見出し画像

筋トレにお金と時間を使うのは、本当に正しいのか?

筋トレにお金と時間を使うのは、本当に正しいのか

筋トレを続けていると、たまにこんなことを考える。
「自分は、こんなに時間とお金を使ってまで筋トレをする必要があるんだろうか。」
ジムに行けば、当然お金がかかる。
月会費を払う。
トレーニングウェアやシューズを買う。
プロテインや食事にも少し気を使う。
そして何より、時間を使う。
仕事が終わってからジムに行けば、1〜2時間くらいはなくなる。
その時間があれば、副業ができるかもしれない。
勉強もできる。
家事もできる。
家でゆっくりすることだってできる。
将来のことを考えれば、そのお金と時間をもっと有効に使ったほうがいいんじゃないか。
20代後半になって、以前よりもそんなことを考えるようになった。
若い頃は、そこまで深く考えなかった。
「体を鍛えたいからジムに行く。」
それだけでよかった。
でも、年齢を重ねると少し事情が変わってくる。
仕事がある。
家族との時間がある。
将来のためにお金も必要になる。
やりたいこともある。
限られた時間とお金を、どこに配分するのか。
筋トレも、その中の一つになった。

「筋トレより、もっと有意義なことがあるんじゃないか」

例えば、仕事が終わって家に帰ったとする。
今日はかなり疲れている。
このまま家でスマホを見て休むのか。
それとも着替えてジムへ行くのか。
あるいは、その時間を使って副業に取り組むのか。
勉強するのか。
どれを選んでも、その時間は戻ってこない。
1日は24時間しかない。
これは当たり前のことだけど、20代後半になってから妙に重く感じるようになった。
特に「何か始めたい」と思っているときはそうだ。
副業をやりたい。
新しいことを勉強したい。
将来のためにお金を増やしたい。
そう思っているのに、ジムに1時間使っている。
「その1時間を別のことに使ったほうがいいんじゃないか」
と考えてしまう。
実際、筋トレをやめれば、時間は増える。
月に数千円のお金も浮く。
その時間とお金を別のことに使うこともできる。
だから、この疑問には一応、合理的な答えがある。
「筋トレをやめれば、もっと効率的に何かができる。」
たぶん、それは間違っていない。
でも、最近は「効率がいいこと」と「人生にとって価値があること」は、必ずしも同じではないと思うようになった。

人生を全部「投資」にすると、少し苦しくなる

将来のために貯金する。
仕事のために勉強する。
副業で収入を増やす。
資格を取る。
人脈を作る。
どれも大切だと思う。
でも、人生のすべてを「将来のため」という基準で考え始めると、少し苦しくなる。
今の時間を削って、未来のために積み立てる。
また今の時間を削って、未来のために頑張る。
そうやっているうちに、気づいたら何年も経っている。
もちろん、将来への備えは必要だ。
お金も必要だし、仕事のスキルも必要だと思う。
ただ、未来のために今を全部犠牲にするのも違う。
「いつか余裕ができたら、好きなことをしよう」
と思っていても、その「いつか」が本当に来るとは限らない。
だからこそ、自分にとっては筋トレの時間が一つのバランスになっている。

筋トレは「何かを生み出す時間」ではない

筋トレの不思議なところは、直接的には何も生み出さないことだと思う。
副業なら、お金が生まれる可能性がある。
勉強なら、知識が増える。
仕事なら、成果や評価につながる。
でも、筋トレをしても、その場では何も生まれない。
むしろ疲れる。
お金も払う。
時間も使う。
それでも続ける。
なぜなのか。
考えてみると、筋トレは「何かを得るため」というより、
自分を維持するための時間
なのかもしれない。
仕事をしていると、どうしても他人から求められることが増えていく。
会社から求められること。
家族から求められること。
社会人として求められること。
将来に向けて自分自身が求めること。
「もっと頑張らないといけない」
という感覚が、少しずつ積み重なっていく。
そんな中で、ジムにいる1時間だけは、基本的に自分のことしか考えなくていい。
何キロ持ち上げるか。
何回やるか。
どこまで追い込むか。
前回より少し伸びたか。
評価するのは自分だけだ。
その単純さが、思っている以上に大きい。

筋トレで得ているのは「筋肉」だけじゃない

筋トレを始めた頃は、単純に体を大きくしたかった。
見た目を良くしたかった。
少しでも格好よくなりたかった。
それは今でも変わらない。
でも、続けていると別のものも見えてくる。
例えば、「昨日より少しできるようになった」という感覚。
最初は持てなかった重量が持てる。
できなかった回数ができる。
以前より体が動く。
鏡を見て、少しだけ体型が変わっていることに気づく。
大きな変化ではない。
でも、確実に積み重なっている。
この感覚は、意外と日常生活では得にくい。
仕事では、自分が成長しているのか分からない日もある。
毎日同じような仕事をしていると、
「自分は去年より何ができるようになったんだろう」
と分からなくなることもある。
でも筋トレには、比較的分かりやすい数字がある。
重量。
回数。
体重。
体型。
継続期間。
昨日の自分と比べられる。
だから筋トレは、単純に体を鍛えているだけではなく、
「努力すれば少しずつ変わる」という感覚を取り戻す場所
にもなっている気がする。

