「5分で紹介」愛知|「名古屋城」攻め
いざ!城攻めじゃあ!
全国各地にある城を攻めまくり、「天下統一」を目指すことにしたよ。
これは、そんな夢見がちな「足軽サラリーマン」の ”城攻め” の記録を5分で紹介する記事です!
こたびの戦で攻めるのは、「日本三大名城」の1つ『名古屋城』です!
”尾張名古屋は城で持つ” と謳われるほどの立派なお城です。
■名古屋城の攻めどころ■
①「日本百名城」(№44) の1つ。その美しさが最大の魅力です。
② 別名で「名城」や「金鯱城」(きんしゃち・きんこ)とも呼ばれています。
その名の通り「金のしゃちほこ」がトレードマークのお城です。
屋根の上を見上げてください。燦然と輝く金の鯱は要チェックです。
③徳川家康によって、天下統一後の1610年に築城が開始されました。
なんと徳川配下の大名20名が築城に携わっています。
※「公儀普請」と言って、将軍の命令で諸大名の私財や労力を使わせて行なう工事です。
④豊臣秀吉の時代から残る「西南隅櫓・東南隅櫓」も見どころの1つ。
⑤「天守」、「金の鯱」、「本丸御殿」(城主の住まい)と言った歴史的な建造物は太平洋戦争末期の「名古屋空襲」の際に、残念ながら消失してしまいました。
⑥その後天守は14年の歳月を経て、市民たちの熱意や寄付により再建され、再び「名古屋のシンボル」となります。
天守は36.1mで大阪城に次いで堂々の国内2位の高さを誇っています。
⑦現在(2025年現在) 天守は老朽化や耐震の関係で入場できません。
無期限閉館中であり再開の詳細時期などは不明です。※相当な期間だと思われます。現時点では外から眺めるのみです。
⑧天守は入れませんが、石垣・堀・天守の基礎石などにも注目です。








16:30最終入場に間に合わず。



屋根の上の「金の鯱」にも注目です。



(※連立式天守ではありません。)








----------------------------------
金の鯱、尾張に立つ
慶長十五年(1610)春。
徳川家康は、那古野の台地に立ち、湿った風を頬に受けていた。
かつて織田信長が産声を上げたこの地は、戦乱の世では通過点にすぎなかった。しかし関ヶ原を越え、天下の形が定まりつつある今、家康の目には別の意味を帯びて映っていた。
――ここは、西を睨む要である。
豊臣方はいまだ健在。大坂城は巨大な獣のように息づいている。東の江戸だけでは、徳川の世は安定しない。
「尾張に、天下の盾を置く」
家康は静かに言った。
名古屋城の築城は、天下普請として命じられた。加藤清正、福島正則をはじめ、西国大名たちが動員される。石を運び、堀を穿ち、天守台を積み上げるその労役は、命令であると同時に、徳川の力を誇示する儀式でもあった。
巨大な石が音を立てて組み上がるたび、大名たちは悟った。
――もはや、徳川に逆らう世ではない。
天守は五重。白漆喰の壁が陽光を跳ね返し、城下から仰げば雲に届くかと思われた。その頂に据えられたのが、金の鯱である。
金箔を押した二体の鯱は、南を向き、大坂の方角を睨んでいた。
「派手すぎる、という者もおります」
側近が控えめに言う。
家康は微かに笑った。
「よい。徳川の城は、隠すものではない」
城は完成し、九男・義直が尾張藩主として入る。名古屋は、戦場ではなく、抑止の象徴となった。
その威容ゆえに、名古屋城は一度も本格的な攻城戦を受けることがなかった。
やがて家康は江戸に戻り、時代は静かに動いていく。
だが尾張の天守に立つ金の鯱は、変わらぬ姿で空を睨み続けた。
戦わずして勝つ。
名古屋城は、徳川の世が「力」で築かれ、「威」で保たれたことを、無言のまま語り続ける城なのである。
-----------------------------------
「5分で紹介」日本三大名城「名古屋城」おしまいです。
石垣に刻まれた時間に、また1つ歴史の風を感じた日だったよ。
