【小説】色眼鏡
「じいちゃんは、ばあちゃんと話すときだけ眼鏡外すよね。なんで?」
将棋盤を挟んで尋ねると、祖父は盤から目を離さず答えた。
「これは世界が可愛く見える眼鏡だ」
「……は?」
「オレは顔が怖ぇからな。見えるもんを全部ちょっと可愛くしてりゃ、自然と顔も緩む。お前のことだって、赤ん坊みたいに可愛く見える」
「急にメルヘンなこと言うじゃん。じいちゃんって冗談言えたんだ」
「信じなくていい。ほら、王手」
「え、ちょっ、うわ、いつの間に」
盤上の角に追い詰められた王将を眺めながら、俺はため息をついた。
「降参……で? さっきの、答えになってないでしょ。そんな眼鏡なら、ばあちゃんと話すときこそ掛ければいいじゃん」
駒を片づけながら言うと、祖父は台所へちらりと目をやった。包丁の音が、一定のリズムで響いている。
祖父は眼鏡を外し、胸ポケットへしまった。
「馬鹿言え」
低い声だった。
「生い先短ぇジジイの心臓を労われ」
「……どういうこと?」
祖父は面倒くさそうに鼻を鳴らす。
「あれをわざわざ仕掛けのついたガラス越しに見る必要がどこにある」
「は?」
「そんなことしたら寿命がもたねぇだろ」
あまりにも真顔だった。冗談を言っている顔じゃない。
「それじゃ、眼鏡なくても……」
「当たり前だ」
祖父は遮るように言った。
「色眼鏡なんざ要らねぇよ」
その一言だけは、不思議なくらい静かだった。
そのとき、祖母がお盆を持って茶の間へやってきた。
「お茶が入りましたよ」
祖父は照れ隠しみたいに咳払いを一つして、ぶっきらぼうに湯呑みを受け取る。
「ん」
祖母はそんな祖父を見て、小さく笑った。
「おじいちゃん、将棋を打ってるとき、かっこいいでしょう」
祖父は何も言い返さない。けれど耳の先が赤くなっているのを、俺はしっかりと見てしまった。
読んでいただきありがとうございます。
一生恋し合ってる老夫婦って可愛くないですか。それを見せつけられる孫は、たまったもんじゃないかもですが。
こちらの企画に参加させていただきます。
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