30年前・紺の就活スーツ。
久しぶりにタンスを整理した。
とても一人ではできないので、申し訳ないのだけど、妻にほとんどやってもらって、やっとできた。
一番すみに、スーツがかかっていたのを、どこかで意識していたのだけど、それが、また着られるのか、を確かめることが、おっくうで出来なかった。それは、確か、30年以上前の就活で使っていたはずだった。
就職活動
30年前の就職活動でも、髪型を突然、リクリートカットというきちんとした髪型にして、急に日経新聞を読み始め、面接のマニュアルのような本を購入して、備えることが一般的だった。
そして「○月○日に、この業界を志望する人間は、電話をした方がいい」といった妙な噂が突然流れ、それに振り回された、というよりも、そういう情報が回ってくることも少なかった。
今振り返ると、変な自信があったのか、単に愚かだったのか、何より面倒臭かったのだろうけど、自分自身は、こうした就活への備えをほとんどしていなかった。髪は、自分で切っていて、すでに4年のキャリアがあったから大丈夫だと思っていたし、付け焼き刃の知識は役に立たないのではないかと思って、今までと変わりない生活をして、面接のマニュアルも読んだことがなかった。
そのせいもあるのか、内定を複数もらうことが当たり前の時代だったのに、就活はうまくいかず、気がついたら、大学4年生の冬になっていた。
同級生で、そんな動きをしているのは、知っている限りではあと一人だったけれど、その友人も、就職先が決まったと聞いた。
それは、自分がいろいろと出来ない人間だったのは間違いないのだけど、就活が、今と大きく違うことの一つは、就活は大学4年生から始まったことと、もう一つは、スーツの色だったと思う。
スーツの色
こうした記事でも、今のように就活のスーツが「黒」になったのは2002年以降と書かれているから、それ以前の就活では、さまざまな色のスーツが着られていたと思う。それでも、自分としては、なるべくオーソドックスにした方がいいと思い、選んだのが紺色だった。
そのスーツを着て、春頃から就活を始めて、内定が出そうになったところは断ったせいか、その後は全く決まらなくなり、結局は、志望していたマスコミ業界に応募し、その面接が進んだときは、すでに冬近くになっていた。
だから、春夏用のスーツではなんとなく寒くて、だから、もう1着、就活用のスーツを作ることになった。親は、どうして決まらないんだ、といらだちのようなものもあったようだけど、それは、同世代では、就職先が、それも正社員に決まるのが、当時の大学生では常識のようなものだったせいだろう。
それでも最初は競争率が高いから無理だと思っていたマスコミで、それも2つから内定が出て、かなり迷ったものの、現場で働けると思ったスポーツ新聞社に就職を決めたのが、12月だった。
もちろん、これからの不安はあったけれど、普通のサラリーマン家庭だったから、働く先は決めたかったので、ほっとしたのは覚えている。
3月から働いていたから、今で言えば、ほめられたことではないけれど、3月末にはゴルフ記者として、取材現場のゴルフ場に行き、4月初旬には一人で出張に行って、短い記事を書き始めていたから、研修などが嫌だった自分にとっては、とにかく現場で働くのが早くて、ありがたかった。
2着も作った紺のスーツは、就職してからも着られるように、と思っていたのだけど、3月に社内で働いていた頃、別の部署の部長に、「スーツなんか着てくるな」と言われた。とっさに、「すみません、せっかく作って、それも、2着目なので、ほとんど着ていないので、もう少しいいでしょうか」と言ったけれど、やっぱり不愉快な顔をしていた。
だから、その紺のスーツは、入社して、二週間もしないうちに使わなくなった。
夏はポロシャツ。寒くなると、その上にセーターを着て、もっと寒くなるとジャンパー。そういう格好で、仕事をしていたから、スーツはタンスにしまわれたままになった。
スーツを着なくなると、ネクタイを結ぶことも下手になるし、何より、スーツが似合わなくなる。20世紀は、会社勤めはワイシャツにスーツにネクタイがユニフォームのようだったけれど、その格好が、おそらくは人格にも影響を与えるのだと思う。それに就職してから、急速に太ってしまい、そのスーツは物理的に着られなくなったので、20代後半になって、急に周囲で結婚式が増えて、その出席のために、またスーツを作ったけれど、それは、本当に冠婚葬祭の時にしか使わなかった。
タンスの中の30年
最初の会社には1年半。次の出版社には1年半。だから、3年で2社で働き、その後は辞めて、フリーのライターになった。それで10年働いたら、親に介護が必要になり、結婚していて、その相手の親にも介護が必要になり、私自身が心臓の発作を起こしたこともあり、仕事を辞めて、介護に専念した時間が長く続いた。
その間に、体重は増えたり、心臓の病気の後は、体重を落としたり、といった体型の変化もあったし、引っ越して一人暮らしをしたり、また実家に戻ったり、結婚して二人暮らしになり、義母と一緒に住み介護をするようになったりといった変化があった。
そのたびに、タンスの中を、多少は整理して、20代後半で作ったスーツは少し古くなっていたし、体重が減ってダブダブになっていたので、処分したりした。
それなのに、2着目の紺の就活スーツは、捨てられなかった。
太っている時は、やせたら着られるかも、と思っていたけれど、そのあとは、スーツを着る機会そのものがなかった。
紺のスーツ
今回、妻が協力してくれたので、その紺のスーツの上下をタンスから出した。そして、何十年かぶりで身につけた。上着は、フィットしていた。思っていたよりも、大丈夫そうだった。
妻にも確認してもらったけれど、虫食いなどのあともない。
ちょっと意外だった。
ズボンも、妻にすすめられて、履いてみた。
かなりブカブカだった。
大学時代の方が、今よりもウエストが太かったようだ。
とても意外だった。
ただ、考えてみれば、体重そのものは、今よりも5キロほど重かった。当時は、サッカーをしていて、身長が高くないので、筋肉をつけた方がいいし、アルゼンチンのマラドーナも、かなりガッチリしていたので、重い方があたりにも強くなるという思いもあり、どこかで見本にしていた。
だけど、考えたら、その後、なるべく体脂肪を減らした方がサッカーをするには適しているというのがハッキリしたのだから、本当は、学生時代も、今くらいの体重にした方が、走るときにスピードも出たはずだと、今ではゆるく感じるズボンで、ちょっと思った。
そのズボンは、妻が、カビが生えているのを、見つけてくれたこともあって、捨てることにした。身につけないで、捨てていたとしたら、そのサイズの変化は分からなかった。
スーツの上着は、まだ着られそうなので、とっておくことにした。
何十年か前で、紺といっても、青みが強めで、おそらくは最近の黒みがかった紺とは違うから、古い感じが出るかもしれないけれど、2着目の就活スーツで、ほとんど着ないまま、引っ越す時も、ずっと保存し、タンスにあり続けたかと思うと、ちょっと不思議な気持ちになった。
(他にも、いろいろと書いています↓。読んでもらえたら、うれしいです)。
#買ってよかったもの #スーツ #就職活動 #面接
#タンス #ズボン #上着 #洋服 #毎日投稿
#バブル期
いいなと思ったら応援しよう!
記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。