7 MEN侍という残響
終わりを理解した日
2026年5月8日、B&ZAIの武道館公演に行った。
B&ZAIにとって初めての武道館公演、初日。
アンコールでJUMBOが流れた瞬間、私は自分でも驚くほど動揺してしまった。多分私はあの2月から今日までの間、思っているよりもずっと、7 MEN 侍の影に縋ってきたのだと思う。
もちろん、頭では分かっている。事務所が解体を決めた以上、過去は戻らない。彼らが前を向き、新しいグループで必死に進もうとしていることは正しいし、応援するべきだと思う。実際、私はB&ZAIを否定したいわけではない。侍以外のメンバーにも魅力を感じているし、新しい環境で輝く自担をこれからも見守りたいと思っている。
それでも、武道館でJUMBOを聴いた瞬間、全身の力が抜けた。ペンライトを握れなくなった。涙が止まらなかった。
最初は、自分でもなぜここまで苦しいのか分からなかった。ただ懐かしくて泣いた、という感覚とも違った。7 MEN 侍時代にやっていた曲をB&ZAIで披露されたことがショックだったわけでもない。実際、今回のライブで披露された曲の中には、侍時代にも何度もやっていた曲があったけれど、それに対しては特段何も感じなかった。
でも、JUMBOだけは違った。
そして、それを聴いた場所が武道館だったことも、多分大きかった。
武道館は、7 MEN 侍がずっと目標として掲げ続けてきた場所だった。他のグループがドームや国立競技場を夢見る中、彼らは何年も「武道館に立ちたい」と言い続けてきた。痺愛にとっても、武道館はただの会場ではなかった。いつか7 MEN 侍が6人で立つはずの、約束の場所だった。
だからこそ、武道館でJUMBOを聴いた瞬間、私の中で色々な感情が一気に繋がってしまったのだと思う。
それは、「4人が侍を武道館へ連れてきてくれた」という演出にも見えたし、同時に、「7 MEN 侍はもう過去のものだ」という現実を突きつけられた瞬間にも感じられた。
多分私は、あの日あの場所で初めて、“7 MEN 侍の終わり”を現実として理解してしまったのだと思う。
なぜ、あれほど泣いたのか。
なぜ、JUMBOだったのか。
なぜ、武道館だったのか。
これは、その感情を整理するための文章である。
私たちのJUMBO
前述したように、JUMBOは、7 MEN 侍にとって、そして痺愛にとって、ただのカバー曲ではなかった。ここで念の為書いておくけれど、ここから先は、JUMBOが偉大なる大先輩TOKIOさんの楽曲であり、TOKIO以外の誰の曲でもないことは理解した上で、7 MEN侍とファンの中で新たに意味付けられたJUMBOについて書いたものである。
例えばSAMURAIが、「7 MEN 侍」というグループ名そのものを象徴する曲だとするなら、JUMBOは東京のジュニアで唯一バンドを武器としていた7 MEN侍の「バンドの魂」みたいなものだった。
7 MEN 侍のライブを思い出そうとした時、そこにはいつもJUMBOの景色が浮かぶ。
楽器ガチャをして、いつもと違うパートに挑戦して、メンバーもファンもその瞬間にしかない空気を楽しむ。曲が進むにつれてどんどんテンポアップしていき、会場全体の熱量が上がっていく。ペンライトを振り回しながら笑って、叫んで、気づいたら会場全体がぐちゃぐちゃになって盛り上がっている。あの時間には、7 MEN 侍らしさが全部詰まっていた。
完成された美しさというより、不器用でも、その場の熱量で全てを巻き込んでいくようなエネルギー。バンドであることを武器にしてきた彼らだからこそ生まれる高揚感。JUMBOには、それがあった。
だからこの曲には、「思い出の一曲」という言葉だけでは片付けられない特別さがある。
私は「7 MEN 侍時代にやっていた曲をB&ZAIで披露すること」自体にショックを受けたわけではないのだ。今回のライブでも、侍時代に何度も披露されていた曲は他にもあった。シンデレラガールなんかは特に、これまで何度も侍で披露してきた曲だったけれど、それらを聴いた時と、JUMBOを聴いた時とでは、自分の感情の揺れ方が全く違った。
