「5分で紹介」広島|「福山城」攻め
いざ!城攻めじゃあ!
全国各地にある城を攻めまくり、「天下統一」を目指すことにしたよ。
これは、そんな夢見がちな「足軽サラリーマン」の ”城攻め” の記録を5分で紹介する記事です!
こたびの戦で攻めるのは、広島県は福山駅前にどどんと聳え立つ「福山城」です。
徳川家康が天下統一を果たした後も、西国大名達の動きに敏感にならざるを得ない時期に、西国に睨みを効かせるための防御拠点として、家康の従兄弟「水野勝成」公が築城しました。
実戦を想定し、かつ威圧的な風格が必要なことから、10万石大名としては破格の(100万石に匹敵する規模の)規模を誇る城郭となりました。
戦国時代から続く築城建築の集大成として、最高技術が注ぎ込まれた城です。
▪️福山城の攻めどころ▪️
① 徳川家康が天下統一した後、1619年に家康の従兄弟の水野勝成公によって築城されました。
② 「日本百名城」(No.71)に選定されています。
③ 実際の戦火を交えたことはなく、明治時代の廃藩置県でその役目を終え、民間に払い下げられました。
④ その後、1945年、太平洋戦争末期の福山空襲で天守を含めた、ほとんどの建物が焼失してしまいます。
⑤ 1966年(昭和41年)に現在の天守が再建されました。
⑥ 天守のほか、「筋鉄御門」、「お湯殿」、「伏見櫓」、「月見櫓」などの建物があります。
※当時はもっとたくさんの櫓や塩蔵などがぎっしりと建てられていました。
それぞれの櫓は小さな城なら天守に匹敵する規模でした。
⑦ 実は福山城は北側の防御が弱く、その弱点を補うために、天守北側の壁面にだけ「黒い鉄板」が貼られた珍しい天守です。
三方はまばゆいばかりの白壁、北側は黒々とした威圧的な見た目です。
⑧ 当時はニ重の堀が巡らされた広大な城域を誇っており、近代化に伴い、だいぶ埋め立てられてしまいましたが、現在ではかつての城内に新幹線駅の福山駅が作られて、新幹線で通過すれば、自動的に福山城に来たことになる珍しい城です(と、春風亭昇太師匠が天守内シアターで解説しています笑)
⑨ 天守の中は資料館となっています。歴史的資料のほか、大小様々なシアターがあって、城や街の歴史を興味深く解説してくれます。その他に騎馬体験、一番槍体験、60m離れた窓を狙う火縄銃体験などアミューズメント要素もあり、最上階からは福山の街が一望できます。すぐ真下を新幹線が駆け抜けます。














これは面白い。














翌日も城攻めして天守まで登りました。
天守の中はミュージアムになっていて、歴史的史料のほか、各種体験ブースもあり、エンタメ性があります。



















「5分で紹介」「福山城」おしまいです。
石垣に刻まれた時間に、また1つ歴史の風を感じた日だったよ。
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元和8年(1622年)。大坂の陣が終わり、天下は徳川の世へ移りつつあった。だが、戦を知る者ほど、平和が永遠ではないことを知っていた。
備後十万石を与えられた 水野勝成 は、高台に立ち、これから築かれる城の地を見つめていた。
――ここだ。
若き日、勝成は主君を離れ、諸国を流浪し、幾度も命のやり取りをしてきた。槍を振るい、血煙の中を駆け抜けた日々。人は「鬼日向」と恐れたが、本人にはそんな名などどうでもよかった。
目の前にあるのは戦場ではない。これから生まれる町だった。
「戦の強さだけでは国は治まらぬか……」
勝成は小さく呟いた。
築かれるのは、ただの城ではない。西国を見据える備えであり、人が集い暮らす場所の礎だ。だからこそ守りは堅く、城下は栄えねばならない。
やがて完成した 福山城 を見上げ、勝成は静かに思った。
―戦ばかりしてきたが、最後に築くものが平和の町とはー
瀬戸内の風が吹いた。
乱世を生き抜いた武将は、その風の中で初めて、槍ではなく城を後世に残したのだった。
