慣れてきた明るさの先には朝特有の街中の喧騒が広がっていた。
今朝の天気予報では1日を通して晴れ。寒さから少し解放され始めたこの季節が一番過ごしやすい。本が雑多に詰め込まれたカートを店の外へと運び出す。それから、店内にあるいつもと変わらない顔ぶれの本棚の隙間に軽く羽根帚を滑らせて回る。その足元へまとわりつく様に、一匹のハチワレ猫が顔を擦り寄せた。
「ハチ、邪魔だよ。蹴っても知らないよ」
危うく蹴りそうになり声をかけるが、猫のハチは素知らぬ顔で相変わらず甘えるように啓太の周りをくるりするりと動き回る。子猫だったハチを拾ってからもう一年が経とうとしている。拾った頃からハチはいつも啓太に着いて回っていた。啓太も口では、ああ言いながらもハチにはされるがままで、実際は嬉しくて満更でもない。
*
店の入り口上方には『ねことば書房』の文字。木造二階建てで二階が自宅、一階は書店だ。外観はやや年季が入ってはいるが、一階は表通りに向けて一面がガラス張りとなっており、店中は明るくよく見える造りとなっている。
外の人通りは割かし多いものの、店内はがらんとしていて立ち寄る人はほとんどいない。そのため、やることのない日中は、専らレジカウンターの傍に座り本を読み暇を潰していた。
啓太の膝の上でハチが気持ちよさそうに丸まって眠る。啓太はそんなハチを撫でながら、現実から目を逸らすように本へと目を向けた。
今の時代、魅力的な大型書店やカフェ併設の書店、某リサイクルショップやネットフリマなどが溢れていて、こじんまりと佇む書店など誰の気にも止めてもらえない。このままいけば、祖父から引き継いだ店を閉め、両親の言う通り就職活動をする羽目になることくらい啓太にも予想がついた。
「全然お客さん来ないね。やっぱりお店閉めて働くしかないのかな。何か良い方法とかない?例えばハチが招き猫になるとかさ」
冗談混じりにハチへ聞いてみても尻尾を軽く振るだけで、どこか少し物悲しさだけが後に残る。ハチにそんなことを言ったところで仕方がないことくらい分かっていた。それでも、今の啓太がこの気持ちを吐露できる相手はハチくらいしかいなかった。
*
「啓太、起きて、もう朝だよ」
薄らと夢現な中、肩を揺すられ聞き覚えのない声が耳に届く。これも夢か、なんて思いながら一瞬薄らと開いた目が瞬く間に閉じていく。
「起きてよ、啓太。俺、腹減った」
甘えたようなその言葉にようやく重たい瞼を擦り目を覚ました。
同じ布団の中で見知らぬ男が啓太を見つめる。到底、理解の追いつかない状況に啓太は固まった。
え、誰…しかも、男。え?待って、うそ、男!?
突然の出来事に咄嗟に布団を剥いで男から距離を置く。啓太は昨夜の記憶を必死で辿った。
たしかその日は、今後への不安と少し塞いだ気持ちを晴らそうと、一人近くの居酒屋で酒に飲み耽った。それでも酔い潰れるまではいかず、少しフラフラとした足取りながらも一人で自宅へ帰り、そのまま寝たはずだった。
それなのに、なぜか同じ布団に知らない男。しかも、啓太はパンイチで相手は真っ裸。机の上にいくつか散らかった缶ビールと焼酎。どう考えてもおかしい。動揺した表情で啓太の目が仕切りに泳ぐ。もしや、と考えられる最悪の事態が啓太の脳内を駆け巡る。しかしながら啓太はパンイチ。それならまだ体裁を守りきった可能性も考えられた。
「え、あの…誰ですか…」
啓太が強ばるように身を縮めて恐る恐る男へ訊く。
「誰って…見て分かんないの?啓太、俺の飼い主だよね?」
男はムッと拗ねたように啓太を見た。男の言葉に啓太も怪訝な顔つきで相手を見返す。
黒と白の束が混ざったような髪色、少し耳にかかる程度の無造作な短髪、やや右側で分かれる前髪からは切れ長の目を覗かせている。それに加え、バランスよく整った顔立ちと我儘で甘えるような態度。
間違えなく、ハチだった。
*
「ハチくんってどこに住んでるの?」
