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思春期の娘に「クソジジイ!」と言われたい父親の副音声

「うるせぇ、クソババァ!」反抗期だった私は、扉を蹴り、穴を開け、親に向かってそう叫びながら家を飛び出した。今思えば、非常にわかりやすい荒天である。近所の気象台が観測していたら「本日午後、思春期前線の影響により、局地的に扉への暴風被害が発生しました」と発表されていただろう。

十年後、娘が生まれた。

実家へ帰ると、あの日の穴はまだ残っていた。母は塞がなかったらしい。戒めなのか、記念なのか、単に面倒だったのかはわからない。ただ、壁に残った穴は、私の黒歴史を黙って展示していた。

娘が小さい頃、先輩パパたちは「今だけやで」「そのうち口もきいてくれん」「洗濯物も別にされるで」などと、やたら親切に不吉な未来を教えてくれた。もはや週間天気予報である。

「現在は晴れ。ところにより抱っこを求められるでしょう。しかし数年後には非常に強い反抗期が接近し、パパの心に甚大な被害をもたらすおそれがあります。不要不急の接近は控え、娘の部屋付近では強い言葉に警戒してください」

私はその予報を真面目に信じ、心の雨戸を閉め、非常食のようにメンタルを備蓄していた。

そして娘は高校生になった。バイトで帰宅は遅くなり、休日は友達との予定が増え、パパの知らない世界を娘は持ち始めた。親離れは確実に進んでいる。晴天続きだった空に、少しずつ雲が増えていく感じはあるけど、待ち構えていた暴風域が来ない。

玄関から聞こえるのは「ただいま」、リビングに流れるのは「お腹すいた」、朝の空気に混じるのは「いってきます」。肩透かしにもほどがある。

娘が小さい頃は、よく手を繋いでくれた。買い物へ行けば当然のように手が伸び、公園へ行けば肩車を要求する。いつかこの手が離れるのだろうと、夕暮れの海辺みたいな気分まで用意していたのに、今でも娘は普通に腕を組んでくる。

そして「クソジジイ!」とも言われない。

娘が小さい頃、窪塚洋介に憧れた私は一度坊主にした。その時は「パパがハゲたー」と大泣きされ、一緒に手を繋いで歩くどころか、帽子を被らない限り隣を歩くことすら許されなかった。あのときは「これが反抗期の前兆か」と身構えたが、その後、髪が伸びると警報は解除され、ロン毛気味のパパとはまた腕を組んで歩くようになった。どうやらパパと娘の距離感に関する令和最新版の基準は、パパの頭部災害くらいらしい。

もっとわからないのは、帰宅すると娘がパパのベッドで寝てることがある。昭和のホームドラマなら、脚本会議で止められる設定だ。私は「パパ臭い」と言われる未来に備えていた。四十代男性である。体からうっすら人生の煮汁みたいなものがにじんでいてもおかしくない。洗濯物を分けられ、ソファに座った場所まで除菌されると覚悟していたのに、現実は、なんかベッドが狭いと感じて目を覚ますと、娘が隣で寝ている。ホラーではない。親子である。娘の嗅覚が優しいのか、鼻がパパに対して節電モードになっているのか、どちらかである。

私は反抗期に期待しすぎていたのだろうか。自分の反抗期は、非常に観測しやすい荒天だった。扉を蹴れば穴が開き、叫べば家の空気が揺れた。だから娘も同じ道を通ると思っていた。ところが娘は、バイトへ行き、友達と遊び、帰ればパパのベッドで寝ている。どうやら反抗期にも世代交代があったらしい。

明日突然「クソジジイ!」と言われる可能性はまだ捨ててない。その日のために、心の台風対策は今も完璧である。むしろ、本当に言われたら「おめでとう」と言いたい。長年、進路予想図を見つめていた台風が、ようやく湾岸から上陸したようなものである。実際には三日くらい低気圧にやられて寝込むだろう。パパの心は強そうに見えて、煎餅くらい湿気に弱い。

そして今、我が家で一番多く穴を開けているのは妻である。あの日、母が塞がなかった私の反抗期の記念碑だった実家はもうない。けれど我が家には、令和最新版の穴が増え続けている。私は娘の反抗期に備え、空を見上げ、雲の流れを読み、反抗期の発令を待っていた。ところが暴風雨は、まったく別の方角からやってきた。

