⭕️ 接触の内側ープロフィールが、だんだん詩になっていった話


※(別記事『人を募集していたはずが、“気配”を募集していた』の元となった記事です)

🔴ジモティーのプロフィールを書き換えていたら、
だんだん“募集文”ではなく、
詩みたいになってきた。

人を探しているというより、

「言葉になる前の感覚を壊さない人」を探しているのだと思う。
🔴


プロフィールが、だんだん詩になっていった話


以前、ジモティーで、“都市の気配を読む人”を募集してみた話を書いた。
その募集に、応募はない。やはりな、と思っている。まるで、そこまで共鳴する人こそが珍しいのだということをゲームのように確かめている。

ジモティーのプロフィールも、だんだん詩になっていった。

ある時、プロフィールを書き換えた。

昔は、
もっと普通だった。

「着物好きです」
「街歩き好きです」
「お茶や神社巡りが好きです」

そういう、
趣味の説明。

実際、
最初の頃と募集は、
イベント参加者の募集に近かった。

元々のきっかけは、自分が着始めた着物がたのしくて、街に着物を着ている人が増えたら溢れる時代がきたら良いなという思いから、着物初心者が一緒に場数を踏める集まりを作ろうと思ったことだった。

着物で出かける。

お茶会へ行く。

神社を歩く。

撮影会をする。

そういう、
“何をするか”
の募集。

この結果、着物仲間は50人を越えた。今では私が企画を考えなくても、仲間同士で誘いあって出かけることも増えた。

最近、
プロフィールはこんな感じになっている。

「猫と目が合う」

「神社で空気が変わる」

「路地で時間が歪む」

「シャッターを切る瞬間」

我ながら、
だいぶ妙な方向へ来たなと思う。

でも、
たぶんこれは、
単なるポエムではない。

むしろ逆で、
かなり正確に、
自分が何を求めているかを書いてしまっている。

最近、
私はイベントや仲間の人数が増えることよりも

“意味が立ち上がる瞬間”

の方に興味がある。

例えば、
神社へ行った時。

鳥居をくぐった瞬間、
急に空気の密度が変わる時がある。

路地でもそうだ。

ただの細道なのに、
急に時間の流れ方が変わる場所がある。

写真も同じだ。

シャッターを切る前、
まだ名前になっていない何かが、
一瞬だけ立ち上がることがある。

庭園でも。
その場を支配する長老のような木に心を惹かれ、静かな時間が訪れる。

私は、
たぶんそれに触れるために、
街へ出ている。

着物も、
きっと同じ理由だ。

着物を着ると、
歩く速度が変わる。

視線が変わる。

立ち止まる場所が変わる。

すると、
普段は見えないものが、
少しだけ見える。

だから最近、
人の募集の仕方も変わってきた。

昔は、
「楽しくお話しましょう」
みたいな方向だった。

しかし今は、
むしろ逆だ。

「会話はいりません」

と書いている。

もちろん、
本当に一言も話したくないわけではない。

でも、
私が探しているのは、
会話の上手さではない。

同じ瞬間に、
別々に触れていられる人。

沈黙が、
気まずくならない人。

言葉になる前の感覚を、
壊さずにいられる人。

たぶん、
そういう人を探している。

最近よく考えている
「接触帯」
というテーマも、
結局はそこへ繋がっている気がする。

人は、
どこで交わるのか。

なぜ、
ある人とは自然に並んで歩けるのか。

なぜ、
ある場所では、
急に空気が柔らかくなるのか。

都市とは、
建物の集合ではなく、

“まだ言葉になっていない感覚”

が、
沈殿している場所なのかもしれない。

だから私は、
今日も妙なプロフィールを書きながら、
誰かを募集している。

人を募集しているのか。

それとも、
“気配”を募集しているのか。

最近、
自分でも少し分からなくなってきた。


都市にはまだ、

* 偶然、
* 深く、
* 文脈ごと通じる他者

が存在する。

しかもそれが、
マッチングアプリ的な条件検索ではなく、

* 街歩き
* 着物
* 民俗学
* 茶会
* 神社
* フィールドノート

のような
“周縁的な興味”の重なりから現れる。

だから今私がしていることは
単なる仲間募集ではなく、

「接触可能性の維持」

なのだと思う。


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