「ハチくんは明日も出勤?」
箒を持って店の前に立つハチを数人の女性が取り囲む。ハチが人間になってから、かれこれ数週間が経つ。そのイケメン効果もあってか店の客は徐々に増えつつあった。
だが、当の本人は女性からの絡みを少し鬱陶しく感じているのか、女性に対してまるで関心がなく無気力そうに相手をしている。しかし、それがかえって女性達を惹き付けているようで、相変わらずハチの人気ぶりは高まる一方だった。
「啓太、チュールちょーだい」
そう言って外から戻ってきたハチは、レジのカウンターに座る啓太の後ろへ回ると、その首元へと手を回し、もたれかかるように抱きついた。
「店でくっつくなって言ってるだろ」
啓太がすかさずハチの頭を手で押し戻す。さすがに店内ではまずい。元々猫とは言えども今はただの男だ。
「えー、ちょっとくらいいいじゃん」
拗ねた様子でハチは少し寂しそうな顔をした。あの頃ならめいっぱいスリスリできていたのに、今となっては全く相手をしてもらえない。ハチにとっては最大の禁欲だった。
「俺、猫に戻りたい」
「どうしたの、急に」
「少し前からずっと思ってた」
「なんで戻りたいの」
「だって全然、啓太に甘えられないし…」
「まぁ、さすがに店ではね…」
自宅同様に甘えさせれば、どんな良からぬ噂が立つやら。店のことを考えると今はスキンシップを我慢するしかない。見た目は人間でも、やはり中身は猫のままのハチにとって自由のきかない人間であることは窮屈のようだった。
*
猫に戻る方法を調べてみたところで、そんな情報はどこにもない。手掛かりとして二人はまず、人間になった原因を突き止めることにした。
ハチによると、夢の中で誰かに招き猫にしてあげると言われ、朝起きると人間になっていたらしい。
啓太の表情が険しくなる。
「招き猫って…間違えて人間になってるじゃん。しかも真っ裸だったし」
考えれば考えるほど分からなくなった。何をどうしたらそうなったのか、変身する時は服を着ているのがお約束ではないのか、現実はそこまで保証されていないのか。そんなどうでもいい疑問までもが頭をよぎる。
「あの日、変わった事とかなかったの?」
「んー、なかったと思うけど…」
「何か特別な日だったとか?」
「特別…そうだったのかな?」
確かに特別と言えば特別だった。それは啓太がハチを拾った日。しかし、当然二人はそこまで覚えてはいなかった。
何の手がかりも掴めないまま途方に暮れる。啓太はあぐらをかいたまま後ろへ手をつき、木目のある天井を漠然と見上げた。
「でもさ、ハチが猫だった頃も良かったけど、せっかくハチと話せるようになって一緒に出掛けられるのに、戻っちゃうなんて、なんかちょっと寂しいかも」
少し残念そうな表情を浮かべた啓太の言葉にハチの気持ちが揺らぐ。ハチは立てた両膝の上に腕を組み顎を乗せたまま少し考え込んだ。
「まぁ、たしかに…人間だからこそ啓太と一緒にできることも沢山あるしね。啓太の力にもなれるもんね。招き猫っていうか人だけど」
ハチが少し困ったように笑い、啓太も「それな」と釣られて笑う。
「色々不満はあるだろうけど、いつか戻れる方法が見つかるまでは、二人でなんとかやっていくしかないさ」
そう言って、啓太が立ち際にハチの頭をわしゃわしゃと撫で回して微笑むと、ハチもそれに応えるように嬉しそうな笑顔で小さく「うん」と頷いた。
【了】
ピリカさんよりピリカ文庫の依頼を受けて、なんとかギリギリ書き上げました!締切前日ですみません:( ;´꒳`;):
【猫】というテーマが、意外と難しくて苦戦しました(;'ω'∩)
そして、私の趣味嗜好全開ですが、危うくあらぬ方向に行かないようなんとかセーブしました😇(笑)
少しばかりのキュンをお届けできれば幸いです( ˘ω˘ )
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