人生とは、予報と違う方向から壁が壊れることもある。

朝起きない娘


私の実家には、子ども部屋の扉を閉めてはいけないという、なかなか大胆なルールがあった。今思えば、あれは家族内におけるプライバシーへの宣戦布告である。思春期の子どもにとって、自分の部屋は小さな独立国家だ。机の上に漫画が積まれていようが、ベッドの下に何かしらの秘密が眠っていようが、そこは国境の内側である。それなのに、実家のドアは常に開国を迫られていた。

だから、自分が親になったとき、娘の部屋の扉については何も言わなかった。親が娘の部屋の国境警備隊になる必要はない。ところが現実の娘の部屋は、常にフルオープンである。自由を与えた結果、まさかの無政府状態になっていた。

しかし、入るには覚悟がいる。床には服が落ち、何かの紙が落ち、いつ買ったのかわからない小物が落ち、犬たちがうっかり口に入れたら病院送りになりそうな危険物まで落ちている。私は「思春期の娘の部屋に勝手に入るパパ」になることを恐れていたのに、実際には「あまりの散らかり具合に入りたくないパパ」になっていた。人生は予想の斜め上から洗濯物を投げてくる。

そんな娘は、朝が弱い。

朝という概念に対しては、反抗期を迎えてる。起きる気のない六時から、目覚ましは五分おきに鳴る。本人の中では「ちゃんと起きるための工夫」なのだろう。しかし、それで起きるのは親であり、家の空気である。犬たちも「なんか始まったな」という顔をして起きるが、肝心の本人は、布団の奥で石像のように動かない。

前日の夜、娘は決まって言う。

「明日は自分で起きる」

もう何回も聞いた。聞きすぎて、ことわざにできそうだ。その言葉には、高校生らしい自立心は感じられるし、毎回、次こそはと信じる。親とは、裏切られるとわかっていても、子どもの「明日こそ」を受け取ってしまう。パパも高校生の頃は、親に反抗し、進路に悩み、青春のど真ん中を走りながらも、朝くらいは自分で起きた。その言葉を信じて眠ったが、朝になると、目覚ましだけ真面目に働くいつもの朝である。

ちょっとやそっとの「起きや」では「んー」との返事だけで起きやしない。起きたと思えばまた沈み、返事をしたと思えば寝返りを打ち「学校行かへんの?」と声をかけると、布団の中から「起きてる!」と怒った声が返ってくる。

私は「これが噂の反抗期か?」と胸を躍らせながら、娘の部屋に犬を放つ。犬たちは迷わずベッドへ向かい、小さな体で布団に乗り、娘の顔の近くまで行くと、鼻を寄せ、そのままペロペロ目覚ましを始める。犬にとっては仕事というより朝のイベントである。娘の顔を舐めることに、これほど使命感を持つ犬も珍しい。

親が声をかけても動かない娘も、犬を投入すると布団の中で揺れ始める。教育とは何なのか。先生が授業をし、社会が自立を求めても、朝の娘を最初に動かすのは犬のペロペロである。学力より唾液。現実はときどき残酷である。

もしかして、起こしてもらえるという甘えがあるから起きないのではないか。パパが声をかけ、犬を投入する。最後にはどうにかなる。その仕組みに甘えているのではないか。親として、ここはあえて突き放すべきではないか。自立とは、ある朝突然、布団から自力で出るところから始まる。私はその日、親としての厳しさを胸に秘め、あえて黙っていた。

結果、娘は遅刻した。

まぁ、初日だから仕方ない。人は失敗から学ぶ。娘もきっと「明日は自分で起きなければ」と思うだろう。私は翌日も教育的配慮のもと黙っていた。決して二度寝したかったわけではない。

結果、娘はまた遅刻した。

どうやら自立とは「もう高校生なんやし放っとこか」では始まらないらしい。大人のように見えて、まだ朝には犬の舌がいる。スマホの向こうに自分の世界を持っていても、まだどこかで親の手が必要である。

