わが心の近代建築Vol.111 岩手銀行赤レンガ館/岩手県盛岡市
みなさん、こんにちわ。
最近は和風建築ばかり続いている当ブログですが、今回は最北端にある辰野金吾建築である岩手銀行赤れんが館について記載します。
この建物は、過去2度ほど訪問したものの、資料不足などで記載できませんでしたが、今回、改めて資料が揃ったため、やっと記載に至りました。
❏岩手銀行の歴史
1:盛岡銀行誕生まで
岩手県では1874年に今まで金融を取り扱っていた小野組が破産し、為替方を失っていたため、政府は1878年に第一国立銀行に盛岡支店を盛岡市街紺屋町に開業させました。
その他、1879年に旧一関藩士らの出資により第八十八国立銀行が創設。旧盛岡藩士らの出資により第九十国立銀行が創設されますが、どれもうまくはいかない状況でした

【Wikipediaより転載】
その様な状況下、1896年に盛岡の財界人らの尽力により、商業銀行として盛岡銀行が誕生し、1899年に岩手県の公金取り扱いが開始され、1907年に本店を中の橋に移転し、1908年から3年の年月を経て、辰野金吾と葛西万治設計により、1911年に本店(現在の岩手銀行赤レンガ館)が誕生しました。

【岩手銀行赤レンガ館HPより転載】
2:岩手殖産銀行の生誕
第一次世界大戦が終わると、日本経済は激しい反動不況に見舞われたほか、1923年には関東大震災が起き、景気はさらに悪化。
1927年には金融恐慌が起きて銀行法制定などにより、1930年には岩手県では、県内に本店を持つ銀行は5行のみとなります。
1931年には東北地方を凶作が襲い、青森県の銀行に取り付け騒ぎが勃発。この流れは岩手県全体に飛び火し、金融恐慌の嵐にのまれます。
そのような中、岩手県議会は新銀行法を決議し、1932年に岩手殖産銀行が誕生し、信用失墜した銀行の信用回復に努めることとなり、1933年に盛岡貯蓄銀行跡に本店を移転したのち、1936年に、現在の赤レンガ館を本店としました。

【岩手銀行係レンガ館HPより転載】
3:戦時中の岩手銀行
1941年に太平洋戦争が勃発。戦時体制に入り、日本経済は一時的に回復を遂げますが、戦争拡大とともに戦費が不足し、国は大量国債を発行に至ります。大蔵省(現 財務省)は資金調達能力を進め、一つの府県に葉銀行を一つにする一間一行主義を取り、岩手県では陸中銀行と岩手貯蓄銀子を合併し岩手殖産銀行が県内唯一の普通銀行となります。
4:戦後の状況と重要文化財へ
戦後、1950年に政府は後背地他国度を利用・開発する「国土総合開発法」を制定し、岩手県では「北上特定市域開発計画」を発表して、5年後には「北奥羽特定地域開発計画」が閣議決定されました。
これにより全県が開発の対象になり、多目的ダム・農林資金開発・電源開発・工場立地開発・漁港課整備・地下資源開発が行われ、銀行名も1960年に岩手殖産銀行から岩手銀行に変更されます。
この建物は、盛岡市中央通りに本店ビルが建設されると、1983年に中ノ橋支店に変更さ、1994年には現役銀行として初の重要文化財に選定されました。
が、2012年に銀行としての役割を終え、約3年かけ内部修復を行い、竣工当時の姿に近づけ、2016年に岩手銀行赤レンガ館として開館しました。

【岩手銀行や課レンガ館HPより転載】
❏赤レンガ館 2人の設計者について
1:辰野金吾
辰野金吾(1854~1919)は唐津藩に生まれたのち工部大学造家学科(現 東京大学工学部建築学科)の第一期生として、ジョサイア・コンドルに学んだのち、イギリスに留学し、コンドルの後に工部大学校教授に就任し、数多くの小ぷ芯を育てたほか、日本銀行本店、中央停車場(現 東京駅丸の内駅舎)、苗らホテルなどを設計し、その強固な建築から辰野堅固と呼ばれたほか、赤レンガに白い帯をまとったデザインを得意とし、辰野式フリークラシック建築と呼ばれ、岩手銀行赤レンガ館は辰野金吾が担当した建築では最北端に位置しました。