それは多分、JUMBOが単なる“過去のレパートリー”ではなく、“7 MEN 侍という空間そのもの”に近い曲だったからだと思う。
曲を聴くだけで、その時のライブの空気まで蘇ってしまう。
誰がどんな煽りをしていたか。
どんなテンポで、どんな音が鳴っていたか。
どこで歓声が上がったか。
誰がどんな表情で笑っていたか。
そういう記憶が、JUMBOにはあまりにも多く積み重なりすぎている。
そして、その記憶の中心には、いつだって“6人の7 MEN 侍”がいた。
だから私は、武道館でJUMBOを聴いた瞬間、ただ「懐かしい」と感じたわけではなかった。むしろ逆で、「あまりにも7 MEN 侍すぎる曲」が、もう7 MEN 侍ではないグループ名で披露されていることに、強い衝撃を受けてしまったのだ。
もしこれが、そこまで思い入れの強くない曲だったなら。あるいは、バンド色の薄い曲だったなら。ここまで苦しくはなかったのかもしれない。
でもJUMBOは違った。
あの曲には、7 MEN 侍のライブの熱量も、空気も、痺愛との思い出も、全部詰まっていた。
だからこそ私は、JUMBOを聴いた瞬間、“曲”ではなく、“7 MEN 侍そのもの”を失ったような感覚になってしまったのだろう。
6人で辿り着くはずだった場所
それに、日本武道館は、7 MEN 侍にとって特別な場所だった。
それは単に「大きな会場だったから」ではない。むしろ、この事務所のグループたちが目標として掲げる場所を考えると、武道館という目標は少し独特ですらあったと思う。
東京ドーム。国立競技場。スタジアム。より大きく、より華やかな場所を夢として語るグループが多い中で、7 MEN 侍はずっと武道館を口にし続けていた。それも、一時的ではなく、何年も何年も。
雑誌でも、ライブでも、インタビューでも、彼らは繰り返し「武道館に立ちたい」と言っていた。痺愛にとっても、それはいつしか“叶えたい夢”というより、“いつか叶う約束”のようなものになっていたと思う。
もちろん、武道館が簡単に立てる場所ではないことは分かっていた。それでも、「7 MEN 侍には武道館が似合う」「7 MEN侍ならあの場所に立てる」と本気で思っていた。
バンドスタイルで、楽器を持って、日の丸の下のステージを駆け回る6人を、何度も想像していた。
多分、武道館という場所には、“7 MEN 侍らしさ”を投影しやすかったのだと思う。
ドームのような圧倒的な規模感というより、ライブハウスの熱量をそのまま巨大化させたような空気。音楽と歓声がぶつかり合うあの独特の距離感。バンドとしての強みを持っていた彼らだからこそ、武道館という会場に対して特別な説得力があった。
だから痺愛にとって武道館は、ただ「いつか立つ会場」ではなかった。
7 MEN 侍というグループが、7 MEN 侍として辿り着くべき場所だった。
その意味があまりにも強かったからこそ、今回のB&ZAI武道館公演は、多くの痺愛にとって複雑なものになったのだと思う。
しかもそこで披露されたのがJUMBOだった。
武道館という、7 MEN 侍が長年夢見てきた場所。
そこで鳴った、7 MEN 侍を象徴するような曲。
本来なら、それは“7 MEN 侍の物語の到達点”として存在していたはずの景色だった。
だからこそ私は、嬉しさと悲しさを同時に感じてしまった。
「ついに武道館でJUMBOを聴けた」という感情と、「でも、もうこれは7 MEN 侍ではない」という現実。その両方が同時に存在してしまったからこそ、私はあの日、あの場所で、あれほど感情が揺さぶられてしまったのだと思う。
完成してしまった夢
多分、今回ここまで大きな衝撃を受けたのは、単純に「懐古的な演出だったから」ではない。
JUMBOをやったこと。
武道館という会場。
そして、それを“B&ZAIとして”披露したこと。
その全てが重なってしまったからだと思う。
もしこれが、別の曲だったなら。
もし会場が武道館ではなかったなら。
