「いかとり」という名前を知ってますか? 『「大学名マウンティング」を考える』
知っている人がいたら、もしかしたら、私の知り合いの方かもしれません。というくらい、狭い範囲で話していた名称ですが「いかとり」というのは、「いかにも都立」という言葉の略だと言われていました。
都立というのは、最近、名前が再び変わって、元に戻った東京都立大学のことです。「首都大学 東京」から、「東京都立大学」に戻る時には、これまで、ほとんど注目されてなかった、自分が通っていた大学の名前を、これまでにないほど、多く聞くようになりました。
その時に、やっぱり昔を思い出し、別の場所で何年か前に「いかとり」の話をした時に、想像よりも興味を持ってもらったことも、さらに思い出しました。
もしかしたら、伝える価値が少しでもあるかも、と思って、この4月に名前が戻ったタイミングからは、ちょっと遅いのですが、今なら触れてもいい話題では、と思いました。
東横線沿線の大学
東京都と神奈川県を通っている東急の東横線という路線があります。
今はずいぶん遠いところまでつながるようになりましたが、桜木町から、渋谷までを繋いでいた頃の話ですから、1980年代のことです。
東横線沿線には、その頃(現在も)、いくつも大学がありました。
白楽には、神奈川大学。日吉には、慶應大学(日吉キャンパス)。都立大学駅には、東京都立大学。学芸大学駅には、すでに学芸大学はなく、あとは渋谷駅に青山学院大学、國學院大学、実践女子大学がありました。
東横線というのは、今でも独特のステータスがあるような気がします。
そして、こうして大学名を並べてみると、他の大学の方々には申し訳なく、自分が無知なだけかもしれませんが、今でも、やはり慶應と青学が、もっとも「華やか」な印象があります。
1980年代の、地味な大学生活
わたしは、都立大学に通っていました。横浜で乗り換えて、毎日のように30分ほど東横線に乗っていました。
実家は、そんなに経済的に豊かでないのは知っていたので、大学に行くなら国公立にしてほしいと言われた時も、納得できました。当時の私の記憶では、文系で、学費が年間10万円代でした。私立は安いところでも30万円代で、少し高いと70万円代でしたから、確かに圧倒的に安く、だから、一浪をさせてもらっても、(お金の節約からいえば、微妙ですが)国公立を目指し、都立大に入学しました。大学に入ると、似たような、実家にあまりお金がない、といった話を聞くことも多く、当時は、特に、そんな傾向が強かったと思います。同じ語学クラスで、身長が180センチ以上ありそうな同級生は、3畳一間の下宿に住んでいました。
その時代は、松任谷由美が、一つのピークを迎えようとしているような頃でした。もしかしたら、大学生がいちばん「チャラ」かったのが1980年代前半かもしれません。どこの大学でも、年間を通して、テニスとスキーをするようなサークルが、必ず存在する頃だった印象もあります。
そんな時代に、気がついたら、私はサッカー部に入り、床が土で見えないような部室で着替えて、スパイクを買うお金もそんなにないので、片方が壊れたら、うまく組み合わせて、左右違うスパイクを履いて、ボールを蹴ったりしていました。練習試合などで、他のキャンパスに行ったりすると、屋内プールがあったり、サッカー部員であっても(あっても、という言い方が変ですが)お洒落な人間ばかりがいる大学もあったり、本当に華やかな女子大生が多く歩いている場所もありました。
こういうところがキャンパスっていうんだ、と思って、うらやましい気持ちになることも少なくなかったと思います。そして、こういう屈折は、お恥ずかしいですが、今だに尾を引いていると思っています。
(ただ、サッカー部に入って、同期や先輩や後輩にも恵まれていたのも事実です。何十年かたって、今も年に2回くらいは、集まってサッカーを出来ていますし、改めてありがたいと思っています。学内では、学部の同期にも恵まれていて、長い時間、いっしょにダラダラしていました)。
そんな貧乏くさいエピソードが多くあったように、華やかな時代の中で、その流れに乗れない大学が、都立大学だった印象があります。もちろん、私がいた場所がそうであって、違う人もたくさんいたとは思いますが、それでも、毎日のように東横線で通っていて、華やかで、さわやかに笑っている大学生っぽい男性が、日吉で降りたりすると、ああ、やっぱり慶應だ、などと黒い気持ちがわくこともありました。
本当は、その人が慶應大学の学生かどうか分からないのに、なんだか勝手にうらやましがっていました。渋谷行きの東横線を、自分が各駅停車しか止まらない都立大学駅で降りて、まだ乗っている華やかな若い男女のグループを見たりすると、青学なんだな、と思ったりしていました。自分が、パッとしない大学生で、屈折していたから、よけいに、そんなことを思っていたのだな、と今なら分かります。
それは、個人的なひがみに過ぎず、そして、慶應生でも、青学生でも、当たり前ですが、いろいろな事情があったに違いないのですが、その頃はそんなことにも気がつきませんでした。ただ、実家の経済力の差は明らかにあって、それが華やかさの違いになっている部分もあったのだとは思います。
