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扉が閉まるたび終末を迎える保護犬の話

震えるスマホの画面にはトリミングサロンの名前が表示されていた。まだ何も聞いていないのに、すでに胸の奥ではサイレンが鳴った。平和な昼下がりに、トリミングサロンから電話がかかってくる理由などないからだ。

「仕上がりました」の連絡はいつも夕方。画面の向こうから漂ってくる気配は、明らかに「すみません」の風である。

電話に出ると、トリマーさんの声が震えていた。

「あの、すみません……リンちゃんが……脱走しました」

ここで普通なら「えっ、そんなことあります?」となるのだろうが、相手がリンだと「まさか」より先に「やっぱり」と来るのが困ったところだ。

あの子ならやる。むしろ今まで逃げなかったことのほうが奇跡だ。

リンは元保護犬で、分離不安症。家族と離れると、警報装置がすぐ最大音量になるタイプである。「ちょっと綺麗にしてもらっておいで」くらいの気持ちでも、リンからすれば話はまったく違う。

トリミングサロンは美容施設ではない。白いタオルとハサミに囲まれる恐怖の収容施設である。しかも途中で嫌いなシャンプーまでされるとなると、リンの認識では、特殊部隊に捕まったようなものだ。

頭の中では映画『大脱走』のテーマ曲が流れ始めていた。革ジャンの男がバイクで国境を越える代わりに、白い小型犬が近所の道を全力疾走している姿を想像すると、緊張感と間抜けさが半分ずつではあるが、リンの中ではおそらく壮大な脱出劇だったに違いない。

話を聞くと、他のお客さんが扉を開けた隙を狙い、リンは大人の胸ほどあるカウンターを飛び越え、風のように走り去ったらしい。普通の小型犬なら、そこは壁である。ところがリンは、その高さを前にして諦めなかった。トリミング台に乗せられたときから、赤い線で脱走ルートが引かれていたのだろう。かわいい顔をしながら「出口確認よし、タイミング待ち」と作戦会議をしていたに違いない。

しばらくして、妻から連絡が入った。

「リンが帰ってきた!」

トリミングサロンから自宅までは車で五分ほど。歩けば十五分くらいの距離である。しかも、普段の散歩コースでもあったため、リンにとってはグーグルマップもいらない。彼女の中には、肉球に刻まれた帰宅ルートがある。白い体を揺らしながら、ただ家を目指して走ったのだ。

心配、安堵、呆れ、感心。その全部が胸の中でごちゃ混ぜになりながら家へと戻ると、リンは満足そうな顔で尻尾を振っていた。反省している顔ではない。むしろ「遅かったやん」と抗議する側の顔である。パパは説教する立場のはずなのに「すみません、迎えが遅れまして」と謝りたくなる空気すらあった。

静かな昼下がりは、こうして一匹の白い小型犬によって、大脱走劇へと変わった。トリミングサロンではトリマーさんの寿命が縮み、パパの寿命も縮み、リンだけが堂々と帰宅した。

そして当の本人は、何事もなかったように家でくつろいでいた。表彰式も反省文も必要ない。ただ、いつもの場所に戻ればそれでよかった。

──時は流れ、沖縄から東京へ引っ越すとき、十三歳の老犬になったリンを飛行機に預けるのは無理だと判断し、パパは犬たちとフェリー&陸路で日本を縦断することにした。

沖縄から鹿児島までは二十四時間の船旅である。元・海の男として、船酔いの心配はなかったが、問題は別のところにあった。ロビーで野球を見ていたとき、ちょうどチャンスの場面で船内アナウンスが流れた。

「ペットルームで犬がケージから脱走しました」

……絶対リンや。

ペットルームへ向かうと、ドアの前でリンが「自由をこの手に!」とでも言いたげなドヤ顔で尻尾を振っていた。横ではココが「オレも出せぇぇ!!」と便乗していた。

この旅だけだからとケチってソフトケージを準備した結果、ビリビリに破かれ脱走劇の大道具と化したのだ。船員さんが「元気ですねぇ〜」と苦笑いした横で「ははは……」と同じく苦笑いで返すしかなった。

