焦りは欲。
たしか執行草舟さんがさらりと言っていた。どの本かは覚えていない。
ずっとこれについてnote化しようと思ってできずにいた。数ヶ月も。どう膨らませるかのイメージができなくて。
ようやくつながった。
行くに径(こみち)に由らず。
行不由徑。
近道を行こうとしない。ズルをしようとしない。王道を歩む。論語の言葉。
書き下し文は:
子游、武城の宰たり。
子曰わく、女(なんじ)、人を得たりや。
曰わく、澹台滅明なる者あり、行くに径に由らず、公事に非ざれば未だ嘗て偃の室に至らざるなり。
「公事に非ざれば未だ嘗て偃の室に至らざる」というのは、用事がなければ上司のところに行かない、公私を峻別していた、という意味。
論語の中では目立ちませんが、後に史記なんかにも引用される。
私がこの言葉を知ったのは、史記の、あの有名な「天道是か非か」の中。
近世に至るが若き、操行不軌、專ら忌諱を犯し、而も終身逸樂、富厚、世を累ねて絶えず。
或ひは地を擇(えら)んで之を蹈み、時にして然る後言を出だし、行くに徑に由らず、公正に非ざれば憤を發せず、而も禍災に遇ふ者、勝(あ)げて數ふ可からざる也。
余甚だ惑ふ。儻しくは所謂天道是か非か。
この史記の一節は大好きで、まるごと暗記している。だから「行くに径に由らず」はずっと史記の言葉だと思っていたら、それよりだいぶ古い論語の言葉だったか。
漢学者・諸橋轍次の座右の銘としても知られる。
諸橋轍次はあの三菱三綱領を選んだ人。
諸橋が岩崎小弥太に古典を教え、この三綱領を伝えたのは二子玉川近くの世田谷区岡本の静嘉堂。いつか行こう。
3年前に諸橋さんを悼む「行くに径に由らず」の本が出ている。
諸橋轍次の『大漢和辞典』編纂の鬼のような努力は語り草。
大修館の社長・鈴木一平の息子たちは、東大を中退して、諸橋轍次『大漢和辞典』の出版を支えた。70年以上かかって刊行した。中韓にもない世界最大の辞典。
ちなみにこの「行く」は「ゆく」と読む。慣用的に。
今の世の中の正式な読み方だと「行く」は「ゆく」ではなく「いく」。
でも「行くに径に由らず」は絶対に「ゆく」と読みたい。「いくにこみちによらず」ではなんだか力が出ない。
『竜馬がゆく』だから人気になった。
『竜馬がいく』ではダメだ。
焦りは欲。
それは「行くに径に由らず」ということ。
ちょっと渋滞すると近道を探そうと焦ってしまう私には痛い言葉。
拳拳服膺せねば。
