自律性、有能感、関係性。その「正解」を捨てて、私は部下への「向き合い」を始めた。
日曜日の夜、書斎で一人、翌週のタスクリストを眺めるのが習慣だった。
「部下には自律性を持ってほしい。有能感を感じてほしい。良い関係を築きたい」
管理職研修で配られた教科書の一節を、お守りのように心に唱えていた。
「君たちの主体性を尊重するよ。困ったら何でも言ってくれ」
私は物分かりの良い上司を演じていた。しかし、その実態は「私の想定する正解」を部下が選ぶまで、粘り強く、優しく、じわじわと外堀を埋めていくマイクロマネジメントだった。
「自分で選択できる環境」と言いながら、私が納得しない選択肢は無言の圧力で消した。
「挑戦できる場」と言いながら、失敗の責任を負うのが怖くて、最後の一線は渡さなかった。
そんな私の「独りよがりの理想郷」に、限界が来た。
一人の真面目な若手社員が、ある日プツリと糸が切れたように来なくなった。
休職の連絡が入る直前、彼が震える声で漏らした言葉が、今も耳の奥にこびりついている。
「……部長の言う『自由』って、結局、部長の顔色を伺う自由ですよね」
心臓を素手で掴まれたような衝撃だった。
私は彼を信じていたのではない。彼を自分のコントロール下に置くことで、自分の「有能な上司」というプライドを守っていただけだった。
彼が心を壊してまで私に教えてくれたのは、理論の美しさではない。
リーダーが「正解」を握りしめている限り、部下の自律性なんてものは、ただの言葉遊びに過ぎないという残酷な事実だ。
今、私は「完璧な環境づくり」を諦めることから始めている。
「こうあるべき」を手放し、部下の沈黙を怖がらず、自分の無能さを晒す。
まだ、何も完成していない。彼が戻れる場所も作れていないかもしれない。
けれど、もう二度と「優しい独裁者」には戻らないと決めている。
この記事を読んで、もし胸が痛むリーダーがいるなら。
その痛みこそが、あなたが「自分だけの正解」を手放すための、最初の一歩かもしれません。
皆さんの現場では、理想と現実のギャップにどう向き合っていますか?