元気という言葉で片づけていい破壊力ではないが、たしかに老犬にしては元気である。

結局、鹿児島に着くまでパパはペットルームで過ごす羽目になった。リンはスヤスヤ、ココは膝で満足げであったけど、パパは電波の入らない空間で野球の続きも追えず、追加料金で上げた客室等級の意味も静かに見失い、大脱走のテーマ曲を口ずさむしかなかった。

🐶 リンとの出会い


トイプードルのココを迎えて十ヶ月ほど経った頃、家族でペットショップへ行った。目的はフードかおやつか、そんな日常の買い物だった。

店の前では、NPO主催の犬猫譲渡会が開かれていて、そこにリンはいた。

“ビビビ”というのは、買い物リストに載っていない顔で現れる。白く痩せ細った犬が「私は良い子です」と書かれた看板を背負い、ちょこんとおとなしく座っていた。

「この子、ココに似てる……!」

目つきが似ている。
雰囲気が似ている。
たたずまいが似ている。

店内にいた妻を呼び「ココに似てる子おるよ!」と伝えると「うーん、似てるかも?」と控えめに返された。しかし、私の頭の中では「生き別れのきょうだい説」まで既に立ち上がっていた。

うちにはすでに、ココとチワワのフクがいたため、三匹目を迎えるとなると話は別である。「似てる!」だけでは迎えられない。覚悟が半端だと、ここの保護犬たちと同じ運命を辿らせてしまう。そう思うと、軽々しく「連れて帰ろう」とは言えなかった。

帰りしな、運転しながらも白い犬がずっと譲渡会のすみで座っている姿がチラつく。控えめな顔をしているのに、存在感はやたら強い。そしてココに似てる。

「なぁ、もう一回あの子……見に行っていい?」

譲渡会場へUターンし「やっぱりこの子が気になります」と伝えると、スタッフさんは「二週間トライアルはどうですか?」と言い、そのままリンを手渡してくれた。

驚くほどあっさりだった。

まだ心の準備も、車の座席の準備も、家族会議の議事録もできていない。保護犬の譲渡とは「あなたにこの命を背負う覚悟はありますか」と問われ、神妙な顔でうなずくような、もっと厳かな儀式だと想像していたからだ。

ところが現実は、白い犬が腕の中にいる。人生の大きな出来事が、レジ袋くらいの気軽さで渡された。

リンの過去も聞いた。捨てられたあと、海辺を彷徨っていたらしい。その時、妊娠中で、体重はたったの二キロ。パルボにも感染していたという。保護され、治療と避妊手術を終え、ようやく元気になったものの、分離不安が強く、なかなか引き取り手が見つからなかったそうだ。

その話を聞いて、胸の奥がぎゅっとなった。譲渡があっさりしていたのではなく、リンが抱えているものが重すぎて、手を伸ばせる人がいなかったのだ。

家に連れて帰ると、ココとフクは新入りの匂いを嗅ぎに来た。

リンは動じず「どうぞ確認してください」という顔である。なかなかの大物だ。ただ、しつこいと怒る。その空気を察したのか、先住犬たちはすぐに距離を覚えた。

二週間後、保護施設の方が家に来て「どうしますか?」と聞いてきたが、初日に抱っこして名前を呼んだときから答えは決まっていた。「じゃぁ、いいですぅ〜」と言うような覚悟だったらUターンなどしていない。

あの日、パパはリンを見て「ココに似ている」と感じた。実際は、そこまで似てなかった。“ビビビ”を感じると、都合よく視力は改ざんされるらしい。

似ていたのは、パパの人生に遠慮なく入り込んでくる才能だ。これから始まる騒がしく、重たくて、かなり愛しい日常そのものである。譲渡会のすみで控えめに座っていた白い犬は、気づけば我が家の中心を陣取っていた。

🎸 扉の向こう側


譲渡会でリンを迎えた日、我が家から静寂が消えた。ココとフクがいたから、犬のいる暮らしが静かなものとは思っていなかったが、そういう次元を優に超えていた。

犬が一匹増えたというより、玄関に高性能の警報装置が設置されたようなものだ。しかも感度がやたらと良く、鍵の音、上着を取る音、靴下を履く気配まで拾う防犯システムである。

