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同じ世界を見ていても、見えているものは違う

人は、見たいものを見て、聞きたいことを聞く。

そんな言葉があることを知っていますか?

もちろん、本当に「見たいものしか見えない」という意味ではありません。

わたしたちは毎日、目や耳から膨大な情報を受け取っています。

目の前にあるもの。
聞こえてくる音。
誰かの言葉。
街の景色。
自分の身体の感覚。

そのすべてを、同じ強さで意識しているわけではありません。

たくさんの情報の中から、自分にとって重要なもの、気になるもの、必要だと感じるものに注意が向く。

しかも、その多くは無意識のうちに行っています。

だから同じ場所にいて、同じ景色を見ていたとしても、人によって印象に残るものは違います。

見えていなかったものが、急に増えることがある


たとえば、欲しい車ができた時。

それまで街を走っていても気にしていなかった車なのに、

「あ、また同じ車だ」
「あそこにもある」

と、急にたくさん走っているように感じることがあります。

もちろん、その日から急にその車が増えたわけではないんですよね。

今までもそこにあった。

ただ、自分にとって「気になるもの」になったことで、意識に入りやすくなった。

妊娠や子育てを意識するようになったら、街で子ども連れの人が目につく。

家を探し始めたら、それまで気にもしなかった「売物件」の看板が目につく。

新しいバッグが欲しくなったら、人が持っているバッグを見るようになる。

世界が突然変わったのではなく、

自分が拾う情報が変わった。

ということなんですよね。

わたしたちは「全部」を見ているわけではない


わたしたちは、自分が見えているものを「世界そのもの」だと思いやすい。

でも実際には、その中の一部を受け取っているだけ。

自分が何を気にしているのか。

どんな経験をしてきたのか。

何を怖がっているのか。

何を大切だと思っているのか。

どんな前提を持っているのか。

そういうものによって、同じ世界の中から何に注意が向くのかが変わっています。

つまり、

世界そのものが自分の思考によって作られているわけではない。

でも、

「自分が見ている世界」には、自分の内側が大きく関わっている。

んですよね。

「どうせ嫌われる」と思っていたら


これは物だけではなく、日常の出来事にも当てはまります。

たとえば、

「わたしは人から嫌われやすい」

という前提を持っていたとします。

すると、

返事が少し遅かった。
今日はいつもより口数が少なかった。
挨拶がそっけなかった。

そんな出来事が気になりやすくなる。

そして、

「やっぱり嫌われているのかも」

と思う。

でも実は、

笑って挨拶してくれていた。
昨日は向こうから話しかけてくれていた。
困った時に助けてくれた。

そういった出来事も同じように起きているのに、こっちはあまり記憶に残っていない。

すると、自分の中には、

「やっぱり人はわたしを嫌う」

という証拠ばかりが集まっていく。

そして、その証拠がまた自分の前提を強くする。

前提があるから、その情報が目につく。

目についた情報によって、また前提が強くなる。

そんな循環が起きることがあります。

不安な時には、不安になるものを見つけやすい


これも、わたしは大切なことだと思っています。

不安な時って、安心できるものよりも「大丈夫じゃないかもしれない」と感じるものに意識が向きやすい。

ひとつ気になることがあると、

「あれも大丈夫かな」
「これも何かあるんじゃないかな」

と、次々に不安の材料を探してしまうことがあります。

そして不安の材料が見つかると、

「ほら、やっぱり不安になって正解だった」

と思う。

でも、そこで一度、

「今、不安な状態のわたしが世界を見ているんだ」

と気づく。

それだけでも少し違います。

「今見えているものが全部ではないかもしれない」

という余地が生まれるからです。

幸せも、同じように見つけることができる


これは、不安だけの話ではありません。

自分が何に意識を向けるかによって、今まで通り過ぎていたものに気づくこともできます。

今日のご飯がおいしかった。

朝の空気が気持ちよかった。

誰かが自分のために時間を使ってくれた。

何気なくかけてもらった一言が嬉しかった。

好きなものを自分で選べた。

今日も無事に家に帰ってこられた。

全部、大きな出来事ではありません。

でも、

「今ある幸せをちゃんと受け取ろう」

と意識するようになると、それまで背景になっていたものが少しずつ見えるようになる。

幸せな出来事を無理やり作るというより、

すでに自分の周りにあったものを、受け取れるようになる。

わたしが「幸せを感じる力」を大切にしているのも、ここにつながっています。

前提を変えれば、何でもうまくいくわけではない


ただ、ここは間違えたくないところです。

「良いことだけを見ればいい」

という話ではありません。

嫌なことが起きることもある。

傷つくこともある。

現実的に解決しなければならない問題もある。

危険なことまで「良い方に考えよう」と見ないふりをする必要もありません。

前提を変えたからといって、世界で起こる出来事をすべて自分の思い通りにできるわけでもない。

わたしが大切だと思っているのは、

自分が見えているものだけを「世界のすべて」だと思わないこと。

です。

「わたしには今、こう見えている」

と、一度自分のところに戻してみる。

すると、

「他にも見えていないものがあるかもしれない」

と考えられるようになります。

「どんな世界か」より「どんな心で見ているか」


だから最近は、

「世界はどんなところなんだろう」

と考えるだけではなく、

「今のわたしは、どんな心でこの世界を見ているんだろう」

と考えることも大切だと思っています。

怖いものを探している?

足りないものばかり見ている?

誰かと比べる材料を探している?

それとも、

今あるものを受け取ろうとしている?

嬉しいことに気づこうとしている?

自分が大切にしたいものを見ようとしている?

同じ一日でも、どこに意識が向いているかによって、自分の中に残るものは変わります。

見える世界の解像度を上げていく


だからといって、

「ネガティブなものを見てはいけない」

とも思いません。

それもまた、新しい白黒になってしまうから。

嫌なものは嫌でいい。

不安な日は不安でもいい。

ただ、

「今のわたしには、これが強く見えているんだな」

と気づく。

そして、

「他には何があるだろう?」

と少しだけ周りを見てみる。

不安もある。
でも、安心できるものもある。

嫌なこともあった。
でも、嬉しかったこともあった。

足りないものもある。
でも、すでに持っているものもある。

どちらか一方だけを正しい世界にするのではなく、見えていなかったものまで見えるようにしていく。

それは、以前書いた「白か黒かではなく、見える世界の解像度を上げる」ということにもつながります。

自分が見ている世界を、一度疑ってみる


人は、見たいものを見て、聞きたいことを聞く。

だからこそ、

自分が見ている世界を、時々一度疑ってみる。

「本当に、これが全部かな」

「今のわたしは、何を探しているんだろう」

「どんな前提で、これを見ているんだろう」

そう自分に問いかけてみる。

世界そのものを、自分の思い通りにすることはできません。

でも、

世界の中から何を受け取っているのかに気づくことはできる。

そして、今まで見えていなかったものに気づくこともできる。

自分の心が変われば、世界そのものが魔法のように変わるわけではない。

でも、

自分に見える世界は、確かに変わっていく。

だからこそ、

「自分は今、どんな心で世界を見ているんだろう?」

その問いを、わたしは大切にしていたいと思っています。

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