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Dhammapada 33・34

33
おののき、揺らぐ心は守りがたく、止めがたい。これを叡智にて伸ばすしかないのだ、矢匠が矢を伸ばすように。

34
魔の世界より抜け出すことには、陸に投げ出される魚の心地がごとき、異界への緊張が伴うものである。

Phandanaṁ capalaṁ cittaṁ,
悸動    擺動   心
dūrakkhaṁ dunnivārayaṁ;
難被護   難制止
ujuṁ karoti medhāvī,
正直 作   有智
usukāro va tejanaṁ.
作箭者 如 箭桿

Vārijo va thale khitto,
魚   如 陸地 拋
okamokata ubbhato;
從住處到住處 移出
pariphandat' idaṁ cittaṁ,
遍悸動    此  心
Māradheyyaṁ pahātave.
魔羅的領域  徹底捨棄

As a fletcher makes straight his arrow, a wise man makes straight his trembling and unsteady thought, which is difficult to guard, difficult to hold back.

As a fish taken from his watery home and thrown on dry ground, our thought trembles all over in order to escape the dominion of Mara (the tempter).

輕動變易心,難護難制服。
智者調直之,如匠搦箭直。

如魚離水棲,投於陸地上,
以此戰慄心,擺脫魔境界。


 ちょっと安心した。これでいいんだ、という。自分が行けるのか、進めるのか、への不安はどうしても隠しきれない。けれどもこうした道を進まんとする気持ちには、どうしても不安も先立つものなのだ。まあ道とは言っても仏道を歩む気はないのだけれど。自分の中では老荘だけで十分な感じもある。それはそれとして先人の偉大な思考の足跡にはあやかりたいのである。

 自分の進む先、進みたい先への表現が凄まじい。マーラの支配する世界が「元いた場所」「住み慣れた場所」「魚にとっての水中」である、という。これは確かにその通りなのかもしれない。そこから抜け出そうとする。いや、抜け出そうとしなくても構わない、マーラの存在、マーラの誘惑があることに気付く。それは何か。前節でずっと突き付けられていた放逸の心、だろう。放逸への誘惑。そこを抜け出してたどり着く、不放逸の世界。たどり着けるのだろうか。

 いや、放逸を無闇矢鱈と捨てきる必要もないのだ、そこは切り分けだろう。放逸なき世界など息苦しくて仕方がない。何ら認知的不協和もなしで不放逸の境地にあることを楽しめるのであればそれで良し、なのだろうけれど。こうした辺りは、下手に自分の心になにがしかの強制を加えることなく、ただ伸ばしたいものを伸ばすがままにした方が良いのだろう。

 変わることへの恐怖は常につきまとう。それでいいのだ。

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