“飼い主の姿が見えなくなると強い不安を感じる”とは聞いていたが、実際に暮らしてみると、そんな教科書みたいな言葉では到底おさまらなかった。

玄関が閉じるたび、リンの中ではエンドロールが流れ、主題歌がかかり、夕日の海辺で「さようなら」が始まる。

\キュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!/

鳴き声というより非常ベルに近い。火災報知器より感情がこもっていて、防災訓練より切迫感がある。パパは近所のファミマでファミチキを買いたいのに、毎回コンビニ強盗と間違えられるような気分になる。

せめて「♪ちゃらららららーん、ちゃららららー♪」という入店音で鳴いてほしい。

そこからお留守番への訓練が始まった。「外に出て、五分後にちゃんと戻る」を繰り返し「大丈夫やで。帰ってくるで」を体で覚えてもらう作戦である。

玄関へ向かい、サンダルを履こうとした。

\キュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!/

まだ扉すら開けてない。実況をつけるなら「開始三秒前、リン選手、フライングで失格!」と叫んだだろう。

長く噛める骨を渡して「外出=ご褒美タイム」にしようとしたこともあった。最初は夢中でガジガジしていたので「これは勝った!」と確信した。ただ、外へ出ると鳴き声が聞こえる。帰宅するとココが満足そうな顔で骨をカミカミしながら遊んでた。

テレビをつけっぱなしにして、音で安心させようとしたこともある。赤ちゃんと一緒でタケモトピアノのCMが流れていれば落ち着くかもしれない。しかしリンは安心するどころか、鳴き声のテンポを財津一郎に合わせ始めた。メンタルは不安定なのに、リズム感は順調に育った。

さらに問題は、リンの分離不安が伝染しはじめたことである。最初は「なんかやってるな」という顔で見ていたココまで、ある日から参加し始めた。リンが悲劇のソロライブを始めると、ココがワンワンと合いの手を入れる。“盆踊りで隣の人が手を叩いたから、自分も叩いてみた”くらいのノリである。そこへ一番おとなしかったフクまで小刻みに震えながら鳴き出した。

リンがボーカル、ココがコーラス、フクがタンバリン担当。気づけば、我が家には共鳴型分離不安バンドが誕生していた。

幸いだったのは、当時住んでいた場所が沖縄の村だったことだ。一フロア一世帯の四階建てアパートで、一階と三階は空室、四階の人は夜しか帰ってこない。周囲は見渡す限りサトウキビ畑。我が家は、リン専用のボーカルスタジオだった。都会なら通報されていたかもしれないが、そこでは苦情も来なかった。

帰宅すると、再会の祭りが始まる。ドアを開けた瞬間、リンは全力で走ってくる。しっぽはプロペラのように回り、前足でパパの太ももをカシャカシャ掻きまくる。五分ぶりなはずなのに、十年ぶりに生き別れた家族と会ったような騒ぎだ。

巻き込まれるココは、リンに頭をポコポコ叩かれ再会フェスのとばっちりを受ける。犬の世界にも理不尽があった。しかも、あれほど鳴き叫び、再会を全身で喜び、パパの足を傷だらけにしておきながら、抱っこしようとすると逃げる。

近づいてほしい。
でも捕まりたくはない。

離れないでほしい。
でも抱え込まれるのは違う。

なんとも面倒くさい女だ。ただ、その面倒くささも含めてリンである。

分離不安のお留守番は、ただの寂しがりではなかった。リンにとっては、毎回「帰ってくるかどうかわからない事件」である。だからこそ、毎日帰ってくることで証明するしかなかい。信頼は、一回の説明では伝わらないからだ。

「五分であれ、ちゃんと戻る」

その積み重ねが、リンにとっての答えだった。

今日も玄関で鍵を持つと、リンの耳がぴくっと動き、パパをじっと見つめる。

「五分やろな?」

世界は終わらない。ただ、パパがコンビニへ行くたびに終末を迎えるだけだ。

🌳 愛情と監視の境界線


犬は一日の大半を寝て過ごすらしい。たしかにココはその通りである。丸くなって寝て、起きてご飯を食べ、少し世の中に関心を示すと、また寝る。

ところが、リンはその常識を真っ向から否定してくる。家族が家にいても安心せず、むしろ「家にいるからこそ、監視せねばならない」という謎の使命感に燃えている。

もはや犬ではなく、警備会社である。しかも二十四時間勤務、休憩なし、有給なしの超ブラック企業のオマケつきだ。

パパが椅子から立ち上がると、リンの耳がピクッと動く。トイレへ向かえば「……どこへ行くつもり?」とついてくる。鳴きも騒ぎもせず、トイレの前に座り待機する。ドアの向こうに白い影があるのを想像すると、ただ用を足しているだけなのに、取り調べを受けている気分になる。