思い返せば、私の父も朝に弱かった。布団をひっぺがされても起きない人だったので、母は毎朝ものすごく機嫌が悪かったし八つ当たりまで受けたからこそ、子ども心に「ああはならんとこ」と思い定めていた。ところが今、私の前には朝起きない娘がいる。反面教師にしたつもりが、世代をまたいで戻ってきた。遺伝とは恐ろしい。顔や体質だけでなく、起きなさ加減まで受け継がれた。

母が毎朝怒っていた理由が、親になってようやくわかった。大人になるとは、自分が嫌だった親の気持ちを、思いがけない場面で理解してしまうことである。できればもっと感動的な場面で理解したかった。しかし、我が家の場合は、娘の寝坊と犬のペロペロである。

夜中にトイレで目が覚めると「明日は自分で起きる」と言った娘の部屋から、笑い声が漏れていた。翌朝の結末は見えたが、厳しくは言えない。パパも高校生の頃、FF7に夢中になり徹夜した。親から見れば夜更かしでも、娘からすれば今まさにラスボス戦。相手がセフィロスではなく、スマホの向こうの誰かである。

そして次の朝、また目覚ましが鳴る。当然の如く、娘は起きない。実家では閉めることを許されなかった扉が、今は開いたまま散らかった国境になっている。あの頃、私は閉ざされた自由に憧れていた。今は開きっぱなしの部屋を前に、犬二匹を抱えて突入のタイミングをうかがっている。

私は、親としての威厳を胸にしまい、部屋の惨状を見なかったことにし、また犬を放つ。

最後に娘の自立心を動かしているのは、犬のペロペロ目覚ましである。

父親が知らない世界


高校生になり、娘はバイトをするようになった。社会勉強にもなるし、お金のありがたみもわかる。親としては「えらいなぁ」と思うべきだが、帰ってくる時間が二十三時頃である。

若い頃なら「これからやん」と力説していた二十三時も、四十代の体内だと、すでに閉店ガラガラである。砂嵐の画面がザーっと流れ始めたくらいの時間に娘が「ただいま」と帰ってきても、布団の説得力が強すぎる。

そんなわけで、自然と娘との会話は減った。昔は、娘の一日は家に持ち込まれていた。学校で誰が何を言ったとか、給食がどうだったとか、聞かなくても勝手に始まる夕方の情報番組である。特集コーナー、現場中継、時には緊急速報まで「今日の娘ニュース」をソファに座っていれば視聴できた。

ところが最近、その番組は放送時間を変更したらしい。新しい放送枠は寝落ちしている時間である。しかも再放送や見逃し配信もない。パパはただ、翌朝の食卓に残された空気から、昨夜何かがあったらしいと察するだけである。情報弱者にもほどがある。

休日も「どこ行く?」と聞けば、それが家族の予定になった。娘の世界は、親の財布と車と足腰で運営されていたのに、今は休日になるとバイトが入り、スマホの向こうで誰かと約束が決まっている。カレンダーを見て「この日あいてる?」と聞く頃には、もう予約済みである。

それでも、完全に打ち切られたわけではない。娘はたまにスマホを持って「これ見て」と画面を近づけてくる。その一言で、パパの心には小さな灯りがともる。

ただし、画面が近い。

娘の気持ちは全力で受け取りたいが、近すぎるスマホ画面は、映像ではなく光である。少し腕を伸ばしてもらうか、自分が後ろへ下がるか迷う間に動画は終わる。パパの焦点距離と若者動画の尺は相性が悪い。

娘からすれば、パパが動画を見て笑っているように見えるだろう。しかし実際は「娘が共有してくれた」という事実に笑っている。

娘の世界は、だんだんとスマホの向こうへ広がっていった。部屋からは、誰かと話す声が漏れ聞こえるも、会話の中身はわからない。壁越しに海外ドラマを見ているようなものである。

昔は、娘の友達の名前もなんとなく知っていた。運動会や授業参観で顔を見れば「あぁ、あの子か」と思えたけど、今は人物像が浮かばない。相関図もわからないまま新キャラが増え、前回までのあらすじも知らないままシーズン七くらいから見せられている。たぶん良い子なのだろう。知らんけど。