当時の私立と、国公立に、そういう違いがあったことに、2020年の現在では、国公立の学費が高くなり、私立と変わらなくなったので、こんな話はピンと来ないと思います。さらに、現在の方が大学生はとても真面目なので、よけいに、こういう感じは伝わりにくいのかもしれません。
「いかとり」という名前
大学に通ってしばらくたった頃、「いかとり」という固有名詞を知りました。
誰から聞いたのかも、すでにあんまり覚えていませんが、同じ東横線を使っている、慶應大学や青山学院大学の学生が、同じ車両にいるパッとしない大学生を見て「いかとり」とひそかに呼んでいるらしい、という噂でした。都立大学駅は、日吉と渋谷にはさまれていたので、よけいに言われやすい、という理由もついていたと思います。
正式?にいえば、「いかにも都立でダサい」の略で、しかも嘲笑でした。それは、むかついたとしても、自分もダサくないとはいえないので、そして、急におしゃれになったりもできませんでしたから、ただ、内側で悔しがるだけでした。
「いかとり」は、トレーナーにジーパン、ショルダーバック、みたいな格好のことらしい、とも聞いたのですが、その真偽は分からないままでした。
「大学名マウンティング」という言葉は、その頃はなかったと思いますが、今から考えると、「いかとり」という略称も、その一種かもしれません。
大学は、今でも「難易度」「社会的認知」「イメージ」といった要素によって、マウティングをしたり、されたりしているような気がします。今は、そこに「国際的競争力」みたいな項目もありそうです。当時の都立大学は、個人的な印象ですが、どれも突出したレベルではないのですが、特に「社会的認知」と「イメージ」が弱かったようでした。ただ、教授陣が、昔も今もかなりすごいということは、勉強していなかった大学生には、理解できないことでもありました。(すみません)。
大学に合格した頃、近所の人に「都立、なに大学ですか?」と聞かれました。学部で100人くらい。全学部でも学年で1000人くらいの規模でしたから、人数の少なさは出身者の少なさにつながり、必然的に社会での力や認知度にも影響があると感じてきました。
そして当時の都立大の「イメージ」は、やっぱり地味だったと思いますが、それは必ずしも、悪いことばかりではなく、自分にとっては、それが合っていたのに、当時は、素直にそう思えなかったのは、若かったから、だと思います。
そして、時代が変わっても、形は多少変化しても、そんな「大学名マウンティング」のような事はあるでしょうし、基本的には、どれだけ当事者が切実でも、やっぱり不毛だとは思います。でも、マウンティング的なことは、人間の癖だから、あらゆる場所で、今もあるのだとは思っています。
「いかとり」への疑問
ところで、時間がたって、「いかとり」のことを思い出すと、根本的な疑問がわいてきます。
本当に「いかとり」という略称を使う人間がいたのだろうか。いたとしても、本当に、同時代の慶應や青学の学生だったのだろうか、といった疑問です。
もし、当時、いろいろな意味で恵まれた慶應や青学の学生がいたとして、同じ路線に乗っていたとしても、地味な大学生のことが、目に入っただろうか。見ているとしたら、魅力的な異性や、自分の仲間やライバルになりそうな同性だったり、自分にとって素敵な存在を見ていたはずで、パッとしない学生らしき人を見ている暇はないのではないか。
それでも、「いかとり」などという名前をつけて、嘲笑している慶應生や青学生が、もしもいたとしたら(あくまで仮定です)、その学生は、おそらくは学内では、パッとしない存在であるという自覚を秘かに持っている可能性が高いように思います。
さらに考えると、「いかとり」などという名称を発明したのは、同じ都立大生だったのではないだろうか、とも思いつきます。
都立大が地味だったのは、その時代では、ある程度は本当だと思いますし、本人には避けようもない相対的な貧しさとも関係があったはずですが、「都立大はダサいし、同じ都立大生だけど、自分はダサくない」と思い込みたい学生もいたはずです(これも、あくまで仮定です)。そして実際に、そういう学生がいたとしたら、ある程度は、イケてたのかもしれませんが、自分が上、と思いたい時は、同じ集団の中でも、自分より下、と思える存在を作るのが、早いはずです。それに、そういう下位集団を作る時に、ラベリングは有効なので、「いかとり」という名前を作り、それと同時に「自分は、違う」というアピールのためにも、他の誰かに対して「いかとり」と名指す必要があります。
もしかしたら、そんな屈折した名称が「いかとり」なのかもしれませんが、そんなことを考えつく自分が、お恥ずかしいですが、ちょっと悲しくなり、今も、もっとも歪んでいるような気持ちにもなりました。
読んでいただき、ありがとうございます。
もしも、読んでいただいた方の中で、「いかとり」という言葉を聞いたことがある方が、いらっしゃったり、「いかとりの本当のこと」を知っている方が、いらっしゃったら、コメント欄などで、教えていただければ、とてもありがたいです。自分の歪みも、少し治るような気がします。1992年に都立大学は八王子に移転したので、もし「いかとり」が本当に存在したとしても、それまで期間のことだと思います。
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