たまに勢い余ってトイレの中まで入ってくることもあるが、中に入ったときは「やっぱ違ったかも」という顔をして出ていく。“だったら最初から入ってくるな”と思うけど、警備にも誤認逮捕はあるらしい。

お風呂の時間も勤務は続く。リンはお風呂が苦手なので、浴室の近くまでは来ない。そこは現場判断ができるタイプである。

パパがお風呂に入っているあいだはリビングのママを監視し、ママがお風呂に入っているあいだは自室のパパを監視する。お風呂から上がると「見えるけれど近づきすぎない距離」に座っている。

もう明らかに計算された距離である。プロの警備員でも、あの視線の置き方はなかなか出せない。

さらに、人の位置関係を把握する能力が異常に高い。パパもママも、それぞれ自室にいる時、リンはその二人を同時に見渡せるリビングの絶妙な中間地点に陣取る。三十センチずれるとママが見えない。一メートルずれるとパパが見えない。その境界線を毎回正確に見つける。GPSどころか、家庭内レーダーが搭載されているとしか思えない。

夜になると、監視はさらに本格化する。パパが寝返りを打てば「タタタタッ」と部屋へ確認に来る。しばらくしてママが動けば、今度はママの部屋へ走る。頭の中では「異常なし、異常なし」と報告しているのだろう。

ところが、ココが夜中に寝床を移動しようものなら大変である。

「ワン!」

一喝が飛ぶ。ココとしては、ただ寝る場所を変えたいだけなのに、理不尽な上司のせいで夜間外出するために許可証の提出を求めれられる。

そのストーカー気質は、犬にとって自由の象徴でもあるドッグランでも変わらない。

リードを外すと、リンは弾丸のように飛び出す。ボールを追い、芝生を蹴り、耳を揺らしながら全力で走る。その姿を見れば、まさに犬である。

だが、その自由は五秒に一度中断される。リンは走りながら振り返り「パパはいるか、ママはいるか、ちゃんと見える場所にいるか」と前方のボールを見ながら、後方の家族を確認する。

興奮しすぎてパパとママを見失うと、リンの楽園は終了する。さっきまで芝生を駆けていた犬が、捜索犬になる。顔つきが変わり、耳が動き、一人ずつ確認しはじめる。

「パパか? 違う。ママか? 違う。この人か? 知らん人だ」

そうやって勝手に面接を行い、不採用を言い渡す。見られた人からすれば、急に審査され、何の説明もなく落とされたようなものだ。

ようやく見つけると、リンは全速力で走ってくる。「どこに行っていたん?」と言いたげな顔である。パパは一歩も動いていないのに、リンの中では完全にパパが悪者扱いだ。

それでも、その顔で飛びつかれると文句など言えない。むしろ「見つけてくれてありがとう」と思ってしまう。ストーカーされている側のはずなのに、見つけてもらって喜んでいた。

思えば、人も似たようなことをしてる。自由になりたいと言いながら、放り出されると不安になり、好きにしていいと言われるほど、どこへ行けばいいのか分からなくなる。

戻る場所が見えているからこそ遠くまで走れる。リンはそれを、全身で教えてくれていた。

一方のココは、広いドッグランであろうと、パパの足元でずっとボールをガジガジしながら守ってる。パパの半径1mがココにとっての自由なのだろう。

リンに見つめられすぎると、もしかしてパパは、相当なイケメンなのではないかと、つい勘違いしてしまう。

そんなことを考えていたとき、リンはパパの横を素通りし、後ろを歩いていたママの方へ走っていった。どうやら顔ではなく配置を見ていたらしい。

🏥 分離不安症との向き合い方


外出中、リンは家でいったい何をしているのだろう。分離不安症の犬と暮らしていると、この疑問は、家を出るたびに頭の片隅で体育座りを始める。

玄関であれほど鳴くのだから、ドアが閉まったあとも騒いでいるのだろうとは思っていた。もしかしたら、しばらく鳴いたあと諦めて眠っているかもしれない。ココやフクと一緒にベッドで丸くなり「まぁ、あの人もそのうち帰ってくるやろ」くらいの達観した顔をしているかもしれない。

