見出し画像

「青春を奪われた」という表現を、考える。

 ラジオで、ザワついたこと、というテーマでのメールを募集していた。

 概要なので、やや間違えているかもしれないけれど、大筋はあっていると思う。こんな内容だった↓。

 たぶん、大学生の女性。
 近所の中年の女性から、今のコロナ禍の状況を踏まえて、こんなようなことを、言われたらしい。

 〇〇ちゃんは、かわいそうね。
 出かけられないし、遊べないし、青春を奪われてしまって、かわいそう。

と、真面目なトーンで言われて、ザワついています。

 あちこち出かけられなくなって、でも、それで青春を謳歌していないわけでもない。どうして、青春を奪われている、といったように言われてしまうのだろう、ということらしい。

 確かに、高校野球の甲子園のように大会や演奏会などの中止があったから、これまでにない「奪われた」場合はあると思う。だけど、そうしたことでない日常的な生活にまで、「奪われた」という表現を使うのは、その人に悪意がないとしても、その言葉にやや抵抗感があった。

 どうして、抵抗感があったのだろうか、と考えた。

大人の責任

 今の大人には、社会を作った責任が、若い人よりも重いはずで、それは自分も同様で、だから、この状況を作ってしまった責任は、ある。

 アジア各国で、例えば台湾のようにかなり感染を抑え込んでいる国があるということは、日本でも、そのような状況を作ることは可能だったはずだ。

 そうであれば、気の毒ね、というスタンスではなく、大人の99%は、自分と同様に国などを動かせるような人間ではないはずだけど、それでも、この今のシステムを作り上げた責任の一端はあるはずだ、と思う。

 だから、若い人に何かを伝えるとしたら、伝染病とはいえ、この外出もままならない不自由さになるような状況を、避けられる可能性はあったと思うので、だから、それができない国にしてしまったことに対しては、「かわいそう」というのではなく、どちらかいえば、「申し訳ない」ということになるのだろう、と個人的には思う。

 ただ、そんなことを年長者に伝えられても、かえってムカつかせるだけの可能性もあるから、基本的には、心の中で思うようにしている。

本当に青春を奪われているのか?

 次に思ったのは、このラジオへのメールを送ってくれた若い人が言っているように、本当に青春を奪われているのだろうか、は少し考えた方がいいと思えた。

 毎日のように夜の街に出かけ、知り合いや友達も多く、活発に動くことが「青春」だとすれば、特に首都圏では2度目の緊急事態宣言が発出されようとしていて、外出自粛の傾向が強くなっている現在は、確かに「青春を奪われている」のかもしれない。

 だけど、自分の大学生の頃を思い出しても、そんなに活発にあちこち出かけていたわけでもなく、休日にいつも出かけていたのはサッカーの練習や試合があったからで、今の状況で、その活動に自粛がかかれば、出かけられなくなる。だけど、当然ながら不自由さはあるとしても、今のようにオンラインでの交流ができるようになっていれば、それほど、社交的でもないから、そんなに「青春を奪われた」気持ちにならない可能性もある。

 確かに大学に入学してから、ずっと実際にキャンパスに行けない学生もいる、と聞くと、それは、気の毒だとも思うけれど、それは、こちらの一方的な思い込みで、オンライン授業の方が出席しやすい人もいると聞いたことがあるし、人付き合いが得意でなければ、今の状況であっても、そんなに気持ちの変化も少ないかもしれない。

 それに、例えば、夏はテニス、冬はスキー、それ以外は合コン、というバブルの頃の(だけど、本当にそんな「青春」をしていたのは一部のような気もするが)イメージで「青春」を語っているのであれば、それは、かなり現状とズレているし、もともとコロナ禍でなくても、あまり今の若い人に伝わらないかもしれない認識の違いが、より表面化しただけの可能性もある。 

 さらには、コロナに感染したとしても、重症化のリスクも少ないのだから、今の時代の気持ちの持ち方も、若い人と中高年とは違っているから、だから、「青春を奪われた」と勝手なイメージを押し付けられたあげく、同情までされたら、ザワつくのも無理はない、などとも思う。(そんな推測も失礼かもしれないけれど)。

利他的な行動

 2020年の年末から、2021年の年明けにかけて、毎日のように感染者が過去最多という言葉を聞くことが多くなったし、たまに外出をしても、電車に乗っても、街を歩いても、マスクをしている人がほとんどになっている。今は冬になり、マスクをするのは、夏ほど抵抗感が薄くなっているといっても、この1年に近い時間、ほとんどの人が、外出の時はマスクをしている状況が続いていると思う。(このことは、行動範囲によって印象は大きく違う可能性もあるが)。

 マスクは、現在の常識として、コロナウイルスの感染に関して、自分が感染しないという防衛の機能としてはかなり力が薄い。どちらといえば、自分が知らないうちに感染していた場合、せきやくしゃみなども含めて、周囲の人に感染させないためにするもの、ということは、比較的、広く知られるようになっている。

 何かのアンケートで、どうしてマスクをしているのか?という質問に、周りの人がみんなしているから、といった同調圧力的な理由も大きいのかもしれないけれど、これは、以前も書いた(リンクあり)ことだと思うのだけど、今のコロナ禍でマスクをすることは、基本的には「利他的」な行為であると思う。

 特に、いま若ければ、感染しても重症化リスクが少ないだけでなく、無症状である場合も多いと言われているのだから、若いほど「利他的」な度合いは高くなるように感じる。

 もちろん、感染者が増大することによって「医療崩壊」を招けば、自分にも関わってくるから「利他的」なだけではないかもしれないけれど、それでも、自分が若く健康で、周囲にも高齢者や持病を持つ人がいない場合には、マスクをするとすれば、自分が知らない遠いどこかの人のためにマスクをしているはずだから、やはり「利他的」な度合いが強いと思う。

 だから、若い人がマスクをしている時ほど、すごく一方的で押し付けがましい中年の思い込みかもしれないが、どちかかといえば、感謝の気持ちになる。

これからのこと

「青春を奪われてかわいそう」と、もしも思うのであれば、感染拡大防止ということを守りながらも、若い人も、できるだけ不自由が少ないような社会のシステムにしていくように、そして、何より感染による犠牲者をなるべく減らしながら、経済も含めて社会全体も維持していくようなことを、考えていくしかないように思う。

 自分自身も、個人的なこと以外は、基本的には何もできないし、感染に怯えるような、無力な存在なので、「かわいそう」と言った人を、とても責めるような資格もないのだけど、こうした状況でも、現在に生きている人が、なるべく不幸にならないように、考えないといけない。偉そうで申し訳ないのだけど、自分に言い聞かせるように、そんなことを思ったりもすることもある。

 そうした中で、若い人だけでなく、高齢者の方の、時間を奪われている問題も、かなり深刻なのではないか、といったようなことも思ったのですが、それは別の機会に考えたいと思います。



(他にも記事を書いています↓。読んでいただければ、ありがたく思います)。


#note書き初め    #青春   #ラジオ   #青春を奪われた

#コロナ禍   #新型コロナウイルス   #感染拡大防止

#外出自粛    #マスク   #利他的な行動  

#大人の責任   #過去最高   #不安   #危機感

#利他的   










いいなと思ったら応援しよう!

おちまこと 記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。

この記事が参加している募集