恋愛に関しては、さらに電波が悪くなる。高校生にもなれば、いつか彼氏の話も出るだろうと覚悟はしていた。青春は楽しんでほしいし、好きな人ができるのも自然である。応援したい気持ちはあるが、相手の男には一度正座してもらいたい。玄関で身分証を確認し、趣味と将来設計と好きな阪神の選手くらいは聞いておきたい。恋愛トーク番組のつもりが、いつの間にか圧迫面接になりそうで怖い。

そんなある日、妻と娘の会話が聞こえてきた。

「そんな生活態度だから、振られるんだよ!」

振られた?誰が?娘が?え、いつの間に?彼氏おったん?告白して振られたとか?知らない間に付き合い、知らない間に最終回を迎え、パパだけが番宣すら見ていない視聴者として取り残されていたのかもしれない。

私はリビングの隅で、静かに検証番組を始めた。手がかりは「生活態度」と「振られるんだよ」のふたつである。これだけで真相を解けと言われても尺が足りない。

とはいえ、娘から「彼氏ができた」と聞いたことはない。「彼氏おったん?」と聞けば、真相に近づける可能性はある。しかし同時に、番組そのものが打ち切られる危険もある。妻と娘の間では普通の会話でも、パパが不用意に割り込むと、スタジオの空気は一気に凍る。私は平和を守るため、聞かない……いや、怖くて聞けんかった。

パパは、家庭内の情報においては、地方の放送局くらい遅れた立場にいる。それは秘密にされているというより、もう放映権が発行されていない世界である。誰かを好きになる気持ち、もしかすると振られたかもしれない夜。その一つ一つを、昔のように全部放送してはもらえない。

娘の番組表から、少しずつパパのテレビ欄が外れていくのは、寂しくないと言えば嘘になる。小さい頃の娘は、世界を広げるたびに私の手を引いた。公園へ行くにも、知らない店へ入るにも、まずパパを見た。今の娘は、スマホを片手に自分でどこかへ行く。パパの知らない感情で笑ったり傷ついたりしている。そのすべてにパパがレギュラー出演していたら、むしろ怖い。娘の青春にパパの副音声はいらない。

振り返ってみれば、私だって付き合った彼女を、一人ずつ親に紹介したわけではない。秘密を抱え、くだらないことで悩み、傷つきながら大人になった。自分の過去は棚に上げ、娘には毎週ダイジェスト版を求めるとは、勝手な話である。棚に上げた過去が、そろそろ天井を突き破りそうだ。

今日も娘の部屋から、楽しそうな声が漏れている。何の話をしているのかはわからない。彼氏だったのか、片思いだったのか、あの「振られるんだよ」の真相も迷宮入りである。パパが知らない世界は、今日も順調に広がっていた。

娘の世界はスマホの向こうで本編が進み、パパの世界は老眼鏡の向こうでぼやけている。

その二つの世界がたまに交わるとき、画面はいつも近すぎる。私はまた、見えているふりをして笑うだろう。それでも「これ見て」と差し出されたスマホは、パパにとって打ち切られたはずの「今日の娘ニュース」の特別再放送である。

父親には見えない反抗期


親子喧嘩は、怒っているから起きるのだろうか。それとも、怒りを口に出した瞬間に、初めて喧嘩として観測されるのだろうか。私は娘と親子喧嘩をしたことがない。今日も晴れ。降水確率ゼロパーセント。洗濯物もよく乾く穏やかな空である。

イラッとはする。スマホを見ながら「あとでやる」と言われ、その「あとで」が「所により雨」くらい当てにならないこともしばしば。そのたびに、心の奥では小さな低気圧は発生するが、口には出さない。

怒りを口に出すと、家庭内に湿った空気が広がるからだ。机の下に落ちたプリントなら拾えば済むが、リビングに広がった不機嫌は換気扇を回してもなかなか抜けない。だったら、最初から低気圧を観測しなかったことにする。

娘の方も、おそらくパパにイラッとしていることもあるはずだ。動くには動くが、反応が遅い。言葉のアップデートも怪しく、気を抜くとすぐに昭和や平成の物差しを持ち出してしまう。娘からすれば、パパの存在そのものが時々くもり空だろう。それでも娘は、パパに対しては口に出さない。

