読書感想 『青天』 若林正恭 「まっすぐに走り切ることができた奇跡的な小説」
小説『青天』は、話題になっていた。
本屋で平積みになっているのも見た。
これまで、オードリー・若林正恭の書いた著書は、ほぼ全部読んでいる。
オードリーの東京ドームのライブも何回も申し込んで、全部抽選に外れたので、映画館で上映されるライブビューイングを見に行った。
だから、それほど熱心でないとしても、毎週「あちこちオードリー」も見ているから、ファンといってもいいのだろうから、もしかしたら、今回の『青天』も、冷静な読み方をできていないかもしれない。
直木賞の候補になっているのも知った。
ようやく読んだのは、直木賞の発表があった後で、受賞しなかった、ということを知ってからだった。
(※これから先には、小説の内容にも触れています。なんの情報にも触れたくない人は、ご注意ください)。
『青天』 若林正恭
最初は、相手チームを偵察する場面から始まる。
テーマは、アメリカンフットボール。それも高校生のチーム。著者の若林が自身の経験をもとにしていることは、おそらく少しでも著者のプロフィールを知っていれば、わかることだった。
アメリカンフットボールは、戦略のスポーツ。相手がどんなプレーをしてくるのかわかれば、その対策を練ることができる。プレー開始後の数秒で、そのプレーの成否が決まると言われているだけに、だから、相手チームのことは知りたい。
だが、当然、お互いに、知らせたくないから、その偵察のような行為には敏感になる。実在する強豪の大学チームが、グラウンドから200メートル以上は遠くにある小高い山の中にまで、相手チームが偵察に来させないために、そこに下級生を配置させるという話を聞いたことがあるくらい、情報のスポーツでもあるのは知っていた。
それで、この小説の主人公であるアリと言われるプレーヤー。そのあだ名は、小さい体でボールを運ぶ姿がアリのように見えるから、という由来で、ポジション的に身長があればすぐに有利なわけではないにしても、でも、体が大きい方が当然有利なスポーツなのだが、主人公は体には恵まれていないことも、読者に伝えられる。
それは、どちらかといえば、平凡な存在が中心になって語られる小説だということでもある。それでも、試合に勝とうとして、一回戦で当たることになった強豪校のプレーを分析するために、身を隠すようにして、チームメイトと二人で偵察に訪れ、それが見つかってしまうところから物語は始まる。
そして、相手チームの優れた選手の強烈なタックルで完全にひっくり返されることで、主人公は、その偵察が完全に失敗したことを身をもって知る。
その隙間から、伊部は息ひとつ乱さず冷めた目で俺を見下ろしていた。
胸の重い鉛の感覚は、生まれ持ったものと今日までの過ごし方の違いを俺にまざまざと知らしめた。そして、俺の中の何かを粉々に打ち砕いた。終わりだ終わり。
何より、体感を中心して書こうとしているのもわかる。
そして、その痛みや衝撃も含めて、書くことで伝えようとする努力や工夫はしているけれど、読み進んでいくと、読者としては、それは、ヘルメットをかぶり、体ごとぶつかり合う経験をしていない人間には、やはり絶対に分からないことではないか、という思いになりながらも、主人公の、恵まれていない人間が戦うとする日々の積み重ねに関しては、少しずつ一緒に走れるような気がしてくる。
こんなに若くて真っ直ぐな話を、ラジオのイベントとして、東京ドームを満員にしただけでなく、トータルで16万人を動員した、という達成の後に、書き始められたということに、凄みを感じるが、逆に大きな成功のあとの虚脱感のようなものがあって、こうした自分の原点のようなものを確認しないと、その先がないと、著者は思っていたのだろうか。
そんな余計なことまで考えてしまうほど、切実な小説だとも思えた。
専門用語の扱い方について
アメリカンフットボールは、その競技名は知られていても、その競技の詳細について、知っている人はそれほど多くないと思う。
だから、こうした小説でも、その競技のことについての説明を入れてしまいがちではないかとも想像してしまった。
