「5分で紹介」高知|「高知城」攻め
いざ!城攻めじゃあ!
全国各地にある城を攻めまくり、「天下統一」を目指すことにしたよ。
これは、そんな夢見がちな「足軽サラリーマン」の ”城攻め” の記録を5分で紹介する記事です!
こたびの戦で攻めるのは、土佐の国「高知城」です。
初代城主「山内一豊」によって築城された名城です。
坂本龍馬・板垣退助・後藤象二郎・武市半平太など幕末の志士たちを育むことになる土佐の国で、常に中心であったのが「高知城」です。
▪️高知城の攻めどころ▪️
①初代城主は「山内一豊」
1600年の「関ヶ原の戦い」で功績をあげ、徳川家康から褒美として与えられたのが、ここ土佐20万石でした。10年かけて築城したよ。
②国内に12しか残っていない「現存12天守」の1つ。
さらに「天守」+「本丸御殿(お殿様の住まい)」がダブルで残っているのは、国内唯一ここ「高知城」だけ!
③「日本百名城」(№84) の1つ
④ライトアップが素晴らしく、「日本三大夜城」とも呼ばれています!(別記事にて)
⑤15もの関連建造物が「重要文化財」指定されています。
⑥「追手門」(正門)と「天守」がともに残っているのは国内3城のみ!
⑦「忍び返し」、「石落し」、「詰門」など、様々な防御・攻撃の仕掛けがあるお城ですが、実は1回も「実戦」で使われていないんです。
⑧「野面積み」と「打込ハギ」の2つ種類で高くそびえる「石垣」が特徴的なお城です。




櫓門となっていて、中から敵を攻め、守ることができる門です。








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土佐一国、城ひとつ
土佐は遠い。
山が連なり、海が迫り、中央の権力からは常に距離があった。
慶長六年(1601)。
関ヶ原の後、山内一豊は土佐一国二十四万石を与えられ、浦戸城に入った。だが城は海に近く、高潮と風に脆かった。
「ここは、戦にはよいが、治めるには向かぬ」
一豊はそう判断する。
彼が選んだのは、鏡川と江ノ口川に挟まれた内陸の丘陵だった。かつて大高坂山と呼ばれたその地は、水に守られ、城下を広げる余地もある。
土佐を「戦国」から「領国」へ変えるための場所であった。
築城は慶長八年(1603)頃から本格化する。
石垣は野面積み。荒々しいが、山国の土佐らしい強さを持っていた。天守は三重六階。飾り気はない。
「立派すぎる城は要らぬ」
一豊は、実直な城を望んだ。
高知城が他の城と異なるのは、天守と本丸御殿が現存することである。
それは、権威を誇るためではなく、政を行うための城だった証でもある。
だが城が完成すると同時に、土佐には静かな断絶が生まれる。
旧来の長宗我部家家臣たちは「郷士」とされ、山内家の家臣である「上士」と分けられた。
城下は整えられたが、人の心には溝が残った。
一豊はそれを知りつつも、城を中心に国をまとめるしかなかった。
武よりも政。
土佐を「一国」として成り立たせるには、城が必要だった。
城下町はやがて「高知」と呼ばれるようになる。
それは「河中山城」という古名から転じた名だという。
高知城は、外に向かって威を示す城ではない。
土佐という閉ざされた国を、内から支える城である。
その天守は今も、山と川と町を見下ろしながら、
土佐が「治められる国」になった瞬間を、黙して語り続けている。
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「5分で紹介」「高知城」おしまいです。
石垣に刻まれた時間に、また1つ歴史の風を感じた日だったよ。
