ラーメンの袋に懐かしい顔があった。
スーパーの食品売り場に行くと、いろいろな顔が並ぶコーナーがある。
最近は、袋入りの生タイプのラーメンだと、そのパッケージに、「有名店」の店の写真や、場合によっては、その店主が腕組みしたりする姿があったりする。
そうした種類のものは値段もそれなりに高いので、普段は目にして通り過ぎているだけだったのだけど、自宅の冷蔵庫の中に、自分が知っている懐かしい顔があった。
ラーメンの鬼、と言われた人で、名前は確か、佐野さんだった。
普段は全く忘れていたのに、自分がこれだけ覚えているのが不思議なくらいだった。
ラーメンの鬼
今も、似たような企画はテレビで見ることができると思うけれど、20年くらい前に、ラーメンの鬼と言われて、多数の番組に出ていたのが佐野実氏だった。
佐野氏が、自分の経営するラーメン屋では、香水の強い客は入店禁止、さらには店内での私語禁止ということが有名で、そうしたエピソードを象徴するように佐野氏は、厳しい表情をしている姿ばかりが印象に残っている。
だから、そのラーメンがおいしいと言われても、怖さが優って、あまり店舗に行こうと思えなかった。
ただ、佐野氏が出演するテレビ番組では、そのラーメンの味を学ぼうとする希望者が集まり、すぐに教えてくれ、と要求する参加者と、そんなにすぐには教えられない、とする佐野氏の間で、かなり緊張感のある場面が多かった。その番組は、トラブル自体も売り物としていた気配も強かったから、冷静に考えれば、その意見の対立も、どこまで本当かはわからない。
それでも、テレビで見ていただけでも、ラーメンへのこだわりがとても強いのはわかったし、素材への集中力などもすごいと思っていたし、できたらそのラーメン屋にも行きたいとも思ったのだけど、なかなかその気になれないのは、繰り返しになるけれど、私語禁止と言った緊張感の中で、食事をするのに抵抗感があったからだ。
そして、これだけ覚えているのは、自分が特に興味が強いというよりは、それだけ佐野氏が多数のテレビ番組に出ていた、といったことなのだと思う。
だから、今回、「支那そば屋 ざる中華」のパッケージに、佐野氏の写真を見た時に、すぐに「ラーメンの鬼」という言葉が浮かんだのだろう。ただ、本人が亡くなってから、10年ほど年月が経っているのに、まだ覚えているのは、というよりは、覚えられるほどの印象があるのは、すごいことかもしれない。
ただ、佐野氏がテレビ出演が多かったのは、確か、2000年代に入ったばかりの20年前くらいのことで、そうなると、このパッケージが有効になるのは、ある年代以上の人たちになるけれど、それでも販売に踏み切るほどの知名度が、こちらの想像以上にあるのだろうか。
離婚した記憶
この「ざる中華」を妻が買ったのは、少し割引だったから、というのもあるけれど、妻にとっても「ラーメンの鬼 佐野」という記憶はあって、普段の3玉で一袋よりは高額になるけれど、佐野さんなら、という気持ちもあって、買ってくれたようだ。
なんだか、気を使わせてしまって、申し訳ないのだけど、確かに、冷蔵庫で見つけたときは、すぐに「ラーメンの鬼」というようなことを思ったから、妻の予想通りだった。
それで、そのテレビの話をしたときに、妻が真っ先に言葉にしたのが、離婚のエピソードだった。
佐野氏がテレビ番組に多数出演していたとき、店を手伝っていたのが、当時の配偶者だった。その女性は、画面で見ていただけだけど、なんだか辛そうで、そのうちに、家を出て行って、離婚してしまったことまでテレビで明らかになっていた。
その詳細については、私はあまり覚えていなかったのだけど、妻は、あの頃、奥さんは辛そうだった。いつも、開店前に必ずラーメンを食べさせられていた。もう少し違うものも食べたいのに、といった話もしていたらしく、だから、出て行っても仕方がない。と妻は教えてくれたのだけど、それは、今も配偶者の辛さが続いているような話し方だった。
そういえば、そうだった。
そして、同じ番組を見ていたはずだったのに、覚えているところがかなり違うのも改めてわかった。
ラーメン博物館
私語禁止という張り紙が貼ってある店内がテレビなどで映されていたし、店主の佐野氏のたたずまいも、厳しめだったから、やはり緊張感も高そうで、店の場所は行けなくはない距離感だったのだけど、行く気になれなかった。