【国立国会図書館 近代日本人の肖像から転載】
2:葛西萬司(1863~1942)
葛西萬司は盛岡上衆小路(現 盛岡市清水町)に生まれ、帝国大学工科大学造家学科(現 東京大学工学部建築学科)を卒業。日本銀行建築課へ技師として就職し、辰野金吾とともに建築業務に従事します。
1903年に東京にて辰野葛西建築事務所を開業し、多くの建築設計に携わり、盛岡貯蓄銀行本店(現 盛岡信用金庫本店)、岩手病院診療棟(現 岩手医科大学附属病院1号館)等を設計します

【Wikipediaより転載】
❏たてものメモ
盛岡銀行赤レンガ館
●竣工年:1911年
●設計者:
・辰野金吾
・葛西萬司
●文化財指定:国の重要文化財
●入館料:¥300
●休館日:年末年始/毎週火曜日
●交通アクセス:
盛岡駅よりバス「盛岡バスセンター」停留所下車 徒歩1分
●参考文献:
・岩手銀行赤レンガ館 建物解説シート
・岩手銀行赤レンガ館HP
❏外観において
1:正面部分より
岩手銀行赤レンガ館は、交差点の角地に建ち、正面に8角形の塔屋、南面西寄りには4角形の塔屋、北面東側は切妻屋根になる、立体感に富んだ形状になります。また、窓には防火シャッターが付けられるなど、火災対策も行われていました。

2:エントランス部分
八角形の塔屋の下にはメインエントランスが作られています。
江戸期、この4つ角部分には盛岡藩の札の辻が置かれ、情報がやりとりされました。
エントランス上部にはパルメットが描かれた鉄製の装飾欄間が付けられ、その下に頑丈な鉄扉が付けられています。

3:南西部分から臨む
南西替え和から臨むと、中央停車場(現 東京駅丸の内駅舎)等の辰野金吾で多く見られるような、ドーム型の天井を設えた塔屋を持ち、赤レンガに白い花崗岩の帯を廻したデザインになり、これらは辰野式フリークラシック・スタイルと呼ばれました。
また、屋根部分には明り取り用のドーマー窓が取り付けられています。

【Wikipediaより転載】
4:防火シャッター
赤レンガ館は、顧客の方の金銭などを預かることから、外部には木製ガラス窓の外には鋼製の防火シャッター(鋼製防火鎧戸)が取り付けてあります。
シャッターはスラットを繋ぎ合わせたものを上の間基軸に巻き取る仕組みになり、壁い仕込まれた凸状の金具に鉄製のハンドルを差し込んで手動で回す仕組みになります。
シャッターを創建時以降数回にわたり交換されていますが、北側を中心に創建当時のものが残されています。

❏平面図から臨む
復元工事前は、2階部分は保存修繕工事により、2階部分の床を撤去し、回廊とし、竣工当時の姿に戻しました。
これにより、天井部分から燦燦と自然光が高窓から降り注ぐ形式になっています。

❏1階部分
・メインエントランス部分(旧現金係客溜)
創建当時は「旧現金係客溜」として使用され、表玄関部分になりました。
内部の床面は花崗岩を貼り付け、腰壁には蛇紋岩を使用しました、なお、この部分にみられる旧事務室(現 多目的ホール)部分とエントランスを仕切る営業台(カウンター)の上げ下げ窓を持つスクリーンと欄間装飾は、今回の復元工事により創建当時の姿に戻されました。

・旧事務室
2階から旧事務室を臨むと、背面以外の3方に営業台が置かれました。
銀行の心臓部分になり、竣工から2012年にわたり100年余り、この地で銀行業務が行われました。
天井までの高さは9m、東西方向約14m×南北方向12mの巨大な空間になり、背面部は旧支店長室に繋がっています。
天井のモールディングは地図記号でいうう所の銀行建築を模ったものになり、12棟の明かりのついた2つのシャンデリアが使用されました。
床部分は創建当時は板張りでしたが、戦後すぐのアイオン台風の被害で床上浸水したのち、リノリウム張りに変更されましたが、復元工事で床板を貼り直したうえでリノリウムが敷かれました。

