沈黙のオムライス
「やれやれ」と僕は思った。世の中には宣言するボイコットと、宣言しないボイコットがある。
前者はニュースになる。駅前にはプラカードを持った人々が集まり、テレビ局のカメラが来て、やがて夜のニュースで三十秒ほど流れる。
後者は家庭で静かに発生する。誰も拍手しないし、誰も声明文を読み上げない。せいぜい冷蔵庫の中で賞味期限の近い卵が、少しだけ所在なさげに転がるくらいだ。
事の始まりは、何の変哲もないオムライスだった。僕はその日、仕事から帰ってくる妻のためにオムライスを作った。玉ねぎを刻み、ケチャップライスをそれらしい赤さに染め、卵をかぶせた。卵の焼き具合も悪くなかった。半熟すぎず、固すぎず、四十代の胃袋と家庭内の機嫌にちょうどよい落としどころである。
ケチャップでハートを描くような冒険心は僕にはない。家庭料理に過剰な演出を持ち込むと、たいていの場合、料理より先に僕の精神が焦げる。
僕はオムライスをテーブルに置いた。皿の上の黄色い楕円形は、静かに役目を待っている。ところが妻はそれを見て、少し眉を寄せ、そして言った。
「これ何? 私の?」
僕は、世界のどこかで小さな歯車が外れた音を聞いた気がした。むしろそれ以外に、どんな可能性があるというのだろう。僕が仕事終わりの自分自身のために、わざわざ妻の席へオムライスを献上するような、そんな前衛的な家庭内アートを始めたとでもいうのだろうか。
「言ってくれなきゃわかんないんだけど。なんで、できたよ、とか何も言わないの?」
僕は少し考えた。オムライスはどれだけ卵の包み方が上手だったとしても、自ら歩いて「奥さま、お疲れさまでした。こちら本日の夕食でございます」と自己紹介することはない。もしそんなオムライスが存在したら、それはもう晩ごはんではなく新手のミュージカルだ。黄色い衣装をまとった米粒たちが、ケチャップの照明を浴びながら舞台中央で歌い出すかもしれない。
しかし、その日の妻にとっては、料理にもアナウンス機能が必要だったらしい。駅のホームで「まもなく夕食が到着します」と流れるように、僕は声に出して伝えるべきだったのだろう。
もしかすると、本来の家庭料理には、僕が知らないだけで、食卓の前に小さな鐘を鳴らす制度が存在するのかもしれない。あるいは白い手袋をはめ、皿を置きながら「奥様、本日の一品でございます」と言うべきだったのかもしれない。
反論しようと思えばできた。「これはどう見てもあんたのオムライスや」とか「自分のやったら、めんどくさい。焼飯にするわ」とか「そもそも料理を作らない人が詰める構図はなんやねん」とか、僕の中にはいくつかの反論が、引き出しにしまわれた古い靴下みたいに丸まっていた。しかし、それを取り出したところで、最後には冷めたオムライスが残るだけである。
だから僕は料理をやめることにした。
立ち上がって拳を握り「本日をもって妻への料理提供を無期限停止する」と高らかに告げたわけではない。僕にできることは、ただ台所から距離を置くことだった。
フライパンを握らない。鍋を火にかけない。冷蔵庫の残り物を見ても、見なかったことにする。家庭内における小さな非暴力抵抗である。
一週間が過ぎた。誰にも拍手されなかったし、誰にも取材されなかったし、僕は何も作らなかった。冷蔵庫の中の野菜たちは、世界から役割を奪われた俳優のように、野菜室の奥でじっと出番を待っている。キャベツは沈黙し、ピーマンは哲学的な表情を浮かべ、卵は相変わらず丸かった。それは別に悪いことではない。世界には丸いものが必要な朝もある。
沈黙にも熟成期間がある。短すぎればただの不機嫌であり、長すぎれば何に怒っていたのか自分でもわからなくなる。そろそろいい頃合いだろうと僕は台所に立ち、オムライスを作ることにした。玉ねぎを炒め、米がだんだんと赤く染まっていく。
やれやれ。夫婦関係もこれくらい単純ならいいのに。熱を加えればやわらかくなり、塩を入れれば味が整う。だが家庭の会話は、塩加減だけではどうにもならない。
僕は妻に聞いた。
「今日、オムライスだけど、どうする?」
すると妻は、ここ一週間分の沈黙をまとめて解凍した。
「飯は作らない。パンも買ってこない。私は疲れて帰ってきて、お腹空いてるの我慢してお風呂に入って、それから自分のご飯を作らなきゃいけない。その間に洗濯して、あれもこれもして……」
言葉は次々に出てきたのを、僕は黙って聞いた。まるで冷凍庫の奥に眠っていた保冷剤が、引き出しを開けた拍子に全部落ちてくるみたいだった。
僕としては「なぜ作った側が怒られなければならないのか」という哲学的な問いを静かに投げたつもりでいた。しかし、妻からすれば、ただ飯を作らない男がそこにいただけだったのだろう。
僕はオムライスを見た。テーブルの上で卵は黙って揺れていた。やれやれ。宣言しないボイコットは、静かで美しい抵抗のように見えて、実際にはかなり伝達効率が悪い。言わなければ伝わらないし、言ったら言ったで面倒くさい。
そう考えると、オムライスは案外、危険な料理である。卵に包まれているのは米だけではない。期待や疲労や沈黙や「言ってくれなきゃわかんないんだけど」という生活の湿度まで、きれいに包んでしまう。
僕は料理のボイコットを始めたつもりだったけど、会話も省略していた。オムライスはテーブルに置いた。けれど、その前後にある「できたよ」や「食べる?」や「今日は疲れてる?」を置き忘れていた。オムライスは完成していたが、家庭内の文脈は半熟だった。
僕は反論せず、謝罪もせず、ただ静かに頷いた。僕にもプライドがある。たとえそれが卵一枚ほどの薄いプライドであっても、破れる時にはそれなりの音がする。
やれやれ。僕のボイコットは、今日もまだ半熟のまま継続中である。