練習のメニューの中で、ドリル、1on1、スクリメージなど、その説明があったほうが、読者が「理解」しやすいのではないか。そのあとも、高校生のアメリカンフットボールの事情--実は大学生から競技を始める選手が多く、高校生プレーヤーの方が人数的には少なかったり、といったことも書きたくならないのだろうか。それに、QBやRBやSといったポジションの名称と、その役割なども伝えた方がいいのでは、と思ってしまうのは、個人的に、スポーツ関係の現場を取材して書く仕事をしていたせいもあるのだろう。
特に、この『青天』では登場していないアメリカンフットボールの専門誌で原稿を書く仕事を始めたときは、他のスポーツと比べても、戦略性が高く、オフェンスとディフェンスでは違うチームのようでもあり、一つ一つのプレーが、どのような意図で行われているのかが分かりにくく、しかも、ほぼ数秒で一つのプレーが多く、しかも専門用語が多いので、競技未経験者にとっては、理解するのが難しかった。
だから、こうしたアメリカンフットボールをテーマにした小説を読んでも、もう少し広く伝えるには説明したほうが、なるべく新規の読者を獲得できるのではないか、と思っていたが、この著者はそうした選択肢をとっていない。
考えたら、日々、アメリカンフットボールのプレーをしている高校生のプレーヤーが、小説の中とはいえ、突然、初心者向けの説明のような言葉や思考をし出したら不自然だし、それよりも、主人公たちが、勝つために努力や工夫をしている、という最低限のことだけつかんでくれれば大丈夫。もし、そこがわからなくて、そのことで読者を限定することになっても構わないといった潔さと、あとは、知らないことがあっても、読み進められるような文章のリズムが優れているのだと思った。
① ピッチオープン フェイク パス
② リバース フェイク パス
③ オープンHBラン W Rリバース
こうした耳なじみのないスペシャルプレーも、偵察に行って、相手の特徴を踏まえた上で、自分たちが勝つための選択肢で、それを身につけるための工夫と努力が大事、というおおまかな部分をきちんと伝えている。
河瀬は、NFLやアメリカのカレッジのプレーを度々輸入してくる。
そんなこともあって、ウチのチームは高校生らしからぬ凝ったプレーをすると、ほんの一部の人には知られていた。
さらに一緒に偵察へ行った同級生は、家庭環境が特殊で、ずっとアメリカの本場のプレーのテープに囲まれていた、という特徴によって、こうした選択をしても不自然ではないという説明もされているが、考えたら、本当にこの小説に出てくる単語や、もしくは、スペシャルプレーでも、その意味が知りたければ、今は、検索すればAIがすぐに答えてくれるから、現代は、以前ほど説明的な部分を省略しても大丈夫なのかもしれないとは思った。
それよりも、試合にむけて、主人公が何を考え、何をしているのかを具体的に積み上げていく時間が描かれているから、読者としては、自然に読み進めることができる。
体や心に伝わる感覚の描写
さらには、体や心に訴えかける感覚を描写することによって、同じ経験を持っていなくても伝わるような瞬間をつくり、それが普遍性のようなものにまで指がかかっているようにさえ思えてくる。
恥ずかしくて誰にも言ったことはないけど、こうやってフルでヒットして、衝撃がメットとショルダーを通過して身体に届く時、痛くて苦しいけど生きてるなって感じられる。いつもはずっと死んでるみたいだけど、この瞬間だけは生きてるってことがよく分かる。
これから試合のときも、こうした感覚のようだ。
試合前のこの時間は、頭の中で爆走する姿とヒットを食らって死ぬ姿が交互に自動再生される。「試合を楽しもう」ってみんな言うけど、俺は楽しみだなんて思えたことは一度もない。
試合が始まると、相手の強さは体でわかる、という描写が続く。
いくら試合前に強がっていても、試合が始まってヒットすれば、自分が〝本当はどう思っていたか〟を突きつけられる。
本当は〝怖かった〟のか……。
隠し撮りに行く前から、遼西学園がずっと怖かった。
怖いならそこから目を逸らさずに準備すればよかった、目を逸らしているから……。
練習してきたプレーもうまくいかない。
徹底的にゲームに拒絶されて、嘲笑われる。
鼻の奥で圧縮された悔しさと不甲斐なさが振動する。
