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「5分で紹介」岩手|「盛岡城」攻め

いざ!城攻めじゃあ!
全国各地にある城を攻めまくり、「天下統一」を目指すことにしたよ。
これは、そんな夢見がちな「足軽サラリーマン」の ”城攻め” の記録を5分で紹介する記事です!

こたびの戦で攻めるのは南部盛岡藩の「盛岡城」です。
完成までに実に35年もの歳月を掛けて築かれた城も、明治政府の廃城令により天守を含めてすべての建築物は取り壊され、今では縄張りと石垣が残るのみとなってしまいましたが、かつては北上川、中津川の水流を巧みに取り込んで築かれた堅固な城だったことが窺える城です。

▪️盛岡城の攻めどころ▪️
①東北地方で最大規模とされる総石垣の城で、建物はなくとも壮大な石垣が、なんと言っても最大の見どころです。
②北上川と中津川の水流を取り込んで張り巡らされた堀も、見どころの1つと言って良いと思います。
③幅90m、最も高い場所で14mにもおよぶ高石垣が、当時の技術の高さを雄弁に語っています。
④豊臣秀吉の東北再編に伴って南部氏が、かつて「不来方」(こずかた)と呼ばれたこの地に築いたのが盛岡城です。
⑤日本百名城(No.6)に選定されています。
⑥現在では「盛岡城跡公園(岩手公園)」として整備されています。
公園内には宮沢賢治や石川啄木の歌碑も建っています。
⑦城に隣接する「櫻山神社」の境内には、石垣としても使われている「烏帽子岩」という巨岩が威風堂々と立っていて(祀られていて)圧巻です。

JR「盛岡駅」から徒歩で20分(約1.5㎞)ほどで大きな堀と石垣が現れます。
城に隣接する「櫻山神社」です。
神社の拝殿裏には「烏帽子岩」という巨岩が立っています。
たしかに「烏帽子」のように見えるね。
城の石垣の一部として使われていた岩です。
もう1つカエルのような岩が・・・
さっそく城内へ行ってみましょう!!
「三ノ丸広場」
「三ノ丸」からは下の多目的広場が見下ろせます。
「三ノ丸」から「二ノ丸」へ続く通路です。
「二ノ丸」に立つ、石川啄木の歌碑です。
「二ノ丸」から「本丸」へ向かうための「渡雲橋」が見えてきます。
石垣から石垣へ渡ります。
「本丸跡」です。
「本丸跡」は少し高台になっていて、市内が良く見えます。
「本丸跡」からの眺望です。
かつては「南部利祥」公の騎馬像がそびえ立っていたそうですが、太平洋戦争の末期に金属不足ため供出され、溶かされてしまいました。今は台座だけが残っています。
一番下の「(多目的)広場」へ降りてみます。
サッカーグラウンドくらいの広さがあります。
城を囲う堀の一部が日本庭園のようになっています。「鶴ケ池」です。
自然の巨岩がそのまま城を守る石垣として使われています。
櫻山神社の正門です。
城内を出て、市道を挟んだ向こう側。今は商店街になっていますが、かつては盛岡城の「下曲輪」突出した出曲輪でした。
商店街入口に立つ、旧漢字がかっこいい「巌手公園」碑。
下曲輪の入口です。かつてはここからが城内でした。

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北へ向く城

奥州の冬は長い。
雪は音を吸い、風は鋭い。
盛岡の地は、北へ伸びる道と、南から来る道が交わる場所だった。

慶長二年(1597)。
南部信直は、根城から新たな本拠を移すことを決める。
選ばれたのは、北上川と中津川が合流する丘陵地。
水に守られ、街道を押さえる要であった。

盛岡城に天守はない。
だが石垣は高く、堅い。
使われたのは、安山岩。
寒冷地でも崩れにくい、黒い石だった。

城は山を削り、谷を埋めて築かれた。
北の国にふさわしく、派手さはない。
だが曲輪は重なり、守りは深い。

盛岡城は、外を睨む城である。
津軽、秋田、そして蝦夷地。
この城は、南部の北限を守る要だった。

関ヶ原の後も、南部家は改易されることなく、この城から北奥州を治め続けた。
戦は起こらず、城は「使われない」まま時を重ねる。

冬。
雪が石垣を覆い、城は白く沈黙する。
その姿は、威を誇るものではない。
耐えるための城の姿だった。

盛岡城は語る。
城は、華やかである必要はない。
守るべきものが明確であれば、それでよいと。

北へ向いて立つこの城は、
寒さと時代の変化に耐えながら、
奥州の境を、静かに守り続けたのである。
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5分で紹介「盛岡城」おしまいです。
石垣に刻まれた時間に、また1つ歴史の風を感じた日だったよ。

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