見出し画像

【小説】拍手喝采を求めて

シャボン玉の海に飛び込んだ。

広場の隅、夕暮れが街をオレンジ色に染め上げる頃、ハルトは芝生の上に座り込んでいた。
震える左手には100円ショップで買ったシャボン玉液。
理由はない。ただ何かで現実を薄めたかっただけだ。

彼はふと思い立ち、吹き口に息を乗せた。
優しく、けれどどこか苛立ちを押し込むように。

目の前が小さな球体で満たされた瞬間、風が通り抜けた。
流された泡が体に当たり、次々と弾けていく。

「パチッ、パチパチパチ……」

目を閉じる。
それは降り注ぐような拍手喝采だった。
指先ひとつ動かさずに手に入る、安っぽくて、それでも残酷なほど美しい音。

(……虚しい)

ハルトは目を開けた。
そこにあるのは、ただ湿った芝生と、誰もいない空だけだった。

数分前まで向き合っていた音楽室のピアノ。
コンクール予選落ちの通知。
あの日、震えて動かなかった左指。

現実の重みが、泡の消えた静寂とともに一気に押し寄せてくる。

「こんな音で、満足できるわけないだろ」

立ち上がり、ズボンについた草を強く払った。

振り返ることはしない。
もう、あのパチパチという音は聞こえていなかった。

代わりに、頭の中ではベートーヴェンの激しい一節が鳴り始めている。
今度は逃げないためのリズムだ。

「次は──」

夕闇に踏み出す。
その背中は、まっすぐ伸びていた。


読んでいただきありがとうございます。

春休み中、子供達とよくシャボン玉で遊んでます。


こちらに参加させていただきます。
よろしくお願いします。


いいなと思ったら応援しよう!

水無ハツカ いただいたチップは一次創作本を作るのに使わせていただきます。