営業台の上には上げ下げ式の建具を備えたスクリーンが設置されていますが、昔の金融機関ではよく見られたセキュリティ目的のものです。
営業台天板は、ケヤキの厚い板と大理石で構成され、方立を外して人造石研出し仕上げで埋めた痕跡があり、営業台の中には、窓を上げ下げするための分銅を入れるための箱が仕込まれ、それもほんの一部のみが残っています。保存修繕工事後は、東側客溜と西側客溜に面している営業用スクリーンを古写真や図面などをもとに復元しています。

なお、1階営業室内部に机が保存されていますが、かつての古写真から復元されたもので、実際に営業室前のスクリーンに面して、机が配置され、銀行営業が運営されたほか、各部署に分かれて机が所狭しと並べれていました。

・営業室内部から臨む
衝立を隔て、反対側の営業室部分は無料スペースになり、各種イベントなどに使用されています。柱部分には、古代ギリシャで見られたようなコリント式の柱頭飾りが付けられた列柱が使用されており、客溜を隔てた部分には、柱を2本どり(カップルドラム)にしています(こちらにはスクリーンは復元されず)

・旧支配人室
こちらの部屋は、盛岡銀行創業当時は旧支配人室と呼ばれていました。
一角に床レベルまでレンガを積み上げ、造り付けではない小金庫の置き場にしていました。1958年に鉄筋コンクリート造の本部棟ビルをこの建物の左側へ直に接続して増築した際、旧事務室から向かって左側の上げ下げ窓を改造し、鉄扉を設け出入り口として売ましたが、保存修繕工事後には、元あった姿に戻されました。

また、営業室と支配人室を区切る衝立を見ると、羽を広げた孔雀の透かし彫りが付けられています。孔雀は装飾としては正倉院宝物や中尊寺金色堂のなどにも用いられた装飾で、中国清朝では文官三品の印とされました。

・金庫室
旧支配人室にある外開きの鋼製扉の奥には、金庫室が備えられています。
内開きの鋼製竪格子の扉を備えた建物と一体型になったものです。
南側壁際には鉄製の箱状の金庫が備え付けられ、3列×3段の計9個が天井まで積み上がり、最上部にアプローチするための梯子段のように急な螺旋階段とキャットウォークも鉄製になります

外側の金庫の扉には、東京の日本橋馬喰町の竹内金庫の製造を示すエンブレム付きの銘板があり、明治28年…1895年に創業したことが窺い知る事ができます。なお、外側には「イ.ロ、ハ…」と刻印してある錠と鍵穴があり、2重ロックとなります。

・重役室
支配人室の右隣の部屋になります。
重役室には暖炉が付き、蛇紋岩を使用しています。
蛇紋岩はマグマが地下でゆっくり固まってできる「観覧岩」が水分の作用を受けて変質した岩石で、表面に蛇のような模様が見られることかな名づけられました。なお、2016年に「岩手県の岩石」に選定されています。
マントルピース中央には矩形を基調としながらも彫刻が施されています。

・第二応接室
1階の角部屋部分にあたる部屋で、暖炉に関しては重役室同様、蛇紋岩を使用し、天井部分の天井飾りにはつぼみのような形状のものを使用しています。
天井飾りは5㎝幅1㎝厚程度の木を1㎝程度の隙間を開けて作った「木摺」という下地に塩焼き消石灰と麻スサと海藻ノリを練って造った漆喰を塗って仕上げたものになります。
現在に至るまで何度か塗装を上塗りにして化粧直しが行われています。
平成27年の保存修繕工事では、意匠が失われないよう、塗装の上塗り化粧直しをせず、そのままの状態にとどめました。

・ライブラリー・ラウンジ
2012年の岩手銀行中ノ橋支店の営業終了時には市民ギャラリーとして使用された場所です。
この部屋に関しては、図面や写真の史料が残されていなかったため、何に使用されていたかは不明でしたが、大正5年度の雑誌『建築世界』の口絵に外観写真と1階平面図が掲載されており、北から「行員喫煙室」「用度係室」「應接室」として使用されたことが判明しました。

