ままならないからクッキー缶を開ける
近所の保育園でベビーマッサージのイベントがあったので、朝からばたばた用意して向かった。
一歳が対象のベビーマッサージ、同じような月齢、赤ちゃんと子どもの間くらいの子たちが大集合。そして、講師の先生の声掛けの元、お母さんたちに足やお腹を、もにょもにょとこねくりまわされている。
しかし、わたしの前に敷いたバスタオルの上は空っぽ。
マッサージされるべき対象は、離れたところでおままごとのお鍋を一心不乱にかき混ぜている。
何度か抱っこして、こちらに来てもらおうとはした。いろんなおもちゃで促した。
しかし、うちの気ままお嬢様はそのたびに、
「アーーーーーーー!」
と抗議かつ非難の声をあげ、並ぶお鍋へと駆けていった。「我にかまうな」と言わんばかりに。えっと…母は、あなたを存分にかまう種類のプログラムに参加したんですけれど。
保育園の先生が、遊んでいたおままごとセットが乗ったテーブルをこちらに近づけてくれても、
「みんなあそこで楽しそうなことをしているよ~」
と優しく声を掛けてくれても、どこ吹く風でおままごと遊びに興じている。
仕方ないので、端で遊ぶ我が子に目線をやりつつ、講師の先生の手の動かし方を見つめる。そして
「足をこうやって、くるくると円を描くように回して…内側から外へ流します」
という言葉を頭の中で反芻した。今日はできなかったけれど、ちゃんと覚えて家でやろう。かかった代金分、元をとらねば。
講師の先生のお子さんは年齢が上がっても、お風呂あがりに喜んでマッサージされ、うれしそうにしている、という話を聞いた。ベビーマッサージはベビーじゃなくても効果あり、そして親子の良いコミュニケーションになる、今日はそのことを知れただけでもう良しとする。
ベビーマッサージは微塵もできなかったけれど、我が子はたくさん遊べて、他の子どもたちとも交流できて楽しそうだった。
終わった後、ちょっとした飲み物とお菓子が「ご自由にどうぞ」とでてきた。粉末タイプのカフェオレ、紅茶など思い思いのものを参加したママさんたちが紙コップにいれてゆく。
友人同士で来ていたと思われる二人が、
「熱い飲み物、なかなか飲めないからうれしい」
「ね~。淹れても、気づいたら冷めているよね」
と話している声が聞こえた。熱いものを飲みたくても難しいのはどこのお母さんもそうなんだな、と仲間意識が顔を出した。
欲しているときに熱い珈琲を淹れて飲む十分間。そんな僅かな時間でさえ、自由なタイミングで工面できない。そのことにわたしは時折、すごくやるせなくなってしまうんだけど、彼女たちはそれが当たり前の日常として平気なのだろうか。聞いてみたいところだけど、その勇気は出なかった。
解散時間になった。眠いのかベビーカーに乗せると、子は泣き出した。
帰りのベビーカーで寝てくれますように。そう願いを込めて、リュックの中には、スケジュール帳、日記、文庫本、筆記具を詰め込んできてある。
久しぶりにお気に入りの喫茶店に行きたい。もしもベビーカーで寝てくれたら、一時間ほど自分時間というボーナスタイムが生まれるのだ。
喫茶店に向かうまでの時間、そろそろ寝るかなあ、と期待しながら時間稼ぎにゆっくり歩く。まだ泣いているので、薬局に行ってもろもろ買う。
しかし、泣き声はやまない。かれこれ三十分間泣いている。
ため息を一つ溶かし、大人しく家に帰った。
こうしたい、と思っていたことが簡単に覆される。子育てとは、特に子が小さいうちはそんな出来事の積み重ね。理解してはいてもその一つ一つに大して慣れることができず、いちいち落胆してしまう。いつか、「母だからしょうがない」とさっぱり明るく諦められる日が来るんだろうか。
もうすぐ家に着こうとするとき、近所でよく見かける顔見知りのおじいさんが前から歩いてくるのが見えた。子の泣き声は、おさまるどころか、一層ボリュームが上がっている。いつもは挨拶するのだけれど、なんだかそうする気持ちにもなれず、子に話しかけながらやり過ごしてしまった。心の余裕のなさは、愛想も奪うのだな、とぼんやり思う。
一日の内に程度の差はあれど、何度もあらゆることが思うようにならない、ままならない、が繰り返される。特にここ最近、子はより自我がはっきりしてきたり、寝ない、食べないが加速し、ままならない、という言葉を零しがちだ。(できることが増えて、より可愛いが増しているのは間違いないけれど)
仕方ないので、先日買ったとっておきのクッキー缶の開封の儀を執り行うことにした。
賞味期限が近いことで、お買い得に手に入れることができた可憐なクッキー缶。
あらゆる種類の焼き菓子たちがぴっちり並んでいる光景は、心を平穏に戻す作用がある気がする。わたしにとって、クッキー缶とはご自愛の代名詞なのかもしれない。
この世界に美味しい焼き菓子があって良かった。
バターの香しさに心癒せる単純なわたしで良かった。
いくつかつまんで、できてしまった余白が少し寂しい。このクッキー缶はあと、何回わたしの「ままならない」の慰めになってくれるのだろう。

