自分では今も面白いと思っている映画を、もう一度世に出してみる
昔、一本の自主映画を作りました。
タイトルは、『あの素晴しい愛をもう一度』。
上映時間は約62分。夫と妻と幼い娘。どこにでもありそうな家庭が、少しずつおかしな方向へ転がっていくホームドラマです。
派手なアクションはありません。目まぐるしいカット割りもない。食卓で話し、黙り、誰かが帰ってきて、誰かが出ていく。
正直、かなり地味。
でも、自分では今見ても、かなり面白いと思っています。
制作当時、福岡の自主映画祭でグランプリをいただきました。
試写では、途中で笑う人がいました。最後のほうでは泣いている人もいました。意外だったのは、男性よりも女性の観客のほうが、好意的に見てくれていたことです。
ただ、その後は国内外の映画祭に応募しても、ほとんど引っ掛かりませんでした。
世の中、そんなに甘くない。
作品は広く見てもらえることもなく、長い間、眠ったままになりました。
今回、noteの創作大賞をきっかけに、もう一度だけ、人の目に触れる場所へ出してみようと思います。
まずは約1分の予告から
いきなり「62分の自主映画を見てください」と言われても、正直、かなり重いと思います。
自分でもそう思います。「げっ、62分もあるのか」となる。
まずは、約1分の予告をご覧ください。
一見、ごく普通の家庭
主人公は、夫と幼い娘と暮らす朱美です。
夫は優しい。頼めば何でもやってくれる。子育ても手伝い、家族のために働き、新しい家を建てようとしています。
一見すると、どこにでもある家庭です。
ただ、家族それぞれが思い描く「幸せ」は、少しずつ食い違っています。
愛されること。
誰かを愛すること。
恋をすること。
家庭を守ること。
子どものために安定した生活を続けること。
どれも正しそうに見えます。
けれど、それぞれが自分の正しさだけを信じ始めると、家庭の中に妙なズレが生まれてきます。
小さな違和感。
ちょっとした会話の食い違い。
いつもと違う振る舞い。
そして、新しい家の話。
やがて夫の祐作は、妻の変化に気づき始めます。
誰にも肩入れしない
この作品を作るとき、一番意識したのは、誰か一人の味方をしないことでした。
妻にも、夫にも、その周囲の人間にも、完全な正しさを与えない。
人物の心に寄り添うというより、少し離れたところから観察する。
たとえるなら、蟻の巣を眺めるような視点です。
登場人物たちは、誰も自分を悪人だと思っていません。
自分は家族を守っている。
自分は相手を愛している。
自分は誰かのために動いている。
自分は正しい責任を果たしている。
みんな、そこそこ真剣。
だから余計におかしい。
本人たちの中では筋が通っているのに、外から見ると、どう考えてもズレている。そのズレが少しずつ積み重なり、取り返しのつかないところまで進んでいく。
自分は、そういう人間の姿がかなり好きです。
嫌な趣味かもしれません。
振り返ってみれば、誰にも肩入れしない、新感覚のホームドラマを作ろうとしていたのだと思います。
きっかけは、インターネットで読んだある投稿
この作品を作ろうと思ったきっかけは、インターネット掲示板で偶然読んだ、ある投稿でした。
そこには、本人が信じている現実と、周囲から見えている現実との、どうにも埋まらないズレがありました。
説明されても、なぜか話が噛み合わない。
都合の悪い出来事が、いつの間にか都合のよい理屈へ置き換わっていく。
そのズレが、馬鹿馬鹿しくて、怖くて、妙に面白かったのです。
最初は、その投稿をヒントに、ナレーションを多用した短い作品を作るつもりでした。
しかし、脚本を書いているうちに、夫婦の生活、娘の存在、職場、親子関係と、登場人物たちの周囲にどんどん肉がついていきました。
結果、約62分。
初めて作る映画だったので、当初はもっと軽く、楽に作れるものを考えていました。しかし、想像していた以上に、ずいぶん大きな作品になりました。
個人的には、かなり面白いと思っています
自分で作った作品なので、客観的に評価するのは難しいです。
それでも、今あらためて見ても、かなり面白いと思っています。
もちろん、万人受けする作品ではありません。
展開の速さや、わかりやすい爽快感を求める人には、たぶん合わないでしょう。見ていて気持ちのいい人物も、あまり出てきません。
善人か悪人か。
誠実か不誠実か。
愛する者か、愛されたいだけの者か。
それぞれに言い分があり、それぞれに身勝手さがある。
少し離れたところから眺めれば、皆、同じように滑稽な人間です。
それでも、人間が自分に都合のよい理屈を積み上げていく姿や、平穏な日常の中に違和感が広がっていく話が好きな方には、面白がってもらえるのではないかと思っています。