床下からは間仕切り壁の基礎が2列、西側の壁からは間仕切り壁の痕跡が発見され、3部屋に分けて使用されていたことが窺い知ることができます。

・階段部分
2階へ渡る階段は3かしょありますが、手すりも手すり子(手摺の下の縦棒部分)も親柱もすべてケヤキ材を使用しています。北側にある2つの階段は、行員が日常的にしようするもので、少し狭いものの手すりの折り返しのうねる様な細工は滑らかな手触りで、超絶技法が用いられています。

特に南西の階段は、総会室に通じた賓客が使用するもので、コの字型のゆったりした造りになっています。北側階段より豪華な設えとなっており、手摺子は楕円形の彫刻がリズミカルに並び、親柱の頂点には壺状の松かさのような木彫りが載っています。

❏2階部分
・旧総会室
2階の客用階段を上ると旧総会室になります。
この部屋の平面形状は西から東に凸字状になり、天井飾りの周囲を漆喰で塗り固めています。2カ所の壁面コーナーが丸くなり、上部に漆喰装飾があります。

壁面装飾は、中央部分に波型模様が左下から右上にかけて付けられ、数珠状の縁取りが楕円形に描かれています。
頂点からスクロール(渦模様)を介して両側にアーカンサス(葉アザミ)の葉をあしらった紙帯が包み込み、紙帯の下にはベル状の図案が連なる意匠になります。
これらはバロック時代に多く用いられ、カルトゥッシュと呼ばれました。

・旧第壱應接室
1階第二応接室の上に位置する部屋で、竣工時には第壱應接室として使用されました。
旧事務所以外では唯一、この部屋のみ、古写真によりこの部屋のみ、竣工当時の姿が分かる室内になっています。
現在の白漆喰の壁とはしがい、おそらく織物であろう、模様の付いた壁が付けられていました。
床には模様の入った絨毯が敷かれ、その上にイスやテーブルなどの調度品が置かれ、暖炉の上には明り取り用の鏡が掛けられ、窓の前にはドレープとレースのカーテンが設えられ、賓客を応接するにふさわしい内装でした。

・旧支店長室
旧重役室に位置する部屋になります。
天井飾りは、1階の蕾状のものとは異なり、葉をイメージしたような形状になります。また暖炉部分は1階部分と同じく蛇紋岩が使用されているものの、白目地が浮き出たものとなり、中央部分の白大理石の形状は1階のものとは違い円形になります。
かつては暖炉上に明り取り用の鏡が置かれていたものの、現在は喪われています。

・旧事務室
現在はシアタールームとして使用されていますが、ちょうど、支店長室と金庫室の上に位置する部屋になります。
暖炉こそないものの、天井装飾は各部屋と同じ形状で作成されています。

床部分から1階金庫室の天井を見る事ができ、床はコンクリート下地モルタル仕上げで、壁は分厚いレンガの下地に内部は漆喰が塗られ、天井部分もI型鋼とレンガで造られ、漆喰を塗りこまれ頑丈にできています。

・2階回廊
1936年にこの建物が盛岡銀行から岩手殖産銀行の本店に変更された際、南東側客溜と東側客溜は、吹き抜けを排して床が作られたとともに回廊はなくなりましたが、平成27年度に完成した保存修理工事に伴い、当時の手すりの意匠形状と寸法を古写真と盛岡銀行建築圖から読み取り復元しました。
回廊部分には転落防止用の手すりが回り、東側客溜(写真右側)の手すり装飾は緑色に塗られ、パルメット(シュロ)の模様が付けられています。また、回廊を支える三角形の手鉄製の持ち送りは、同じ辰野火災建築事務所の設計した中央停車場(現 東京駅丸の内駅舎)とそっくりな意匠で、一部を除き、創建当時からのものになります。

一方旧南側客溜と営業室部分(写真左側)の回廊手すりは、もともとは、写真右側と同じ形状でしたが、第二次世界大戦時の金属供出により、現在の直線型のものに変更され、木製になっています。

❏編集後記
この建物は以前から訪問したかったのですが、写真の不足、資料不足などにより断念せざるを得ませんでしたが、今回やっと記載することができました。しばらくは取材に行けない状況ですが、過去の写真などを使用し、今まで掲載できなかった場所も随時掲載していければと思うと同時、月並みですが、この建物も、数少ない辰野金吾作品として末永く人々に愛されていくことを願って止みません。
