【エッセイ】大晦日 23時45分
この記事は12月14日(日)に行われる「紅白記事合戦」の参考記事になります。詳細は11月29日(土)に発表します。
大晦日の23時45分はNHKを観るようにしている。
正しくは「23時44分から45分に変わる瞬間」をだ。
小学校五年生のとき、わたしの担任の先生は実に変わった先生だった。他の学校の先生と異なり、「引っかかること」を言ってくる先生だった。良くも悪くも。
「えこひいきされるような児童は嫌いだから、わたしは逆に他の先生にえこひいきされていない子をえこひいきする」
という令和の時代ならちょっとアウトっぽいことを言ったり、
「これだけは覚えときなさい。相田みつをの『うつくしいものをうつくしいと思えるあなたの心がうつくしい』という言葉を」と名言を教えてくれたり、ほかの先生より印象深いエピソードが多い。
その先生のことを人生において特別好きだったとか尊敬していたとかそういうわけではないが、なぜかこの先生の話していたことははずっと覚えている。いや、わたしの中に「引っ掛かっている」という感覚に近いのかもしれない。
その中で、わたしが特に引っ掛かっていたのは、冬休みを数日後に控えた日に先生が話したことだった。
「紅白歌合戦が夜の11時45分に終わるから、『紅白歌合戦』から『ゆく年くる年』への切り替わりを見なさい」
教室が「はて?」という表情で埋められた中、先生は続けた。
「あの大勢の盛り上がった画面が急にしんと静かになる瞬間が素晴らしい。いいね、絶対に観なさい」
それはまるで、面白い漫画や映画をおすすめするような熱量で先生は薦めてきた。わたしは、なんだか絶対にその切り替わりを目撃しなければいけない気がした。
それまで人生において深夜まで起きることはなかったが、先生に言われた通り「その瞬間」を目の当たりにするためわたしは起きていることにした。
その頃は毎年、年末年始は母・妹・弟と岩手県のおじいちゃんの実家に行っており、おじいちゃんと幼い弟は早くに寝ていた。
わたしは23時40分頃にNHKにチャンネルを合わせ、紅白歌合戦の盛り上がりを見ていた。画面の中では蛍の光を皆が歌い、紅白記事合戦のあの画像のようなあんな煌びやかさと賑やかさが溢れていた。
あぁ、今年の終わりが近づいていることにこんなに大人は盛り上がれるのかと思った記憶がある。
外は積もった雪が全ての音を奪っていて、画面の中の賑やかさだけがただ煌々と明るかった。
そして23時44分。司会者が「よいお年を〜」と笑顔で叫んでいる中、わたしは胸が高鳴った。一体わたしはどんなものが見られるのか。カメラが引きで会場を映し、金銀キラキラとテープが舞っていた。
暗転。
ゴーンと寺の鐘音が鳴り画面が黒に切り替わった。
金から黒。
喧騒と静寂。
清々しい落下。
ジェットコースター。
ぐらついた少し怖いような幸福感と高揚感から、安心させてくれる夜の底の黒を触ったような感覚。
冬の暖房で暖たまりすぎ部屋を喚起するために窓を開け、冷たい空気が入ってきたような気持ちよさ。
先生が言っていたのはこれだったのか!とパズルのピースがぴたりとハマった感覚を味わった。
「先生にさ、これ観てって言われたんだよ」と母と妹に力説しても、「納豆がまたなんか変なこと言ってる」という様子だった。
きっと言語化も特にせず、その金から黒へ変わった瞬間の素晴らしさを「すごい!すごい!」とだけ言ってはしゃいでいたのだろう。もしくはこんなことにそんなはしゃぐのか?と思われていたのかもしれない。
たった一秒のことをこんなにもはしゃぐわたしは、変な子だったんだろう。
それでもわたしは23時45分に味わえる「感覚」が大好きで、その年から毎年味わうことにしている。
きっと皆さんもこの瞬間を見たことはあるだろうが、もし観たことがなければ大晦日23時44分から45分の切り替わりの瞬間、NHKを観てほしい。
この瞬間に流れ出る空気こそが、日本の年末の醍醐味だとわたしは思うからだ。