あるいは、まだ私自身がもう少し整理をつけられていたなら。
ここまで苦しくはならなかったのかもしれない。
でも実際には、「武道館」「JUMBO」「B&ZAI」という要素が、一つのライブの中で同時に成立してしまった。
そしてその瞬間、そこに存在しない方が良かった意味が生まれてしまったのだと思う。
私は、B&ZAIでJUMBOを披露したことを否定したいわけではない。むしろ、4人が侍時代の楽曲を大切にしてくれていることを嬉しいと感じる気持ちも確かにあった。
実際、武道館でJUMBOを聴きながら、一瞬「4人が7 MEN 侍を武道館に連れてきてくれたのかもしれない」と思い込もうとした。
本来なら叶わなかったかもしれない夢を、形を変えながらも、彼らなりにここまで繋いでくれたのではないか、と。
でも同時に、その景色はあまりにも“完成して”しまっていた。
武道館で。
JUMBOを。
今のグループ名で披露する。
それは、ある意味で「7 MEN 侍が武道館でJUMBOをやる」という、本来存在してほしかった未来を代替してしまう景色でもあった。
だから私は、その瞬間に強烈な喪失感を覚えてしまったのだと思う。
もしこれが、「まだ侍の続き」のように見える演出だったなら、ここまで苦しくはなかったのかもしれない。でも実際には、あのステージからは“今後はB&ZAIとして進んでいく”という強い意志が感じられた。
もちろん、それは悪いことではない。
むしろ、前を向くなら当然のことだと思う。過去に縋り続けるより、今のグループで全力を尽くす方が正しい。本人たちだって、簡単に気持ちを切り替えられたわけではないだろうし、苦しんだ上で今の形を選んでいるのだと思う。
だからこそ、余計に苦しかった。
彼らが真剣に前を向いていることが伝わってしまったから。
「これはもう、7 MEN 侍の続きではないのだ」と理解してしまったから。
多分、多くの痺愛があの日感じたのは、“7 MEN 侍との完全な決別”だったのだと思う。
それは、「7 MEN 侍が嫌いになった」とか、「B&ZAIを受け入れられない」という話ではない。
むしろ逆だ。
好きだからこそ、今の彼らを応援したい。
幸せでいてほしい。
新しいグループで輝いてほしい。
でも、その願いが強ければ強いほど、「7 MEN 侍としての未来はもう存在しない」という現実も同時に突きつけられる。
その矛盾が、あの日の武道館にはあまりにも濃縮されていた。
しかも厄介なのは、この感情に明確な“悪者”がいないことだと思う。
メンバーが悪いわけではない。
曲が悪いわけでもない。
演出が悪いわけでもない。
むしろ、ライブとしてはとても良かった。4人がJUMBOを大切に歌ってくれていることも伝わったし、武道館に立つ姿は本当にかっこよかった。
だからこそ、自分がこれほど苦しんでいる理由が分からなくなってしまう。
でも今なら少し分かる。
私はきっと、「7 MEN 侍が終わったこと」そのものよりも、“7 MEN 侍の夢が、別の形で完成してしまったこと”に強く衝撃を受けたのだ。
武道館でJUMBOを聴く、という景色は、本来なら6人の7 MEN 侍の未来として見たかったものだった。
その夢を別のグループ名で、別の形で、この目で見てしまった。
だからあの日私は、嬉しさと誇らしさと喪失感を、全部同時に抱えながら泣いていたのだと思う。
彼らはもう、次を生きている
今回、自分の感情を整理しようとしていて、何度も考えた言葉がある。
「彼らと私たちでは、流れている時間が違う」ということだ。
多分、これは再編成を経験した多くのファンが無意識に感じていることなのではないかと思う。
当然ながら、7 MEN 侍の解体を最初に知ったのはメンバー本人たちだ。具体的にいつだったのかは分からない。でも少なくとも、ファンよりずっと前から、彼らはその事実を知っていた。
突然グループがなくなるという現実を突きつけられ、悩んで、苦しんで、怒って、納得できない気持ちを抱えながら、それでも前へ進まなければならないと葛藤した時間があったはずだ。