しまいには三匹で会議を開き「コンビニか」「いや、スーパーやろ」「帰りに何か落とす可能性あり」と冷静に分析している場面まで想像した。現実を見ないうちは、犬たちも賢者になれる。

そこで、ペットカメラを設置した。

最初にカメラを向けたのは、犬たちがいつも寝ているパパの部屋のベッド。アプリを開くと、画面には静かに寝ているココとフクが映っていた。実に平和な映像だ。ふわふわの毛玉がふたつ、何の悩みもなさそうに寝ている。

これだけを見れば「犬のいる暮らし」という癒し動画である。再生回数もそこそこ稼げそうだ。ところが、そこにリンはおらず、画面の外からは癒しとはほど遠い効果音が響いていた。

\キュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!/

映っていないのに存在感は主役級だ。まるでホラー映画である。「そっち行ったらあかん」と何本もフラグが立っていた。

カメラの向きを変えると、リンは扉の前にいた。小さな白い体で必死に前足を動かし、カシャカシャと扉を引っ掻きながら、声の限りに鳴いている。

分かっていたつもりだったけど、知っていることと、見ることはまるで違う。知識として頭に置いていたものが、画面の中で小さな体を震わせていると、言葉では済まなくなる。

パパはスマホを握りしめたまま、何もできない。抱きしめることも、撫でることも、ただいまと言うこともできない。できるのは、文明の利器に頼って余計なことをするくらいである。

たまらず、カメラ越しに声をかけた。

「リーン、聞こえる?」

その瞬間、リンはさらに混乱した。姿は見えないけど声はする。大好きなパパの声が、どこかから聞こえる。人なら「スピーカーから聞こえている」と理解できるが、犬にそんな理屈は通じない。

呼ばれているのに触れない。
探しても見つからない。

これは安心どころか、愛情を装ったホラー現象である。案の定、リンはさらに鳴き、つられて寝ていたココとフクまでワンワン騒ぎ出した。さっきまで癒し動画だった画面は、犬の合唱会場になり、見守るつもりが現場を炎上させただけである。

その後もリンは、外出中ほとんど休まなかった。鳴いて、泣いて、疲れるとドアの前でうつ伏せになる。それでも眠ることはせず「キューン、キューン」と呟くように鳴きながら、ずっと耳を澄ませている。

車の音、階段の音、玄関まわりの気配。パパやママの車の音にはとくに反応が早く、娘の足音も聞き分けているようだった。

見張っているのではない。
「待っている」
帰ってくると信じて、ドアの向こうに耳を置いている。

病院で相談したこともある。

「リンの分離不安、治せますか」と聞くと、先生は少し考えてから「治す、というより寄り添うですね」と言った。薬を飲めば落ち着くとか、トレーニングで克服できるとか、分かりやすい答えを期待していたからこそ、その言葉は重かった。

抗不安剤を試したこともある。

たしかに落ち着く時間はあったけど、効果が切れれば、リンはまたリンに戻る。不安が消えたわけではなく、一時的に静けさを借りただけだった。

リンは困らせたくて鳴いているわけではない。嫌がらせで玄関に張りついているわけでもない。ただ全身で問い続けている。

「帰ってくるか」
「まだいるか」
「わたしはここにいていいのか」

考えてみれば、人も似たようなものだ。平気な顔をしながら、誰かの返事を待つ。既読がつかなければ不安になり、そっけない一言で一日中考え込む。

不安の扱い方については犬と大差ない。リンはそれを隠さないだけである。怖ければ鳴くし、寂しければ追う。とても分かりやす過ぎて、パパはトイレに行くたび容疑者みたいに監視される。

