【短編小説】応答力
「先週報告した画面表示の不具合、対応完了しましたよね?」
業務部門の高橋が、進捗会議の終盤でそう言った。会議室の窓から、昼前の白い日差しが差し込んでいた。
もうすぐ十二時か、と宮田は思った。さっきから小さく腹が鳴っていて、今日は生姜焼きにしようか、それとも別のものにしようか、資料をめくりながら少し考えていた。
「はい、対応完了してます」システム担当の伊藤が答えた。
高橋は頷き「では、お客様への案内を掲載しますね」と答えると、次の質問へ移ろうとした。
「すみません、少し確認させてください」
声を上げたのは川辺だった。
「今、確認されたかったのは、修正が本番環境に反映されて、今実際に使える状態になっているか、ということでしょうか」
高橋が頷いた。「そうです。もう直ってるものとして、お客様にご案内していいのかを知りたくて」
「それでしたら、回答はノーです」川辺は間を置かずに続けた。
「修正自体は完了していて、テスト環境では確認も取れています。ただ、本番への反映は来週の定例リリースになるので、現時点ではまだ本番では直っていません。今週中に必要でしたら、緊急リリースの手続きを進めます」
高橋の表情が変わった。「そうだったんですね。あやうく修正済みで案内を出すところでした。リリースは来週で構いません。お客様へもそのように案内を出しておきます」
会議はそのまま終わった。宮田は資料を閉じながら、あと一歩で誤った案内が出ていたことに、今さらながら背筋が冷える思いがした。
会議室を出てそのまま、同じ口座管理システム改修プロジェクトのメンバー三人で、いつもの定食屋に向かった。宮田と同期の川辺、そしてその後輩の中村。開け放した引き戸から出汁の匂いが漂っていて、宮田はいつも通り生姜焼き定食を頼んだ。
中村は日替わり定食の唐揚げを箸でつまみあげながら言った。
「さっきの高橋さんと伊藤さんのやりとり、危なかったですね。僕も、伊藤さんの『対応完了してます』を聞いた時、普通にもう直ってるんだと思っちゃってました」
「あー、あれね」川辺は特に気負う様子もなく答えた。「別に伊藤の言い方が悪かったわけじゃないよ。あいつの答え、システム担当者として嘘じゃないし、間違ってもいない」
「でも、結局話が変わりましたよね」
「うん。俺らは『対応完了』って、修正コードができた時点で使うことが多いけど、高橋さんが知りたかったのは『もうお客様に案内していいか』、つまり本番に反映されてるかどうかだから。答えるための前提が、二人の中でズレてただけ」
中村は湯呑みに手を伸ばしながら、少し考えるような顔をした。「言われてみれば、僕も『対応完了しました』って、本番反映前でも普通に使っちゃいます。川辺さんはどうして高橋さんが本番環境に反映されているかを聞きたかったということに気づいたんですか?」
「気づいたっていうか、癖みたいなもんだけどさ。誰かが質問してるのを聞くとき、まず自分の中で"これ、今の言葉のままで答えたら、ちゃんと相手の欲しい答えになるかな"って一回考えるんだよね」と、川辺は答えた。
「一回考える、ですか」
「うん。今回で言えば、高橋さんは『対応完了しましたよね』って聞いてる。でも、それにそのまま『対応完了してます』って答えたところで、それが高橋さんの欲しい答えになってるかどうかは、実はまだわかってない。言葉が噛み合ってるように聞こえるだけで」
生姜焼きを食べながら川辺と中村のやりとりを聞いていた宮田は、少し身を乗り出した。「言葉が噛み合ってるように聞こえる、か」
「そうそう。だから、そこで一瞬、"あれ、これ噛み合ってる風に見えるだけで、実は前提がズレてるかもしれないな"って引っかかったら、答える前に一回確認する。今回みたいに」
宮田は箸を止めた。「それ、なんかわかるかも」
「なにがですか?」中村が聞いた。
「システムのエラー問い合わせの電話対応、俺もよく受けるんだけど」宮田は言った。「『動かないんですけど』って言われることが結構あって。最初の頃は、それをそのまま真に受けて、エラーの原因を調べに行ってたんだよね。でも大抵、話をよく聞くと、エラーは出てなくて、単に操作がわからなくて止まってるだけだったりする」
「あ、それ、まさに今の話ですね」
「うん。『動かない』って言葉、本人としては嘘じゃないんだよ。実際、思った通りに進まないんだから。でも、こっちが『動かない』を『エラーが出ている』の意味で受け取ると、話が全然噛み合わなくなる」
川辺が頷いた。「それ、いい例だな。宮田、電話でどうやって確認してるの?」
「今はまず、『エラーメッセージは出てますか、それとも何も表示されずに止まってる感じですか』って聞くようにしてる。それだけで、原因を探す方向が全然変わるから」
「それ、さっきの俺の話と同じだ」川辺が言った。「答える前に、材料を集めにいってる」
宮田は、自分が普段何気なくやっていたことに、今さら名前がついたような気がした。
中村がつぶやいた。「質問力が大事という話はよく聞きますけど、応答力というのも大事なんですね」
「そういうこと」川辺は笑った。「質問する側のハウツー解説が多いっていうのは、それだけ質問するのが苦手な人も多いってことだと思う。だから、応答する側がこういうことを意識していれば、相手の聞き方が多少あいまいでも話を前に進められるんだよね」
宮田は、味噌汁の椀を置きながら思った。次に誰かに何かを聞かれたら、答える前に一呼吸、「今、自分は何に対して答えようとしているんだろう」と自分に聞き返してみよう、と。