私は娘に反抗期が来ないと思っていた。けれど、妻と娘の関係を見ていると、どうやら反抗期はちゃんと発生していたらしい。妻と娘は、よくぶつかる。妻が先に雷を鳴らし、娘がその雲の下で稲妻を返す。私からすれば、なぜその一言を今落としたのか、なぜその表情で返したのか、なぜそのタイミングでドアを強めに閉めたのか、すべてが疑問である。

さっきまでリビングは穏やかな天気だったはずなのに、気づけば積乱雲が発達し、犬たちはいち早く気圧の変化を察知し、そっと安全な場所へ移動する。

私も犬たちと同じく防災意識を高く持ち、その荒天域には近寄らない。ただ、その様子を見ながら「どっちが反抗期なのだろうか」とは思う。娘が反抗しているようにも見えるし、妻が反抗しているようにも見える。感情が思い通りにいかず、壁や相手にぶつけてしまう状態を反抗期と呼ぶなら、大人も立派に反抗期はあるのではないか。我が家の壁に刻まれた令和最新版の穴は、大人の突風が通り過ぎた爪痕なのだろう。そう考えると、家庭という場所は、思春期と更年期と疲労と空腹が同じリビングに集まる、なかなか危険な交差点である。

そんなある日、妻の機嫌がいつもより荒れた。きっかけは娘の生活態度である。妻の声が強まり、娘の声が返り、部屋の湿度が一段ずつ上がっていく。私と犬たちはリビングの端で気配を消し、気象庁の職員みたいな顔で遠くから等圧線を眺めていた。

やがて娘は、荷物を持って家を出た。行き先はばぁばの家である。この時点で、私の家出とはだいぶ趣が違う。夜の街をさまようわけでも、公園のベンチで膝を抱えるわけでもない。向かう先は安全で、暖かくて、ご飯も出る。家出というより、避難所への自主避難である。真正面からぶつかり続けるより、一度離れて、違う場所で気温を下げてから戻ってくる方が、平和である。上京してから妻の実家が近くなったことも大きい。沖縄にいた頃なら、家出をするにも飛行機が必要だった。反抗期に航空券が必要となると、もはや親子喧嘩ではなく旅行代理店の案件である。

とはいえ、夫婦二人になると、余った雨雲が流れ二次災害を受ける。そこだけは納得いかない。家庭の天気は、やはり理不尽である。

家の中には、パパから見える天気、妻から見える天気、娘本人の中で荒れている天気がある。私のいる場所は晴れていても、隣の部屋では警報級の大雨が降っていることもある。しかも、雨雲レーダーには映らない。妻の声が大きくなって初めて「あ、今あっちで降ってる」と知るのである。

小さい頃の娘なら、泣いた理由を聞けば答えてくれたけれど、高校生の娘の天気図は、そんなに単純ではない。娘の心の中には、私の知らない雲が流れている。それでも帰ってくる場所があるなら、今はそれでいい。

そして私は、帰ってきた娘に何も聞かないふりをして、いつものようにリビングの片隅で空を見上げる。パパの仕事は、反抗期の主役になることではなく、雨宿りを終えた娘が何事もなかったように通り過ぎられる背景でいることだ。

昔、私が開けた扉の穴は、親に向けた反抗の跡だった。妻が開ける壁の穴は、低気圧をぶつけた、荒っぽい気象現象である。今、娘が開けるのは家の扉。そして向かう先は、ばぁばの家。壁を壊さず、きちんと改札を通る。そう考えると、娘の反抗期はずいぶん文明的である。

アオハルは戻ってこない


娘に「クソジジイ!」と言われない理由について、私はたまに考える。今日の機嫌は北風か。スマホを見ながら返事をしたのは向かい風か。腕を組んで歩いてくれた日は追い風か。パパはいつも、都合のいいように風を読もうとする。

パパがイケオジすぎるせいで反抗しづらい可能性もある。鏡を見る限り、尊敬のあまり反抗できないというより、反抗するほど父親に強い圧を感じていないだけかもしれない。新聞の向こう側から「飯」とだけ言い、近づくと気圧が変わる私の父には、威厳のような、距離のようなものがあった。それに比べると、私は娘とよくしゃべってきた方である。「飯」と言うどころか、台所で飯を作る側である。父親としての重厚感はない。台風どころか、そよ風扱いである。