そして今、彼らはB&ZAIとして活動している。
新しいメンバーと毎日のように一緒にいて、ライブを作って、リハーサルをして、少しずつグループとしての関係性を築いている。ファンには見えない場所で、もう既にたくさんの時間を重ねている。
でも、私たちファンは違う。
私たちが「7 MEN 侍の終わり」を知らされたのは、本当に突然だった。
もちろん、それ以前から不穏な空気を感じ取ってはいた。なんとなく嫌な予感を抱いていた人もいた。でも、正式に「終わった」のだと理解させられたのは、ずっと後のことだった。
だから、彼らと私たちの間には決定的な“時差”がある。
彼らはもう、新しいグループの中で次を生き始めている。
でも私は、まだ「終わり」を受け止めている途中だ。
このズレは、多分ファンが悪いわけでも、彼らが悪いわけでもない。ただ、アイドルという存在の構造上、どうしても生まれてしまうものなのだと思う。
しかも苦しいのは、その間に何があったのかを、ファンは知ることができないということだ。
どんな話し合いがあったのか。
本人たちはどう感じていたのか。
他に選択肢はなかったのか。
誰が何を望んでいたのか。
ファンは何も知らない。
私たちが知れるのは、表に出された情報だけだ。そしてアイドルは、“夢を見せる仕事”である以上、全ての本音や事情を私たちに語ることはしない。
だからファンは、永遠に空白を抱えたままになる。
「あの時もし違う選択をしていたら」
「本当はこうしたかったのではないか」
「もっと別の未来があったのではないか」
そんな“たられば”を考え続けてしまう。
でも、その答えを誰かが明確に教えてくれることはない。肯定も否定もされないまま、ファンだけが理想と現実の狭間に取り残される。
私は今回の武道館公演で、その時間差を強く突きつけられた気がした。
ステージに立つ彼らは、前を向いていた。
B&ZAIとして、武道館という大きなステージに立ち、観客を楽しませようとしていた。その姿は本当にかっこよかったし、きっと彼らなりにたくさん悩んで、それでも今を選んでいるのだと思った。
でも私は、その姿を見ながらまだ7 MEN 侍を引きずっている。
武道館でJUMBOを聴きながら、「ついにここまで来たんだ」と感じる自分と、「でも、本当は6人の7 MEN 侍として見たかった」と思ってしまう自分が、同時に存在していた。
多分、この感情は今すぐ綺麗に整理できるものではない。
彼らには彼らの時間が流れていて、私にはまだ私の時間が流れている。
その速度が違う以上、同じ景色を見ていても、同じ感情にはなれないのだと思う。
だから私は今、「受け入れられない自分」を無理に否定しないでいたいし、受け入れるのに時間がかかるファンが、悪者にされないといいなと思う。彼らが前を向いていることと、私がまだ悲しいことは、本当は両立していいはずだから。
好きな人を傷つける構造
今回のことで苦しかったのは、ライブそのものだけではない。
自分が感じた悲しみや喪失感が、結果的に彼ら本人たちを傷つけてしまうかもしれない、という構造にも強い息苦しさを感じてしまう。
7 MEN 侍の解体を決めたのは、当然ながらメンバーではない。グループの再編成という大きな決定を下したのは事務所であり、本人たちにどうにもできなかったはずだ。
でも実際にファンの前に立つのは、いつだってアイドル本人たちである。
私たちが悲しむ姿を見て傷つくのは彼らだ。
「受け入れられない」「まだ辛い」という声を最前線で浴びるのも彼らだ。
本来なら、その決定の責任を負うべき存在は事務所の人間であるはずなのに、ファンの感情を直接受け止めるのは、私たちが幸せであって欲しいと願う、私たちが好きになった人たち自身なのである。
その構造が、私はずっと苦しかった。
もちろん、アイドルという仕事が“ファンの感情を受け止める仕事”でもあることは分かっている。夢を見せる仕事である以上、時には本音を隠し、ファンの期待に応え続けなければならないことも理解している。
