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『雁の寺』川島雄三の独特の映像演出で見せる人間の業の深さ

画像©KADOKAWA1962

これは面白かった。川島雄三の映像演出がまた斬新。若尾文子も色気たっぷり。エロ坊主を三島雅夫が好演。そして孤独に心が歪められていく青年の苦悩。

まず最初に、坊主の後ろからの頭ナメ若尾文子という映像にビックリ。坊主頭(慈念)の真後ろから、その頭越しににやって来た若尾文子を撮っているのだ。さらに押し入れの中からのショットや扉の隙間、格子越し、作業場や壺の中からのショットなど、区切られた狭い空間からの特殊な映像が何度も出てくる。それは最後の方で、死体が置かれ土をかけられ埋められる墓の中からのショットへと繋がっていく。トンビが自分が取ってきた蛇やら魚やらネズミなどの餌を暗い壺の中に溜め込んでいる話が、慈念(高見国一)という小坊主によって若尾文子演じる里子に語られる。それは「黒いドロドロした中でぐじょぐじょ」したものだと言う。「イヤらしい」と言ってその場を立ち去る里子。その「ぐじょぐじょした」欲望の塊のようなもの、暗い穴から覗いて見えてくる人間の業のようなものが映画のイメージになっている。

冒頭から色欲の世界だ。洛北は衣笠山の麓、灯全派の孤峯庵は京都画壇の重鎮、岸本南嶽(中村鴈治郎が演じている)が妾の里子(若尾文子)の耳元をいじりながらを抱き寄せて、孤峯庵の住職慈海(三島雅夫)に「女は囲わないのか」と冷やかす。そして描き上がった雁の襖絵。このが「雁の」と呼ばれるようになった由縁である。その南獄がポックリ亡くなる。死の床で南獄が慈海に妾の里子のことを託す。女は1人では生きていけない、人の世話にならないと生きていけないとぼやく里子。孤峯庵を訪れ、南嶽に代わって今度は住職の慈海の身の回りの世話をすることになる。最初からイヤらしさ全開の慈海。里子の白いやわ肌に戒律を忘れてのめり込んでいく。その慈海の元で修行をしている若坊主が慈念(高見国一)。乞食が産んで棄てられた子であり、貧しい大工の倅として育てられたが、口減らしのためにこのに預けられた。慈海の躾は厳しく、叩く、殴るなど容赦ない。朝の読経を寝過ごした罰として、寝ているときも縄で繋いでおくという仕打ち。無口で口答えはしないが、暗い目で見つめる慈念の顔が何度もアップで写し出され、心の内に溜まっていくものを表現している。光と影の演出も効果的。さらに慈海と里子がいちゃつくのを慈念が何度も垣間見る描写があり、優しくする里子の着物の裾から露わになった足を見る場面など、里子への欲望を秘かに抱いていく。里子もまた慈念の視線に気づき、彼の可哀相な境遇を知って深夜に秘かに彼の部屋に慰めに行く。

そしてある雨の夜から慈海が行方不明になる。ある檀家の葬式を執り行うのに大騒ぎとなるが、慈海は旅にでも出たのだろうということで警察にも届けないことで落ち着く。慈海の失踪を知った本山では、宇田竺道(木村功)を代わりの住職として送り込み、居場所のなくなった里子は寺を出て行こうとする。そして、慈念のある態度から、慈海は殺されたことに気づくのだ。

慈海が殺される場面は一切描かれない。雨の夜の扉の向こうで聞こえる不審な音だけである。そして倒れている姿。そのまま、その死体は消えてしまう。そして通夜で一人読経している時の不審な物音、さらに埋葬する棺が妙に重いことなど、間接的に慈念が慈海を殺して他の遺体と一緒に埋めてしまったことが察せられる。襖絵の母子雁の母の雁だけが切り取られている。

ラストはなぜかカラー映像になって、現代の観光スポットになっている「雁の寺」が外国人観光客に紹介される場面で終わる。これは必要あったのだろうか。修復された母子雁の襖絵がそこにある。

見せないという省略、さらに穴蔵や隙間から覗くような映像演出。煽りカットやアップの映像。光と影の描写。怪作『しとやかな獣』『州崎パラダイス赤信号』などの川島雄三の独特の演出が光っている。


1962年製作/98分/日本
配給:大映

監督:川島雄三
脚色:舟橋和郎、川島雄三
原作:水上勉
企画:久保寺生郎、三熊将暉
製作:永田雅一
撮影:村井博
美術:西岡善信
音楽:池野成
録音:大角正夫
照明:岡本健一
編集:宮田味津三
キャスト:若尾文子、高見国一、三島雅夫、木村功、山茶花究、中村鴈治郎(2代目)、萬代峰子、菅井きん、金剛麗子、荒木忍、寺島雄作、石原須磨男、西村晃、高見王国、北野拓也、天野一郎、伊達三郎、藤川準

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