出演者の芝居についても、自主制作だからと割り引いて見る必要はないと思っています。
表情。
間。
視線。
会話の微妙なズレ。
かなり丁寧に演じてもらいました。
少なくとも芝居の部分は、商業作品と比べても負けていない。今でも、そう思っています。
約62分。でも、体感はもう少し短い
数字だけを見れば、長いです。
今はショート動画の時代。知らない人が作った約62分の映画を見る人なんて、かなりの物好きでしょう。
それでも、この作品は、短く切り刻めばよかったとは思っていません。
画面は静かですが、物語は止まっていません。
会話の意味が少しずつ変わる。
登場人物同士の距離が変わる。
穏やかだった場面が、あとから別の意味に見えてくる。
自分では、実際の上映時間より短く感じる作品になっていると思っています。
ゆったりしていることと、テンポが悪いことは別です。
この作品には、この速度が必要でした。
約65万円をかけて作りました
制作費は、約65万円です。
実写映画として考えれば、大金ではないと思います。
ただ、個人が自分の作品のために出す金額としては、それなりに痛い。
もともとは、「100人のうち5人くらいに強く刺さればいいや」ぐらいのつもりで作りました。
作家性の強い作品が好きでしたし、多くの人にわかりやすく好かれるものを作ろうとも思っていませんでした。
とはいえ、金も時間もかけた。
作った以上、少しくらい元は取りたい。
評価もされたい。
次の仕事にもつながってほしい。
当たり前だと思います。
しかし、そうはなりませんでした。
映画祭で評価されたことはあっても、制作費が戻ってきたわけではありません。その後の仕事につながったわけでもありません。
そして作品は、長い間、本当に眠ったままになりました。
AIにも本編の感想を聞いてみました
今回の記事を書くにあたり、少し変わったことも試してみた。
本編を3つに分けてAIに渡し、映像から抽出した場面や文字起こしをもとに、作品の構図や演出、物語について感想を聞いてみました。
もちろん、AIの感想を映画祭の審査結果や、人間の観客の評価と同じものとして扱うつもりはありません。
AIに褒められたから傑作だ、と言い出したら、さすがに胡散臭い。
ただ、制作から時間が経った今、作品のことを何も知らない視点から、どう見えるのかは知りたいと思いました。
AI、通称チャッピーからは、おおむね次のような感想が返ってきました。
ゆったりした作品ではあるが、テンポが悪いわけではない。画面は静かでも、状況と人物関係は動き続けている。
固定された画面と人物との距離が、誰かに感情移入させるというより、人間を少し離れた場所から観察する視点になっている。
笑いを台詞や演技で直接作るのではなく、本人たちの真剣さと、現実とのズレから生み出している。
さらには、福岡の自主映画祭でグランプリを受賞したのは偶然ではない、とまで言ってくれました。うまいことを言います。
(AIの進化、恐るべし)
少なくとも、自分が制作時に意識していた「誰にも肩入れしない視点」や、「静かだが止まってはいないテンポ」は、映像から読み取れたようです。
それは、少しうれしかったです。
もう一度、誰かに見てもらいたい
今回、創作大賞に応募しようと思った理由は、受賞だけではありません。
この作品を、もう一度「見られる状態」に戻したかったからです。
多くの人に見てもらえるとは思っていません。
制作費の65万円が戻ってくるとも思っていません。
それでも、誰かが途中で笑うかもしれない。
最後まで見て、少し胸が痛くなるかもしれない。
こんな作品があったのかと思ってくれるかもしれない。
試写で笑った人や、泣いていた人のことを、今でも時々思い出します。
あのとき誰かに届いたものが、もう一度、別の誰かに届くかもしれない。
それくらいの気持ちで、作品をもう一度世に出してみます。
本編
上映時間は約62分です。
派手な展開はありません。
誰か一人に感情移入するための作品でもありません。
食卓や沈黙の中で、それぞれが信じる「正しさ」が少しずつ食い違っていく。
静かな家庭劇や、少し風変わりな人間ドラマが好きな方に届けば、うれしいです。
作品名:『あの素晴しい愛をもう一度』
英題:love once again
上映時間:約62分
ジャンル:ホームドラマ/人間ドラマ
制作・脚本・監督:岩渕茂
受賞歴:福岡インディペンデント映画祭2012 90分ムービー部門グランプリ
沖縄映像祭2010 招待作品
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