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「5分で紹介」広島|「広島城」

全国各地にある城を巡りまくって、「天下統一」を目指すことにしたよ。
これは、そんな夢見がちな「足軽サラリーマン」の ”城巡り” の記録を5分で紹介する記事です!

今回訪れるのは平和都市広島のシンボル「広島城」です。

▪️広島城の見どころ▪️
①豊臣秀吉の傘下に下った「毛利輝元」(もうりてるもと)が、秀吉の「大阪城」に魅せられて、自分も立派な城を建てる!と思い立ちます。
1588年に築城をスタートさせ、およそ11年かけて1599年(関ヶ原合戦の前年)に完成したよ。
②ところが、ようやく完成したものの、関ヶ原合戦で立場上「西軍(豊臣・石田光成)側の総大将」であったため、1600年には徳川方に功績のあった福島正則に取られてしまうんだね。輝元は今の山口県(長州藩)へ移動。
③最盛期には天守のほかに2つの三層小天守と、88個もの櫓を構えた巨大な城で、国内最大規模を誇っていました。
④もちろん「日本百名城」の1つです。(百名城№73)
⑤太平洋戦争末期の広島の原爆投下で爆心地からわずか1kmほどしか離れていなかった「広島城」は天守を含め、多くの施設が崩壊してしまいました。戦後、復興のシンボルとして僅か6年で2代目天守が建てられました。
⑥現在の天守は3代目(鉄筋コンクリート製復元天守)です。

広島駅から路線バスに乗り「合同庁舎前」バス停で下車。合同庁舎の脇を歩くと遠くに広島城の天守、目の前に大きな堀が見えてきます。

堀に浮かぶ二の丸。
手前が「太鼓櫓」、左奥が「平櫓」。
その間を「多聞櫓」が繋ぎます
「毛利輝元」公の立像。
右手は天を指しています♪
なんかカッコいい!
「二の丸」に渡る「御門橋」です♪
「御門橋」から入城しましょう!
広島城の玄関口「表御門」です。
とても重厚で立派な門です。
「二の丸」広場
「被爆樹木:ユーカリ」
原爆の爆風、熱で周りの建物が消失する中で生き残ったユーカリの木です。
「二の丸」は戦国期の城郭の特徴「馬出し」という機能・構造を持っています。
二の丸から本丸へ渡る内橋を渡ります。
今は石垣が残るだけとなりましたが、原爆で破壊される前には、この石垣の間に「中御門」がありました。
広島「大本営」跡
本丸広場
天守台へ上がる階段です。
広島城の天守です。
威風堂々といった佇まいです♪
天守キタァ!
「天守エントランス」券売所
さっそく天守の中に入ってみます。
天守の中はミュージアムとなっており、歴史資料やモニター・音声を使っての解説など色々な展示があります。
歴代シャチホコ
広島城のゆるキャラ「しろうニャ」
天守は5階建ての鉄筋コンクリート構造
甲冑
日本刀
日本刀の展示がすごい。
外国人の方が多いのですが、このコーナーは人気がありましたね♪

天守に入れるのは今だけ!
実は天守は2026年3月に無期限閉館(閉城)してしまうのです!つまり天守に登れるのもあと少しということです。
(※現在名古屋城なども中には入れない)
そんなぁ!閉城に向けて1年間様々な催し(カウントダウンイベント)が開かれているとのこと。

ちなみに城内にある武具甲冑や歴史資料は現在建設中の「三の丸歴史館」に移されるとのことです。
5階の最上階は回廊式の展望台になっています。
360度のパノラマビューで広島市街が一望できます♪
真ん中あたりにちょこんと原爆ドームも見えます。(写真では見にくいかも)
城内には兜の試着体験や日本刀の重さ体験などの面白い展示も沢山あります。
こちらも外国人に人気でしたよ♪
天守基礎石


毛利氏が転封により広島を去ったあと、新たな城主として「福島正則」公が入城します。
その頃には武家諸法度により、城の改修などは幕府の許可が必要でした。
福島正則はこれらを無視して

帰りは「裏御門」から堀を渡って外に出ます。
広島護国神社の鳥居を潜れば城の外です。


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鯉城、川の国に立つ

天正十七年(1589)。
太田川の三角州に立った毛利輝元は、潮の匂いを含んだ風を受けながら、足元の湿った大地を見下ろしていた。

「ここに、城を置く」

家臣たちは一瞬、言葉を失った。
海に近く、川が分かれ、地は低い。城地としては決して盤石とは言えぬ土地である。だが輝元の視線は、すでに未来を見据えていた。

瀬戸内海を押さえ、西国を束ねるための要衝。
水は守りとなり、同時に物流となる。川と海を制する者が、この地を制す――それが輝元の確信だった。

やがて城は形を成していく。
平地に築かれた輪郭式平城。堀は太田川の水を引き込み、城下は水路によって細やかに区切られた。
天守は五重、外壁は白く、黒い下見板が引き締める。川面に映る姿は、まるで鯉が水中を泳ぐかのようであった。

人々はいつしかこの城を「鯉城(りじょう)」と呼んだ。

だが、栄華は長くは続かない。
慶長五年(1600)、関ヶ原。輝元は西軍の総大将とされながらも、実際には動けぬまま敗北を喫した。
戦の果て、毛利氏は周防・長門へと減封され、広島を去る。

城は、勝者の手に渡った。

新たに入城したのは福島正則。
勇猛で知られた武将は、城を大改修し、石垣を高く、天守をより実戦的な姿へと整えた。
だが彼は、武辺者であるがゆえに、法を恐れなかった。

無断で行った城の修築。
それが徳川幕府の逆鱗に触れ、正則は改易される。

元和五年(1619)。
城に入ったのは浅野長晟。
彼とその子孫は、以後二百五十年、広島を治め続ける。

浅野の治世のもと、城はもはや戦のためだけの場所ではなくなった。
政庁として、城下町の中心として、学問と文化を育む場へと姿を変える。
武士も町人も、川とともに生き、城を仰ぎ見て日々を重ねた。

やがて時代は流れ、明治。
廃城令により、天守は取り壊される。
そして昭和、再び天守は建てられたが――

昭和二十年八月六日。
原子爆弾は、城のすぐ近くで炸裂した。

天守は崩れ、城下は焦土と化した。
水の城は、炎に包まれた。

それでも、広島の人々は立ち上がった。
昭和三十三年、鉄筋コンクリートによって天守は再建される。

川は今も流れ、城はそこに立つ。
戦の城として、政の城として、そして復興の象徴として。

広島城――
それは、時代に翻弄されながらも、水と広島の人々ともに生き続けた城である。

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5分で紹介「広島城」おしまいです。
石垣に刻まれた時間に、また1つ歴史の風を感じた日だったよ。

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