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早生まれが不利だと知ったのは大人になってから|それより、前ならえをしたかった

早生まれが不利だと知ったのは、だいぶ大人になってからである。私の誕生日は二月二十二日。猫の日であり、世間的には「にゃんにゃんにゃん」と浮かれる日だが、学校制度の中では、静かに早生まれ軍へ配属される日でもあった。とはいえ、当時の私はそんなことを知らない。ただ、小学校六年間、前ならえで一度も腕を伸ばせなかった男である。

前ならえの時間になると、クラスメイトたちは一斉に腕を伸ばし、見えない物干し竿でも支えるように整列する。その中で私は、いつも腰に手を当てていた。隊列の先頭。響きだけならリーダーっぽいが、実態は「ここから先はありません」という行き止まりの看板である。前の人をツンツンしてみたかった。あの腕をピンと伸ばす行為に、大人っぽさを感じていた。給食当番の白衣より、前ならえの腕に憧れていた時期が、たしかに私にはあった。

中学に入った頃は「チビ」と呼ばれていた。だが二年生が終わる頃には「元チビ」になっていたので、あだ名としては見事な改名である。芸名変更に近い。

水泳もやっていて、ジュニアオリンピックにも出た。実家には銀メダルがいくつも残っている。金ではないところが、私の人生の字幕としてちょうどよい。相手の身長が二十センチほど高くて、「同じ身長なら勝ってたのに」と思ったことはある。だが、それを早生まれのせいだとは考えなかった。私はただ、腕の長い人類に一手遅れてタッチする小型哺乳類だったのである。

高校生くらいになって、早生まれは不利だという話を見聞きした。体格差がある。自信がつきにくい。劣等感を持ちやすい。

自分の人生なのに、あとから攻略本を読まされている感じである。たしかに、友人たちがバイクの免許を取る中、私は二月まで自転車で追いかけていた。成人式のときもまだ十九歳だった。参加してないけど。

松坂世代なのか鳥谷世代なのかも一瞬迷う。こういう微妙なズレはある。だが、それで人生が決定的に曲がったかと言われると、私の人生はもともとまっすぐではないので判断が難しい。

親になってから、子どもの誕生日について考える気持ちはわかるようになった。あと数日違えば、学年が変わる。体格も、勉強も、運動も、最初の差になるのかもしれない。でも子どもは、その場でただ必死に生きている。大人があとから「不利」という名札を貼る前に、本人はランドセルを背負い、給食を食べ、体育館で並ばされている。

早生まれが不利かどうかは、統計では語れるのだろう。でも私に残っているのは、数字よりも、腰に手を当て続けた六年間の感触である。前ならえで腕を伸ばせなかった少年は、大人になってからようやく知った。不利だったのかもしれない。

けれど人生では、それなりに手を伸ばしてきた。今なら前の人をツンツンできる。大人がそれをやると、ただの迷惑行為である。

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