でも今回のような再編成に関しては、ファンが抱える怒りや悲しみの向かう先と、それを実際に受け止める相手が、あまりにもズレているように感じてしまった。
だから私は時々、「私たちは、好きなアイドルを人質に取られているようなものなのかもしれない」と感じる。
もし苦しいと声を上げれば、その言葉は彼らを傷つける。
かといって何も言わなければ、自分の感情だけが行き場を失う。
しかもアイドル本人たちは、ファンを安心させるために、時には自分の本心を隠して笑わなければならない。ファンはその“表に出された言葉”からしか真実を知ることができない。
だからこそ、ファンは永遠に「本当はどう思っていたのだろう」と考え続けることになる。
今回の武道館公演でも、きっと4人は、今できる最大限の誠実さでステージに立っていたのだと思う。だからこそ、私は彼らを責めたいわけではないし、むしろ前を向いてくれてありがとう、とすら思っている。
それでも苦しい。
その感情をどこへ向ければいいのか、分からない。
多分それが、今回の再編成で多くの痺愛が抱えている、どうしようもない息苦しさなのではないだろうか。
痛みの先にあるもの
それでも私は、多分これからも彼らを見ていたいのだと思う。
ここまで色々書いてきたけれど、私はB&ZAIを否定したいわけではない。むしろ、新しいグループの中で頑張っている彼らを見ていると、「幸せになってほしい」と心から思う。そして彼らが幸せになるのが、この事務所のエンタメで輝く、ステージの上であってほしいと思う。
侍以外のメンバーも魅力的だと思うし、実際、ライブも楽しかった。武道館という大きな会場で堂々とパフォーマンスをする姿は本当にかっこよかったし、「このグループで頑張っていくんだ」という覚悟も伝わってきた。
だからこそ、余計に複雑だった。
応援したい気持ちは本物なのに、その一方で、7 MEN 侍をまだ手放せない自分もいる。
でも今は、その矛盾を無理に消そうとしなくてもいいのかもしれないと思い始めている。
好きだったグループが突然なくなるという経験は、多分そう簡単に整理できるものではない。しかも7 MEN 侍は、ただ楽曲を届けるだけのグループではなかった。
6人の空気感や関係性、不器用さ、バンドとしての熱量、ライブで生まれる一体感。そういう“物語”ごと愛していたからこそ、失った時の喪失感も大きい。
だから今日流した涙は、きっと間違っていなかったのだと思う。
私は、7 MEN 侍が好きだった。
武道館でJUMBOを聴きながら苦しくなったのも、多分7MEN侍と見た夢を、本気で信じていたからだ。
そして今も、本当はB&ZAIとして前へ進もうとしている彼らを見ていたいと思っている。
ただ、正直に言えば、自分がこれから先どうなるのかはまだ分からない。
この苦しさに耐えられなくなって、離れてしまう日が来るのかもしれない。7 MEN 侍を思い出すたびに辛くなって、見続けることができなくなる可能性だってあると思う。
過去に、メンバーが新加入して、受け入れる時間が足りないまま、気づけば距離を取ってしまったグループがあった。だからこそ今、自分がこの先どういう気持ちになっていくのか、自分でも断言できない。
でも少なくとも今の私は、「B&ZAIを嫌いになりたくない」と思っている。
7 MEN 侍を愛していた自分ごと、新しい場所で生きている彼らのことも、できるならちゃんと見ていたいと思っている。
今はまだ、7 MEN 侍とB&ZAIを綺麗に切り分けることはできないし、武道館でJUMBOを聴いた日のことを思い出すだけで胸が苦しくなる。
それでもいつか、この痛みごと抱えながらでも、「今の彼ら」を見られるようになれたらいい。彼らも、私も、綺麗な思い出として、7MEN侍を思い出せる日が来たらいい。悲しい記憶にしてしまうには、痺愛だった時間は楽しすぎた。蓋をするにはもったいない。6人全員がデビューして、いつかデビュー組として7 MEN侍として生きた日々を笑って話せる日が来るまで、時々痺愛と呼ばれた日々を振り返りながらも、今の彼らを応援できる私でいたい。
