見出し画像

『サトリ 第9話 ~ただいま~』

※ この物語は一話ごとに読める連作短編ですが、続けて読むと少しずつ景色が変わります。


☘️       人は、         ☘️
帰る場所があるから、帰るのではない。

「おかえり」と言ってくれる誰かを、
心のどこかで探しているからだ。


🍀 🍀 🍀

朝のホームルーム前。

教室のドアが勢いよく開いた。

「サトリー!」

「聞いてよ聞いてよ!」

息を切らせながら、ミユが駆け寄ってくる。

「昨日さぁ、駅前でさ!」

「はいはい、恋バナやろ?」

アヤが笑う。

「違うし!」

「たぶん恋。」

牛乳を飲みながら、サチが言う。

「だから違うって!」

教室中が笑いに包まれた。

サトリも思わず笑う。

「ミユちゃんって、本当に元気ですね。」

「サトリももっと騒ごうよ!」

「難しい……かも。」

「そこは『よーし!』とか言うとこやん。」

サトリは少し考えて、小さくうなずいた。

「……練習します。」

「するんかい!」

また笑いが起こる。

ちょうどその時、チャイムが鳴った。

先生が教室へ入ってくる。

「はい、席につけー。」

笑い声は静まり、いつもの一日が始まった。



放課後。

「じゃあね!」

「また明日!」

「ほなな!」

三人は手を振りながら校門を出ていく。

サトリも笑顔で手を振り返した。

「またね。」

帰り道、駅前のスーパーへ立ち寄る。

牛乳。

食パン。

卵。

豆腐。

特売のトマトを一つ。

冷凍ケースの前で足を止める。

少しだけ迷って、バニラアイスを一個、かごへ入れた。

「こんにちは。」

レジのおばちゃんが、にこりと笑う。

「こんにちは。」

「今日も暑かったねぇ。」

「はい。でも夕方は少し風があります。」

「そうそう。その風がありがたいんよ。」

会計を済ませると、おばちゃんはアイスを小さな保冷袋へ入れてくれた。

「溶ける前に帰りや。」

「ありがとうございます。」

頭を下げて店を出る。

住宅街へ入ると、どこからかカレーの匂いが流れてきた。

子どもたちの笑い声と、自転車のブレーキの音。



二階の角部屋。

階段を上がる。

隣の部屋からは、夕飯を作る音が聞こえてくる。

味噌の香りが風に乗って流れてきた。

サトリは自分の部屋の鍵を回した。


「ただいま。」


「……おかえり。」


小さく笑って、靴をそろえた。


制服から部屋着に着替え、髪をほどく。

買ってきた食材を冷蔵庫へしまう。

アイスだけは冷凍庫へ急いで入れた。


トマトを切り、卵を焼く。

豆腐には少しだけ醬油をかけた。

一人分の夕食を済ませる。


窓を開けると、夕方の風がカーテンを揺らした。

遠くで電車の音が聞こえる。


水族館。

ゆっくり漂うクラゲ。

トンビにハンバーガーを取られて、二人で笑ったこと。

思わず口元がゆるむ。

「……楽しかったな。」

その声だけが、静かな部屋に残った。


本棚から文庫本を一冊抜く。

ページを開く。

文字は目で追えるのに、内容が頭へ入ってこない。

本を閉じ、夕焼けを眺めた。


あの人から感じた気配は、今まで出会ったものとは違う。

あれはこちら側の存在ではない。


また現れたら。

その時は、私一人でいい。

ナオトさんを巻き込むわけにはいかない。


夕風がもう一度、カーテンを揺らした。

サトリは静かに窓を閉める。

部屋の灯りをつけ、本を棚へ戻した。


スマートフォンを手に取る。

少しだけ迷ってから、メッセージを打つ。

『アイス、溶ける前に帰れました。』

送信。

間もなく通知音が鳴る。

『よかったね。何味?』

思わず笑みがこぼれた。

「……早い。」

スマートフォンを胸に抱き、サトリはそっと目を閉じた。



おわり



いいなと思ったら応援しよう!

たび.  記事がいいな!と感じていただけたなら、チップで応援してもらえるとうれしいです。あなたからいただいた力が創作への勇気になります!