silent letter ㉝敬具

少年は電話が掛かってきていることに気付かなかった

少年と呼ぶことが相応しくない年齢になっている

朝礼で合格発表までの流れを全職員で確認する

合格者の受験番号が書かれた紙を見た少年は懐かしい気持ちになる

あの頃の自分が今の少年に聞きたいことはあるだろうか

あの頃の自分に今の少年が伝えたいことなら確かにある

過去に戻ってやり直すことはできない

この高校に勤めてから随分と経っている

担任として三年生を送り出した少年は異動の時期である

曇天の気配が始まりの合図になる

少年は不意にポケットから携帯電話を取り出す

数分前に連絡が来ていたことを画面が知らせる

電話を掛けてきたのは音信不通になった彼女である

あの日から今まで連絡は途絶えたままである

大急ぎで折り返しの電話を掛けてみる

少年からの着信は相変わらず拒否されている

彼女の状況や考えていることが全く理解できない

心臓の鼓動が感じながら少年は胸騒ぎを覚える

昨年に着信があった病院に電話を掛ける

彼女の名前を出して話してみると入院中であることに気付く

様子を聞き出すことは困難だと分かっている

少年は急用ができたことを主任に伝える

退席の許可を得た少年は駆け足で駐車場へ向かう

彼女がいる病院へ車で急ぐ

後になってから悔やむのは嫌だった

渋滞に遭うことなく病院に近づいている

曇り空が必死に雨を堪えてくれている

この道を真っ直ぐ進めば目的地が見えてくるはずだ

左前に高校が見える交差点で赤信号に阻まれる

ミサンガが切れたことに気付く

ライターの胴体に蝶々結びをする

妹から着信があった日に預かったまま

葉書を読み上げる声が車内に流れる

傘を差してくれた人に教わった歌が選曲される

英単語の綴りを今では忘れてしまっている

ラジオから聞こえてくる前奏が懐かしい

レシートを財布から取り出すと記憶が蘇ってくる

煙草の匂いが在りし日を思い出させる

中学生の男子が青に変わった信号を見てから横断歩道を渡って校門に辿り着く

その付近にいる女子高生の元へ駆け寄っていく

合格発表の結果を伝えているような様子だ

万歳をする二人の姿は姉弟のように見える

少年の車に流れていた歌が終わる

番組に届いた誰かの手紙が読まれる

元気ですか

どこにいますか

あれから何年が経ったのでしょうか

これは何通目になるのでしょうか

最後の手紙は彼に届きますように

私は元気です

窓の外には学校の正門が見える

煙草を咥えた少年は目の前が滲む

信号が青色に灯っていたことに気付かなかった

少年は景色を眺めながら発進する

弟は姉に手を振り続けながら横断歩道に背を向けたまま渡り始める

信号が赤に変わっていることに気付かずに道路へ出てきている

少年の方を向いた弟は迫ってくる車に呆然と立ち尽くす

姉は決死の覚悟で車道へ飛び出す

弟を危険から守るために両腕で背中を押す

車の速度を削ぐために精一杯の思いでブレーキを踏む

目の前に映る世界の速度が鈍く見える

弟は横断歩道の真ん中で転んでいる

姉は少年の車の前に立っている

間に合った

少年に深く頭を下げた姉が弟に駆け寄っていく

姉は起き上がった弟の頭を叩いてから抱きしめる

姉弟の無事を確認した少年は病院へ向かう

駐車場に車を停めてから病室へ駆けつける

声が届く距離にいる彼女の名前を呼ぶ

繰り返された悲劇の幕を黙字たちが閉じる

拝啓に続く文章を考えていた

手紙に綴る言葉を聞いてほしい

未来は変えられた

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