「ゲルハルト・リヒター展」は、行けなくて残念だったけれど、テレビ番組を見て、後悔に変わった。
最初に、抽象画と具象画の、それも現代の作品としてどちらも完成度が高く、とても格好がいいと思った。そんなにたくさんの作品を見ていないけれど、そのうちに怖さもあるすごい作家だと思うようになった。
ゲルハルト・リヒター
私が名前を知った頃は、アートや美術に興味が少しでもあれば、知らない人はいないくらいの「20世紀を代表するアーティスト」と言われていた。
自分にとっても気になりながらも、その作品を少しだけ見る程度で、でも、それはいつも考えさせられるようなものだった。
1997年に、東京都現代美術館の常設展で、エリザベート(1965)という作品を見た。フォトペインティング、という技法なのは知識として知っていた。
水着の女性が座っていて、そのピントがぼけている。どこかの新聞記事の1部かもしれないし、有名な人なのかもしれない。それは知らないが、でも、このピントが微妙にぼかされているだけで、本来ならば全く知らない人なのに、ありもしないノスタルジーが漂っていて、ひきつけられた。
2001年には、千葉県の川村美術館で展覧会を見た。
フォトペインティング。こう言ってしまうと、ある形にはめ込みすぎる気もするが、それでも写真を精密に描いて、それをピンボケのようにするだけで、人間の感情が刺激されるのは不思議だった。
色見本を焼き物にしたような作品が並ぶ。
すごく粗いタッチに見えながらもその線の一つ一つが計算され尽くしたように見える絵画。
いわゆるアブストラクトペインティングも、抽象的なのに、筆跡を意図的に表しているようなシャープさを感じる。
ガラス板の後ろにただグレーのシートをはっただけの作品。
ものすごく不吉な感じの花の絵。
壁という名前のついた向こうから光の射すような絵。
どれも、とても頭が良くて、少し近寄り難い印象がある。
写真
そして、ものすごく膨大な量の写真が並べられている。
感情がない。そんな印象の写真ばかりだった。
全ては、素材なのかもしれない。
リヒター自身の配偶者や、子供の写真でも、通常であれば感じられる感情が伝わってこない。
作品のすべてが理知的に見える、というよりも、時々、それが極まり過ぎて怖い、という印象まであった。
その展覧会を見た後は、ギャラリーや、グループ展などで、時々、作品を見ていたけれど、少し遠くからでも「リヒターだ」などとミーハーな気持ちになるくらい、それこそエッジが効いている印象は変わらなかった。
年月が経つほど、現代美術界の巨匠のようになっていったようだった。
展覧会
2022年に、東京で大規模な展覧会を開催する情報だけは、その前年からは知っていた。
東京・竹橋にある近代美術館は、それほど人混みが多くないし、コロナ禍でも行きやすい場所だった。
家族には気管支炎を持つ人間もいたから、コロナ禍以来、何しろ感染をしないように、外出を自粛して、だけど、2021年の年末にはかなり感染者数が少なくなったから、2022年には展覧会も行けそうで楽しみにしていたのに、年が明けてから、感染者数は爆発的に増えた。
だけど、すでに行動制限も行われる気配もなく、「ウイズコロナ」という言葉も自然になってきたけれど、ただ気にしない感じだけで、体が弱い人間にとっては状況は変わらないように思えていた。
6月から展覧会は始まり、夏に向けて新規感染者数は増え続け、9月になり、減少傾向になってきた時には、会期が終わりに近づき、こうした美術関係の催しは、最後の方が混むので、やっぱりこわくて、行きたい気持ちもずっとあったけれど、諦めることにした。
残念だった。
ビルケナウ
NHKの日曜美術館で、今回の展覧会のことをテーマにしていたのを知っていたが、行けるようになってから見ようと、録画したままだった。
それを、東京での展覧会が終わってから、妻と一緒に見た。
ドイツの画家ゲルハルト・リヒター(90歳)。若き日に、当時の東ドイツから西ドイツに亡命し、革新的な画風で、世界最高峰と称賛される現代の巨匠だ。そんなリヒターが、82歳にして挑んだのが、アウシュビッツで行われたユダヤ人の大量虐殺。強制収容所の写真をもとに描き始めたリヒターは、その絵を黒や赤の絵の具で覆い隠すようにして大作を完成させた。一体なぜ。集大成の作品からリヒターの創作の秘密に迫る。
東ドイツで生まれ、西ドイツに亡命したリヒターにとっては、第2次世界大戦のナチスによる強制収容所のことは、半世紀以上、向き合い続けた、とても重いテーマだったのは間違いないと想像はできるけれど、すでに巨匠として、何かを製作しなくてもその名声は揺るがない時期になって、困難に違いない作品を仕上げたことを知らなかった。
それは、やっぱりすごいことだと思った。
後悔
番組の中で、やはり若い頃に戦争をテーマにした作品を制作した美術家の会田誠が、ちょっと言い方悪いですが、と前置きをしてから、もういつ死んでもおかしくない年になってから、このテーマで作品を仕上げたことの凄さを、敬意だけでなく、畏怖も込めて語っていた姿を見て、後悔する気持ちになった。
見に行けばよかった。
それはコロナ禍で、もし感染して、しかも知らずに家族にうつした場合、気管支炎を持つ家族は、重症化する確率も低くないし、自分自身も持病があると言ってもいいのだから、特に感染が拡大している頃は、感染しても入院もできず、もしかしら死ぬかもしれない、と明確に恐れていたから、出かけることができなかった。
だけど、行けばよかったという後悔は、しばらく残るのも間違いないように思った。
テレビ画面を通して「見た」だけでも、その凄さは分かったし、その作品を仕上げた後に、アブストラクトペインティングが、やや軽くなり明るくなり、ゆるさが見えてしまって、それに対して、テレビで見ただけなのに、厳密さの薄れたことを、つい文句を言ってしまったら、一緒に見ていた妻が、あれだけの作品仕上げたら、ゆるんでもしょうがないよ、と答えてくれた。
その通りだと思った。
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