ファンブルリカバータッチダウン。
うまくいかないときのチームのもめごとのようなことは、部活動などに関わったことがあれば、自分も含めて、身に染みるように思い出す。
俺の頭上で近野と岡本が防具を掴んで揉み合い、二人の足がショルダーパッドに当たる。
気づいたら勢いよく立ち上がっていた。
俺のショルダーが当たった二人が、体勢を崩して紙切れのようにふらつく。
「ってえな!」
近野がヤンキー漫画のような目つきで俺を睨む。
首が細い。
「狭山、終わろう」
狭山が「最後まで俺たちらしいな……」とため息をつきながら笑って、最後のハドルは解けた。
その後、集合写真を撮ることになったが近野の姿はなかった。
この中で、唐突に見える「首が細い」という表現も、アメリカンフットボールのプレーヤーならば、安全のためにも必ず鍛えるべきことなのは、少しでも知識があればわかるし、ましてや経験者であれば、もっと感覚的に、この選手はダメだ、と思ってしまうような言葉のはずで、こうした現場の表現も容赦なく使っていそうだから、競技経験者であれば、もっと深く読める小説でもあるのでは、と思った。
真っ直ぐに走り切る物語
この小説の構成は、第1章、2章という区切りではなくて、「第1Q」「第2Q」「第3Q」「第4Q」「オーバータイム」と、アメリカンフットボールの試合の進み方と、同じような区切りかたをしている。
試合でいえば、1Qと2Qは前半で、3Qと4Qは後半。オーバータイムは、4Qまで戦っても同点で、決着をつけないといけない場合に、さらに試合が続けられることを指す。
戦略のスポーツでもあるアメリカンフットボールは、前半と後半の間のハーフタイムで、強いチームほど、そこまでの戦い方から分析し、後半は全く違ったチームようになることがある。
この小説でも、「第1Q」「第2Q」の前半から、「第3Q」に入ると、その気配がガラッと変わる。
そこからは、主人公やチームの、日々の地道で具体的な積み重ねが続き、その過程でさまざまな摩擦やトラブルも当然起きてくるが、そうしたことも含めて、主人公はとにかく少しでも強くなろうとする毎日に対しては、妥協をしない。
さらには、ただ体を大きく強く、プレーをうまく正確に、そしてチームとして強くなっていくだけではなく、そうした日々を、そして戦うことを、どう考えたらいいのか?といった哲学的な思考まで鍛えていこうとし、それすら具体的な戦いの場に導入しようとする。
そして「第4Q」に入ると、そこは、その蓄積を発揮するような時間になり、ある意味では何のてらいもなく、するべき努力をしてきた人間が、その分だけ報われていく姿が表現されることになる。
とても真っ直ぐな物語だった。
とはいっても、少年漫画のように、急に強くなって、予想もしない展開になるというのではなく、運命への抗い方のようなものを、高校生のアメリカンフットボール部、という具体的な存在を通して表現していて、それは、いつの間にか、とても限られた世界を描き続けていながら、普遍的な世界にまで到達するように、主人公はアメリカンフットボールの本質までつかむような場所を、走るようになっていく。
そして、その気配は「オーバータイム」に入っても続いていき、最後まで走り切っていく。
すでにベテランとなり、笑いの時代を変えた人物の一人として、さらには、大きなイベントも成功させた中年になった人間が、ここまで真面目に真っ直ぐに、自分の中の皮肉な部分も押さえ込んで、自身の初めての小説で、スポーツの魂といっていいものを描き切ろうとしたこと自体が、一種の奇跡的なことのように思えた。
つながっている姿と言葉
繰り返しになって申し訳ないのだけど、個人的な経験としては、ちょうどこの小説が描いているような時代に、フリーライターとして、アメリカンフットボールの取材をして、原稿を書く仕事をしていた。
現在、アメリカンフットボール日本一のチームを決める『ライスボウル』という試合が、社会人同士で争われているのは、大学生チームとの力の差が広がってしまったためなのだけど、以前は『ライスボウル』は、大学生代表と社会人代表での試合だった。
