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自分から見て無駄に思えることが、予想外の何かを解決してくれている可能性をどこまで考慮するか

「無駄」の認識を改めた。

まとめ

・自分が予想できず、発生したときの衝撃に耐えられない問題にどう対応するか
・これに対して「予想して対応する」は無理。別の方法がわからないから見てみないフリをしていた
・衝撃に耐える「余裕」をつくるしかない。しかし、その「余裕」はどんな衝撃に耐えるのかわからないから、無駄に思える
・その無駄を組織レベルで維持するなら、「ある程度の無秩序を許容する」ぐらいしかないだろう

予想外の問題のうち、前触れもなくやってきて、衝撃に耐える準備ができないもの

自分が予想できる問題、予想できない問題がある。どれぐらい予想できてると思っているかも、人それぞれだ。

問題が起きたとき、その衝撃に耐えられるかどうかでも分類できる。

予想できるけど、衝撃に耐えられない部分(右上)は、対策をすることで衝撃に耐える方向にもっていける。

左上の部分をどうすればいいのかを考えてみたい。

予想して対策するアプローチには限界があると薄々気づいてたが、気づかないフリをしていた

すべての「予想できなくて、衝撃に耐えられない問題」を、「予想できて、衝撃に耐えられる問題」に置き換えるのは無理がある。ほとんどの人は「そりゃそうだ」となるだろう。

でも、少なくとも私は、仕事でもそれ以外でも、「問題には予想して対応していくアプローチばかりとっている気がした。それじゃ無理なのに。なぜだ。

予想できない問題への対策方法がわからないから

事前に予想できない問題への対策がわからないから、気づかないフリをしていた。「反脆弱性」を読み直して考えてみた。

予想できない問題への対策:無駄に思えるぐらいの余裕をつくる

ここから先の話は、より言葉のイメージだけで捉えてほしい。

・前もって準備できない「衝撃」に耐えるには、衝撃に耐える「余裕」をつくる
・その「余裕」はどんな「衝撃」に耐えるものなのか、自分には理解できない。だから「無駄」に思える
・「無駄」は減らしたくなってしまう、結果として予想外の問題へ対応できる度合いが減る

これぐらいしか思いつかなかった。「冗長性」と置き換えてもいいが、仕事における「冗長性」には「予想できる衝撃に耐える余裕」というニュアンスがある。ここでは、自分には理解できない単なる「無駄」が必要だという話を書いている。

無駄に思える「余裕」をどうやって維持するか?

自分ひとりの場合:自分の予想力を低めに見積もって、余裕をもっていく

今回書いた内容を意識しながら、無駄が何かもわからないけど、余裕増やすことはできそう。

集団の場合:無秩序化することで「余裕」をつくる

こっちの話のほうが面白い。今まで書いてきた図は「自分」を「自分たち」とか「人類」に置き換えても成立する。主語を人類にしたら、予想できる問題や衝撃に耐えられる問題が多少増えるとしても、構造は変わらない。

この場合、みんなの合意形成で「無駄をつくろう!」は多分無理だ。秩序を保たないことで結果としてそれぞれが好き勝手にいろいろ行動し、余裕ができるということになるのだろう。

会社だと無秩序や余裕が「無駄」とされ排除されやすい問題

仕事にとって「無駄」は敵であり排除すべき対象だ。

無駄を判断している人(えらい人?)が、どれぐらい自分の予想力を疑えるか

無駄を排除するのは、判断すべき自分たちが今後起きることを予想できることが前提だ。ここに関する認識を変えて、余裕をつくることはできるだろうか。ちょっと怪しい。単にざっくりした性格だったり、何かしらの経験則に基づき無駄を許容しているような人も多そう。

経営理念が、余裕をつくる建前になることがある

会社にある理念やミッションによって、「無駄」が許される場合がある。その活動が予想外の問題に結果として対応できる「余裕」になっているケースを私はみてきた。こっちのほうがありえる気がした。







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