それでも、ペットカメラを設置してよかった。見えなかった時間の中で、リンがどんなふうに待っていたのかを知れたからだ。

玄関を開けた瞬間、しっぽを振って大騒ぎする理由も分かった。あれは単なる甘えではない。ずっと耳を澄ませ、ずっと待ち続けた末の再会だ。たった五分でも、リンにとっては十年ぶりの帰還である。彼女は時計ではなく、不安の長さで時間を測っている。

分離不安は、治すものかもしれない。支援が必要な状態であることも間違いない。けれど、リンと暮らしてきて思うのは、すべてを「治す」という言葉に押し込めなくてもいいのではないか。

鳴く声も、見張る目も、足元で丸くなる背中も、リンが今日を生きるための方法だ。完璧に治らなくてもいい。少しづつ安心できる時間が増えれば、それで十分である。

ペットカメラに映っていたのは、分離不安という言葉では片づけられない、小さな犬の信頼だった。だから今日も、トイレのドアの前で待つリンに向かって、優しく声をかける。

「帰ってくるって。トイレやから」

見えない時間も、犬は家族を待っている。そう思うと、玄関のドアを開ける音だけでなく、トイレの水を流す音にまで責任が宿る。

💘 手のかかる子ほど可愛い


リンは、愛し方が不器用な犬である。

パパが同じことをすれば完全に職務質問案件だが、犬だから「かわいい」で済んでいる。上着を着るたび鳴き、玄関に向かうだけで、この世の終わりみたいな顔をされると“大変な子を引き取ってしまった”と思ったこともある。ただ、あの潤んだ目で見つめられたら、監視も束縛も愛情表現に変換されてしまう。

リンは元保護犬で、分離不安がある。そう書くと真面目な話になりそうだが、我が家で起きていることは、拗らせた恋愛ドラマに近い。

好きなのに素直に甘えられない。近づきたいのに、抱っこは嫌がる。撫でてほしい顔をするのに、手を伸ばすと引く。けれど、視界から消えるのは許さない。なんとも勝手な女である。昼ドラなら、三角関係の真ん中にいるタイプだ。

「べ、別に……えっ、ど、どこ行くの?」と沢尻エリカ様になりきれないところが、また可愛い。

一方、ココはわかりやすい。愛情表現が「好き!」と直球だ。抱っこをせがみ、顔をぺろぺろなめ、最後はパパの股の間で寝る。たまに布団の上で吐くが、それも含めて直球である。

同じ犬でも、ここまで違うのだから面白い。

リンには、いつもの場所がある。パパのベッドの端っこだ。そこはリビングにいるママも見えるし、自室で作業しているパパの背中も見える。娘が動けば気配も拾える。家族全員を一度に確認できる特等席だ。しかもパパの加齢臭つきである。もっと良い場所はいくらでもあるはずなのに、リンはいつもそこを選ぶ。

リンにとって大事なのは寝心地ではない。見えることだ。誰かの気配が家の中にあること。それがリンにとってのお守りである。以前は、扉が閉まるたびに世界が終わっていたけど、今は、誰かが見える場所で眠れるようになった。これは小さな変化に見えて、我が家にとってはかなり大きな奇跡である。

もちろん、夜間巡回パトロールは今も続いている。だが、その背中は以前よりずっとやわらかい。置いていかれる不安で動いていた頃とは違い、今のリンは、家族がちゃんとそこにいることを確認しながら、少しずつ眠れるようになっている。

『手のかかる子ほど可愛い』という言葉は、まさにリンのことだろう。

完璧だから愛しいのではない。面倒で、不器用で、予定をちょいちょい乱してくる。困りごともいつの間にか日常になり、やがて愛着になる。「面倒くさい!」は、愛情の別名だ。

今日もリンは、パパのベッドの端っこに座り、家族の安心を見守っている。そこからママを見て、娘の気配を聞き、パパの背中を確認しながら寝息を立てる。なかなか拗らせた愛だけど、その遠回りごとリンである。

そしてベッドの中央では、ココが当然のように寝ている。真ん中はココ、端っこはリン、さらにその隙間にパパが遠慮がちに体をねじ込む。パパのベッドなのに、パパの居場所が一番少ないという不思議な現象が毎晩起きている。

手のかかる子ほど可愛い。

問題は、手のかかる子が二匹いることである。

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