それも、私が取材をしていた、1980年代から1990年の頃は、社会人よりも、大学生のアメリカンフットボールチームの方が練習量も多く、チームとしても強い時代で、社会人チームは、大学を卒業後も、仕事を続けながら、練習時間も学生ほど取れない環境の中で、どうやって強くなっていくか?をまだ模索している時代だった。
私が原稿を書いていたのは、1980年代後半に、2度目の創刊をした専門誌なので、先行の伝統ある「タッチダウン」誌とは差別化する狙いもあって、社会人フットボールを多く取り上げていたと思われるのだけど、ライターとして仕事の依頼を受けて書いているうちに、まだ環境の整わない中で、それでも強くなろうとする選手たちの姿や姿勢は敬意を持てるものであり、それまで実践だけでなく、取材に縁がないスポーツだったのけど、学びながら、文章を書き続けていた。
ただ、取材者として、どれだけ経験を積んだとしても、実際にヘルメットと防具をつけてプレーして、ぶつかり合った経験がなければ、わからないことがある限界を感じながらも、それまでの自分の仕事の基本的なスタイルでもある「人物もの」を中心に原稿を書かせてもらった。
彼らは、日本一を目指しているし、目指せる場所でプレーできるだけの力を持っている人たちばかりだったから、『青天』でいえば、全国大会常連校で中心メンバーである伊部のようなプレーヤーの集まりか、それ以上の人たちであったはずだ。そして、彼らは皆、アメリカンフットボールのことを、フットボールと呼んでいたので、いつの間にか、取材する側にも、そういう習慣が身についていた。
1980年代の終わり頃から、1990年代の後半に、仕事を依頼されていた専門誌が休刊するまでの約10年間、社会人や大学生の試合や、練習(は競技の性質上、かなり制限されることも多かったが)を取材し、選手やコーチや監督や、関係者の方々にインタビューをさせてもらっていた。
その経験が多くなるほど、気持ちの動く試合も見ることができたし、選手やさまざまな関係者の方たちの言葉を聞きながら、ひそかに感動する思いにもなれたから、ライターとしては幸福な年月だったとも思う。
試合に勝って、疲れているはずなのに、嘘のように激しく動き回って、喜ぶ姿を見せていた大きな体の選手たち。
有利と言われながらも負けて、フィールドのあちこちでハドルをつくって、涙と共に捲土重来という言葉で後輩たちに想いを伝えようとしていた強豪校。
信じられないような難しいパスをキャッチしているのに、その瞬間は記憶にない、と語るW R。
ボールを持って、人が密集している混乱の中、光が見える方向へ走ると、抜けていると話をしていたRB。
試合の残り時間がほとんどない中、最後に逆転までをお膳立てしたQBが、そのオフェンスが始まった時のファーストプレーのときは、自分のプレーがあまり良くなかったので、味方の他のプレーヤー全員を完全に信じることにしたという試合後に聞いたコメント。
もっと色々な貴重で特別な言葉も聞いていたはずだし、試合の時間の中で、思わず奇跡という表現を使ってしまいそうな場面にも遭遇できた。
今回、『青天』を読んで、同じスポーツを扱っているとはいっても、自分が取材できた現場とは様々な違いがあるのはわかっているつもりだった。
フィクションと事実の違い。さらに高校生と大学や社会人という立場の違い。そして、東京都大会と、日本一を目指すリーグ戦といったレベルの違い。
だけど、この小説を読みながら、すでに20年以上前のことにも関わらず、普段は忘れていたはずの、取材をさせてもらったフットボールの現場で起こっていた様々なことや、大げさにいえば魂のこもった言葉を聞いたときのことを思い出していた。
何かが、つながっているのだろう。
この小説を読んで、読み終わって、すでに自分も取り返しのつかない年齢にさしかかっているにも関わらず、もう少し真面目に毎日を生きようと、思っていた。
おすすめしたい人
ある意味で限定された世界を描いていて、読者を選ぶような題材のはずなのに、実は思った以上に幅広い人に届く力がありそうです。
この記事を読んで、少しでも興味を持てた人は、ぜひ、全編を読んでいただくことを、おすすめします。
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