それでも、すごくおいしいラーメンであれば、その頃は、個人的にはかなり辛い時期で、介護で病院に通っていて、だから、妻と一緒に行ったときは、ラーメンが好きな妻のためにも、自分のためにも、帰り道の途中で寄れるラーメン屋には寄っていた。
おいしいラーメンを食べていて、しかも、妻がおいしいという笑顔を見るのは、やはり気持ちが軽くなる瞬間だった。
だから余計に佐野氏のラーメン屋に行くには、ちょっと覚悟がいるので避けていたが、一度はそのラーメンを食べたかったので、新横浜にあるラーメン博物館に出店すると知って、食べに行ったことはある。
そのときは佐野氏がいなかったこともあって、普通のラーメン屋として、おいしく食べることができた。
ただ、こうした出店なので、実際の「支那そば屋」の本店とはちがうのかもしれないけれど、個人的な好みで言えば、その頃に帰り道にいったことのある「くじら軒」や「中村屋」の方が好きだった。佐野氏のラーメンは、真面目すぎるのではないか、と思ってしまった。
でも、一度は食べたい佐野氏のラーメンを食べることできた満足感はあった。
地元の店
2000年代以降、佐野氏をテレビで見る機会は減っていった。
店が移転したという情報だけは知っていて、その住所が、自分の故郷でもある場所で、どうしてなのかと検索をしたら佐野氏の生まれ育った場所だということも知った。
自分も生まれ育ったところとかなり近い場所で佐野氏も生活していたのかと思うと、年齢も違うし、同じ区内だとしても、相手にとっても同郷などと言われるのも嫌かも知れないが、それでも意外だったし、そのことで勝手にちょっと気持ちが違った上に、そこにある店ならば一度は行ってみたいかもしれない、などと勝手なことも思っていた。
そして、いつか行けるのかも、などと考えていて、毎日の生活の中で忘れていたら、佐野氏が亡くなったことを知った。
60代なので、やはりまだ若いのにと思った。
支那そば屋 ざる中華
ラーメンの鬼、と言われた佐野氏の顔を、ラーメンの袋で見ただけで、そんなようなことまで思い出したから、本当に一時期は、テレビなどでよく見ていたのだと、改めて思って、こんなに覚えていることは、自分でも意外だった。
そして、寒い季節からようやく気温が上がってきた頃に、妻が、昼食でざる中華を作ってくれた。
妻は、めんが上品だし、つけ汁もおいしい、と笑顔だった。
さっぱりした味で、女子は好きだと思う。という感想だった。
確かに、最近は、こうしたスーパーなどで売られているつけ麺でも、つけ汁は、かなりこってりした味が多く、それはそれでおいしいとも思うのだけど、久しぶりに、こうしたすっきりした味のつけ麺を食べて、逆に新鮮な気持ちになれた。
おいしかった。
それに、妻ともラーメンの鬼・佐野氏の話が、これだけできるとも思わなかった。
楽しい昼食の時間になった。
現在の「支那そば屋」
久しぶりに食べたことで、現在の「支那そば屋」のことが気になった。
確か、佐野氏の弟子と言われる人たちが、ラーメン店を開いていたはず、といった情報は少しだけ知っていた。
この記事は2023年だから、つい最近でも、弟子の店は何店舗かあって、しかも評価も高いようだ。
その中で、戸塚の本店は健在で、しかも妻の佐野しおりさんが先頭に立っている、という表現を読んで、あれ、と思ったのは、確か、ラーメンばかりを食べているのが嫌で、家を出て行って離婚したはず、という記憶があったからだった。
だから、下品な行為だと思いながらも、自分の疑問を解きたくて、佐野氏のプロフィールなどを検索してみると、結婚は2度していて、今の店頭に立っている女性は、再婚した相手のようだった。
勝手なものだけど、それで納得できた。
さらには、今も戸塚の店は健在だとも知ったので、その駅の近辺は再開発によって、自分が子どもの頃とは全く違う風景になってしまったのだけど、その後にできた様々な新しい記憶の中に、佐野氏の開いた支那そば屋も確かにあるのだから、できたら、一度は行ってみたい気持ちにはなった。
それは、勝手な思いに過ぎないけれど、でも、似たようなことを思っている人も、意外なほど多いから、今回のように佐野氏の顔を前面に持ってきたラーメンが販売されているのかもしれない。
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