自己紹介の記事って本当に必要?
noteをはじめて3日目くらいに、妻にまず自己紹介の記事を書いたほうがいいよと言われた。
このnoteを書いている人がどんな人なのか分かったほうが興味をもって貰えるというのだ。
たしか公式でもそんなこと言われていたっけか。まあ、そのとおりなのかもしれないな、と思いながらも。でも、なんか気乗りがしなかった。
だって僕はこのnoteで、自分の思うこと、述べたいことを書きたいのであって、自己紹介をしたいわけではなかったからだ。
それに、自己紹介を書くのは意外と難しいと思った。どこまで書けばいいのか分からないから。それこそ書こうと思えば、ゆりかごから現在まで幾らでも書けてしまうだろう。
これはうろ覚えなんだけど、昔、村上春樹は誰でも一冊は傑作の小説を書くことができるのだと言っていた。
なぜなら、それは自分の人生を書けばいいのだから。
つまり、本気で全力の自己紹介を書こうとすると、本一冊分になってしまう。
noteでそこまで書くのは、気が引けるよなあ、ちょっと大変だよなあ、と思ったのだ。
まあ、これは冗談としても、なんとなく気が重いなと感じていたのだ。
それで皆、どんなこと書いてるんだろうと、今までまったく興味のなかった他人の自己紹介記事を読んでみたら、意外とあっさりしていた。
なんだ、こんなものでいいのかとホッとした。
でも驚いたのは、自己紹介の記事って意外とたくさん読まれるし、スキもたくさん付くようなのだ。
でも、僕は逆にそれがなんか嫌だなと思ってしまった。
それは多分、SNS的な馴れ合い文化のようなものをそこに感じるからなんだと思う。
少なくとも僕という人間にとって、それはnoteという媒体の本質とは違うものだと思っている。
僕がnoteを読むのは、そこに知りたい記事、面白い記事、内容のある記事があるからであって、それが良いものであれば、その書き手がどんな人物かに関わらず読むし、評価もする。
でも自己紹介の記事は、よほどその人に興味を持たなければ読もうとは思わないだろう。
それに、プロフィール欄を見ればだいたいのことは分かる。まったくの謎の人もいるけど、それはそれで別に気にはしない。そこに書かれている情報だけで充分だ。
そもそも、その人が書いた文章を日々読んでいれば、その人がどんな人であるかはだいたい分かるものだ。
本気で文章書いてる人、本気の思いを言葉にしている人にとっては、それ以上の自己紹介なんてないはずなんだ。
だって、タレントや芸能人が自分で書いた自己紹介文なんてものを僕は見たことがない。
そりゃ芸能人は有名なんだから、そんなの必要ないと思うだろう。
でも無名の芸能人がデビュー前後にやることは、自己紹介文を作ることではなく、芸を作ってそれを磨くことだ。
これは他の職業でも同じことだ。
作家や物書きが文章を書くときに、最初に書くべきことは、人に読まれる面白い話や役に立つ雑学であって、自己紹介文ではない。
逆に自己紹介文から書こうとする作家や物書きがいたら、なんかちょっと嫌だなと思わないだろうか。
つまり僕にとって、noteとは創作の場なんだ。
何より伝えたいと思うこと。知ってほしいと思うことが先にある。
その気持ちを差し置いて、自分の紹介記事を最初に書くのはちょっと違うなと思ったのだ。
もちろん、それが必要とあれば自分だって喜んで書くだろう。
それは明日かもしれないし、1年後や10年後かもしれない。それがいつなのかは分からないけど、少なくとも今このときではないみたいだ。
結局、僕は捻くれ者なのだろう。
でも捻くれ者だからこそ、人とは違う視点や考えを持つことができて、それを需要に感じてくれる人は必ずいるはずなのだ。
そこに最低限の礼儀さえあれば、分かってくれる人は必ずいると僕は信じて、今日も何かを書こう、と。そんな気持ちでnoteに向かっている。
