【エッセイ】だれかのために歌うということ Quiet Courage セルフライナーノーツ
アルバムに入るQuiet Courageという曲のセルフライナーノーツです。音楽に限らず、作品は受け手が自分の人生の中で受け取って意味を見出すことで初めて完成するものだと思うので、好きな解釈でぜひ聴いてほしいというのが私の基本的なスタンスです。でも、作者からの言葉や作成の背景とともに味わうのも一つの楽しみ方かなとも思うので、今回書いてみようと思いました。
記事の最後にある各種配信サービスのリンクから、ぜひ聞いて見てください。
だれかのために歌うということ
「贈り物として曲を書いてみよう。人生にポジティブな影響を与えてくれる関係性について考えて、誰かの人生に思いを馳せてみよう。そして、その人にそれを届けてみよう」
音楽教室の宿題として出された作曲の課題だった。これ以外の条件は、できるだけシンプルなコード進行を使うことだけ。
2024年の秋、僕は海外の団体が主催するオンラインの音楽教室に通っていた。とても好きだったバンドのフロントマンが教えてくれる作曲の講座で、僕は外国人たちに混ざって日本からクラスを受講していた。そこで出た宿題のひとつ - それが、「誰かのために曲を書いて贈ること」だった。
これは非常に難しい宿題だった。
僕は誰かのために曲を書いたことはなかった。誰かをモチーフに書いた曲はあっても、わざわざその人に「これは君のために書いた曲なんだよ」なんて伝えたことはなかった。誰かのために曲を書いて贈るなんて、危険な行為に見えた。そんなことは、自分が傷つく可能性が高すぎる。
歌を作る行為は、自分のいちばん奥の方にある暗くて暖かい場所に降りていくことだ。その柔らかくて弱い場所から、大切なものを見つけてくる。それは無防備で風が吹くだけでヒリヒリするようなもので、コードをつけて飾ることでなんとか曲ということにしている。
聞いてもらうために丹精込めて工夫をして、いい録音といい編集ができても、一曲ずつに感じる自分の肉体の一部のような生々しさが止まることはなく、自分の作った歌はすべて、自分そのものに直接結びついている。受け入れられないことはひたすら悔しくて怖いことであり、自分自身を拒絶されるのと同じ衝撃を受ける。
そんなふうに繊細に作ったものを、本人に面と向かって差し出すのはひたすら怖かった。ドン引きされるかもしれないし、踏み躙ったり、バカにしたりすることだって、聞き手にはできる。受け止めてもらえないかもしれないのに曲を贈るなんて、正気の沙汰ではないように感じていた。
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ところでその頃、僕はコンパッションを教わっていた。コンパッションとは、「思いやり」や「慈悲」と訳される概念で、自分や他者の苦しみに気づき、尊重するための知恵と実践という感じの学びだ。以前から仲良くしていた友人であるコーチと一対一の講座で、気のおけない関係のなかでとても気楽で、安全で、温かい学びの時間だった。
これまで、自分を責める気持ちから抜けられないことや、自分のなかの苦しい気持ちを無視してがんばってしまうことが多かった。コンパッションの学びでは、様々な実践や理論を学んで、不安や焦りに対する思いやりのある扱い方や、自分への思いやりの向け方を身につけていった。
コンパッションの学びを通して、僕は自分のなかのひとつの願いに気づいていった。それは、世界は安全なのだということを信じて、やりたいと思うことに安心して挑戦できるようになりたいということだった。
人と違う道を選ぶことや、自分の考えを貫くことは、勇気がいることだ。失敗したり孤独になるのは怖いから。でも、何があっても世界は安全な場所だと信じられるとしたら、勇気が湧いてくるだろうと思う。
願いに気づいたところで、簡単にそんなふうに振る舞えるわけではない。自分がその勇気を出して世界が安全だと思えるために、曲を書いて人に贈る怖さに向き合うのは、とても重要なステップに思えた。
そんな背景があって、コンパッションを教えてくれていた友人にむけて、曲を書いてみようと思い立った。その人との関係性の中なら、恥をかいても大丈夫だと思えた。
曲を書いている最中のことはあまり覚えていない。いくつか覚えているのは、びっくりするくらいスルスルと書けたこと。世界は安全な場所だという願いについて書いたこと。これは自分の歌だなと思えるのと同時に、その友人の歌だなとも思っていたこと。孤独は感じなかったこと。
心の深いところに関係性を一緒に持って降りていく作業だった。誰かのために曲を書くのは、クリスマスの夜みたいな気分だった。
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シェアした時のことはよく覚えている。僕はその人に、あなたのために曲を書いたので聴いてもらえないだろうか、と伝え、曲のデータを送った。我ながら、なんてやばいおじさんなんだと思った。送信完了の通知を見ると、怖さから逃げるようにスマホをベッドに投げておいた。
ところが、そんな恐れは杞憂だったことがわかった。しばらくしてスマホをみると、その人はすぐに連絡をくれていた。その人は、曲をなん度も聴いて、泣いて喜んでくれていた。
その人は曲への感想を何通かのメッセージで続けて送ってくれた。受け取った経験のかけがえのなさについても話してくれた。それは、曲を作って送ってもらえるような関係を誰かとの間に作ることができたことへの感動であり、その自分を肯定するような出来事だと言ってくれた。
無防備な自分から生み出された歌を、泣いて喜んでくれる人がいた。つながりは失うどころか、強くなった。
経験したことのないことが起きていた。ステージの上で大勢にむかって歌って返ってくる賞賛と、誰かのために書いて誰かのために歌うのは、経験の質が全然違うものだった。自分の歌が相手の心に触れたことが、自分の心でも感じられるような感覚だった。届いたことのない深さで歌を手渡しできたような気がして、静かに喜びと力が湧いてくるようだった。
自分の深いところから出てくる無防備なものを、無防備なまま渡すこと。それは怖いことではないんだと初めて知ることができた。
世界は安全なのだと信じたいと思っていた。誰かのために歌ってみることで、そのやり方がわかったような気がした。それは、自分が傷つくかもしれなくても、先に世界を、他者を、信じてみることだ。信じるに値する関係性から、勇気はしずかに湧いてくるものなんだとわかった。この曲は、そんなことを教えてくれた人との関係性の結晶であり、勇気の発見の証拠だ。
歌詞
The hope you cannot let go
Makes you suffer
You stroke for the phantom pain
I shared my favorite song
That you saved for weeks
You said you wanted to give it space
We found
It’s safe to get lost
Safe to be scared
Quiet courage is the key
I can do what I think is right
Jump with eyes closed
We dream
We go over the edge
We’re all scared in this world
It’s not a thing to be cured
We’re weak so we all belong despite
[日本語訳]
手放せない願いに苦しくなる
見えない痛みをさすっている
好きな曲を教えたら
君は何週か聞かずにいた
余白を与えたかったからと言って
僕らにはわかった
迷っても大丈夫
怖くなっても大丈夫
静かな勇気が大切なんだ
正しいと思うことをやってもいい
目を閉じて跳んでもいい
僕らは夢をみて
踏みしろを超えていく
この世界でみんな怯えている
それは治すようなことじゃない
僕らは弱いけど、だからこそ、つながっている
配信リンク
そんな背景からできたQuiet Courageという曲が、現在主要音楽配信サービスで公開中です。ぜひ聴いてみてください。
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アルバム自体は春から夏頃の予定で調整中です。引き続きお待ちくださると嬉しいです。
最後までよんでくださってありがとうございます!