一人娘として甘やかしすぎたのもあるかもしれない。娘が「東京の高校へ行きたい」と言ったことで、沖縄から東京へ引っ越した。理由はダンスがしたいからだった。ところが、そのダンスはもう辞めている。「なんでやねん」とツッコミたいところだが、もしかするとこれこそが反抗期だったのか。家族総出で南風に乗って上京させておきながら、本人は途中で風向きを変える。なかなかスケールの大きい反抗である。扉に穴を開けるより、よほど家計に穴が開く。

高校三年間は、思っているよりずっと短い。入学したと思ったら、制服が体になじみ、通学路が日常になり、友達との予定が増え、バイトを始め、いつの間にか卒業の気配が吹いてくる。親の感覚では、まだランドセルの余韻が残っていても、本人の時間は容赦なく進む。「ちょっと待って」と親が後ろから叫んでも、青春は振り返らない。アオハルとは、追い風に乗った自転車みたいなものである。気づいたときには、もう坂の向こうへ消えている。

だから娘には、思いきり高校生活を楽しんでほしい。友達と笑い、バイトで疲れ、スマホの向こうで何かに夢中になり、時には誰かを好きになり、うまくいかずにしょんぼり帰ってくる日もあるだろう。

親が用意した安全な室内で、窓を閉め切ったまま過ごすより、少しくらい髪が乱れても外を歩いてほしい。親としては心配ではあるが、青春まで親の天気予報どおりに進んだら、それはそれで味気ない。

私にも高校時代はあった。胸を張れることばかりではない。今さら実家の扉の穴まで戻って謝りたいようなこともある。意味もなく不機嫌になり、理由もなく黙り込み、親から見れば扱いにくい天気図だったに違いない。そう考えると、娘が今のところ穏やかな空模様でいてくれることは、ありがたいことである。

とはいえ、油断はできない。高校時代に来なかった反抗期が、大学入学と同時に遅延証明書を持って到着する可能性もある。「クソジジイ!」という雷鳴が、ある朝突然リビングに落ちるかもしれない。

だから今は、今ある風を受け取るしかない。腕を組んで歩いてくれる日も、パパのベッドで寝る日も、犬のペロペロで起きる朝も、スマホを目の前に突き出してくる夜も、きっといつか終わる。だから私は、できるだけ見逃さないようにしたい。だけど見えないものは仕方ない。老眼だし、父親だし、娘の世界には入場券がない場所もある。それでも、差し出されたときくらいは「へぇ」と笑いながら受け取りたい。

そんなふうに、娘の青春には追い風が吹いてほしいと思っていた先週「父の日」があった。

朝から期待していないふりをしながら、心の中では小さな式典会場を設営していた。花束とまでは言わない。「いつもありがとう」の一言でいい。なんならコンビニのシュークリームでもいい。パパはちょっとした追い風で、すぐ帆を張る。

しかし、何もなかった。

無風である。風速ゼロ。カーテンも揺れない見事なまでの凪である。父の日という行事は、もしかすると一部地域でのみ行われているローカルルールなのかと疑った。少なくとも我が家の父の日は、テレビ欄にも番組表にも載っていない。「今日の娘ニュース」にも特別番組はなく、通常編成のまま一日が終わった。

これは、ついに来たのではないか。

「クソジジイ!」と叫ぶでもなく、扉に穴を開けるでもなく、ばぁばの家へ避難するでもない。父の日を完全に無風で通過するという、令和最新版の静かなる反抗期である。パパに気づかれないようでいて、確実に胸のあたりへ小石を投げてくる、なかなか高度な気象現象だ。

高校三年間は戻ってこない。アオハルも戻ってこない。そして父の日も、どうやら一度通過すると戻ってこない。

娘よ、青春は思いきり楽しんでほしい。追い風の日も、向かい風の日も、あとから振り返れば全部まとめて高校三年間のアオハルである。

パパは少し離れた場所から、髪を乱しながら見ていることにする。

ただし来年の父の日は、どうか微風でいいから吹いてほしい。パパの心の洗濯物が、今年はまったく乾かなかったからである。

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