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ナットウキナーゼと離婚危機

納豆が心底苦手だ。小学生時代の昼休みを奪い、五時間目の記憶まで侵食した、茶色く粘る魔人ブウである。しかも厄介なことに、倒しても倒しても「健康にいいよ」という顔で復活してくる。僕の人生において、納豆は冷蔵庫に潜むラスボスである。

我が家には納豆文化がなかった。大阪で生まれ、父も納豆を苦手としていたため、食卓にあの小さな発泡スチロールのカプセルが置かれることはなかった。僕は、納豆という戦闘民族の存在を知らずに、なにわ暮らしをしていたはずである。

初めて給食で納豆が出たとき、僕は完全に油断した。ふたを開ける前から教室に漂う異様な気配。周りの子どもたちは、何事もない顔で混ぜている。箸を動かすたびに糸が伸びるその姿は、もう食事というより気の練り上げである。みんなが納豆を覚醒させていく中、僕は一人、スカウターを壊されていた。「戦闘力……無理」である。

当時の給食には「残してはいけない」という、なかなか荒々しい正義があった。いま思えば、フリーザ軍より強引である。僕は昼休みを丸ごと納豆と向き合い睨み合っていた。教室の外からは遊ぶ声。僕はセルゲームの会場に一人取り残された悟飯の気分である。五時間目になっても決着はつかず、最後は先生によって口へ運ばれた。

僕は教室で見事にリバースし、その後一週間、学校を休んだ。もはやナメック星爆発後の悟空くらい消息不明である。

あの日以来、納豆は食べ物からトラウマへと進化した。匂い、粘り、混ぜる音。その全部が、僕の中の小学生を起こしにくる。ついでにネバネバ仲間ということで、オクラまで巻き添えを食らった。完全に悪の組織扱いである。

大人になった今でも、吉野家の朝定食で誰かが納豆を混ぜていると、胃が小学生に戻る。目の前にいるのはサラリーマンではない。箸を回しながら気を高める戦士である。本人は健康のために朝食を食べているだけなのだろうが、僕からすると、あの糸はただの糸ではない。過去と現在をつなぐ、ろくでもない筋斗雲である。

そんな僕の前で、先日、妻が晩ご飯中にナットウキナーゼの話を始めた。血液をサラサラにするらしい。この物価高の時代に、いかに納豆は家計に優しいかを熱弁していた。説明としては正しいのかもしれないが、僕は栄養素の話を聞きたいわけではない。フリーザに「意外と部下思いなところもあるよ」と言われても、今は晩ご飯中である。カレー食べてる時にうんこの話をしないように、食事中に納豆の話をするとは何事だ。結局、その後はご飯が通らず吐きかけた。

僕はこの二十年、納豆が無理だと妻に伝えてきた。冷蔵庫を開けて納豆と目が合えば、精神と時の部屋に閉じ込められたヤムチャになる。食べ終えた容器がシンクに置かれていると戦闘態勢に入ることも、さんざん言ってきた。どうしても食べたいなら、いない時間に食え!最後は容器をとことん洗い、匂いを魔封波し、食後の処理まできっちり頼んだ。

なぜ嫌いなもののために、僕の財布から金が瞬間移動せねばならないのか。だったらその百円を募金したほうが、まだ元気玉のためになる。

納豆好きな人は、やたら勧めてくる。
「健康にいい」「大葉を入れたら食べやすい」「最近の納豆は匂いが少ない」

……やめてほしい。

フリーザをピッコロのマントで包んでもフリーザである。アレンジで敵の戦闘力は変わらない。過去に一度、教室という名の天下一武道会で完敗している。

「納豆を食べられないなんて人生半分損してる」と言われることもある。

……やかましい。

僕はすでに昼休みと五時間目を失っている。人生の半分どころか、小学生の一日を丸ごと持っていかれている。

だから僕は、これからも納豆とは距離を置いて生きていく。ナットウキナーゼがどれほど血液をサラサラにしようと、僕の記憶まではサラサラ流してくれない。夫婦関係がギスギスになるほうがよほど危険である。

あの日の教室で、僕は確かに一度負けた。しかし、大人になった今は違う。もう無理やり口に入れられることはない。

だが、もしそこでまた納豆が現れたら、迷わず叫ぶだろう。

「クリリンのことかー!!!」
違った。
「昼休みのことかー!!!」


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