「自分との約束」を守るということ

筋トレを続けていて、個人的に一番大きいと思うのはここかもしれない。
「今日は面倒だな」
と思う日がある。
仕事で疲れている。
雨が降っている。
家に帰ったらそのままソファに座りたい。
そんな日でも、とりあえずジムに行く。
別に誰かに褒められるわけではない。
会社から評価されるわけでもない。
お金がもらえるわけでもない。
それでも行く。
これを繰り返していると、
「自分で決めたことを、自分で守る」
という感覚が少しずつ身についてくる。
筋トレを1回やったから人生が変わるわけではない。
でも、何十回、何百回と繰り返していると、
「自分は意外と続けられる人間なのかもしれない」
と思えるようになる。
これは筋肉とは違って、目には見えない。
でも、長い人生を考えると、意外と大きな財産なのかもしれない。

それでも、筋トレが正解とは限らない

ここまで書いておいて、筋トレを勧めたいわけではない。
むしろ、筋トレをしない選択も当然ありだと思う。
毎月のジム代が負担なら、家で運動すればいい。
ウォーキングでもいい。
ランニングでもいい。
スポーツでもいい。
家族と過ごす時間を優先してもいい。
副業に挑戦してもいい。
勉強してもいい。
大切なのは「筋トレをすること」ではなく、
自分にとって、その時間とお金を使う価値があるかどうか
だと思う。
例えば、ジムに行ったあとに、
「今日も時間を無駄にしたな」
と思うなら、もしかしたら今の自分には必要ないのかもしれない。
逆に、
「今日も行ってよかった」
と思えるなら、その時間には何かしらの価値がある。
その価値は、必ずしもお金に換算できなくていい。

「何にお金を使うか」は「どう生きたいか」なのかもしれない

最近、お金について考えることが増えた。
貯金はいくら必要なのか。
将来、家を建てるならいくら必要なのか。
子どもができたらどれくらいお金がかかるのか。
収入を増やすにはどうすればいいのか。
考え始めると、いくらでも不安になる。
だからこそ、できるだけ無駄なお金は使いたくない。
でも、すべての支出を「無駄か、必要か」だけで判断すると、少し違和感がある。
例えば、旅行に使ったお金。
食事に使ったお金。
趣味に使ったお金。
家族との時間に使ったお金。
それらは銀行口座の残高を増やしてはくれない。
でも、だからといって無価値ではない。
むしろ、
「何にお金を使ったか」は、「自分がどんな人生を送りたいのか」を表している
のかもしれない。
筋トレも同じだと思う。
健康でいたい。
体型を維持したい。
自分に自信を持ちたい。
ストレスを発散したい。
自分のための時間が欲しい。
そういうものにお金を使っている。
それなら、少なくとも自分にとっては「ただの出費」ではない。

結局、筋トレにお金と時間を使うのは正しいのか

今の自分なら、
「正しいかどうか」ではなく、「それによって何を得ているか」で考える
と思う。
筋トレによって筋肉が増える。
体型が変わる。
健康を維持できる。
ストレスを発散できる。
自分の時間を持てる。
継続する力がつく。
そして、
「今日も自分のために時間を使った」
と思える。
それらを全部含めて考えたとき、自分にとってはジム代も、そこに使う時間も、今のところ必要なものだと思っている。
もちろん、これから生活環境が変われば考え方も変わるかもしれない。
家族が増えるかもしれない。
仕事が忙しくなるかもしれない。
お金をもっと優先しなければならない時期も来るかもしれない。
そのときには、筋トレに使う時間やお金を減らすかもしれない。
でも、それでいいと思う。
大切なのは、一度決めた習慣に固執することではない。
その時々の自分にとって、
「何に時間とお金を使うことが、自分の人生を少し良くしてくれるのか」
を考え続けることだと思う。
筋トレは、人生を豊かにする唯一の方法ではない。
でも、自分にとっては、仕事でもなく、家事でもなく、将来のためでもない。
ただ「今の自分」を整えるための時間になっている。
将来のために貯金する。
将来のために働く。
将来のために勉強する。
それも大切。
でも、未来の自分のために頑張るだけではなく、
今の自分にも、少しだけ時間とお金を使ってあげる。
そのバランスを取ることも、長く生きていくためには必要なのかもしれない。
だから今日も、仕事が終わって疲れていたとしても、たぶんジムに行く。
「将来のため」ではなく、
今日の自分を少しだけ好きになるために。


いいなと思ったら応援しよう!