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超えてまた、親子になる

母の叫び声がぶちんと私の中の何かを変えた結果、私は実家を飛び出した。

まだまだコロナ渦が続いていて、緊急事態ではないにしても外出自粛が叫ばれていた時。
私は実家の子供部屋にいた。

母が病院で働いていたので、感染症予防にはそれこそ病かと思うほど敏感だった。私も気を遣ってこまめに手を洗い、あまり外出しないようにしていた。

外出はあたりを散歩する程度で、彼と会うにも場所は河川敷。
『三密を避けて行動しつつ、決して引きこもらず、外に出て健康維持に努めてください』
こんな種類のニュースが流れている時期だったので、ある意味では模範的だったかもしれない。

ただ、母からすれば私が外出するだけでなんとなく不安になったようで
「どこ行くの」
「何時に帰ってくるの」
「誰と行くの」
「夕飯は家で食べなさい」
などガミガミと言われる。17時半ごろを回っても帰ってこないと不在着信が数件溜まっている始末。

クリスマス付近に彼氏と個室焼肉を食べに出かけたら(一応三密回避のため気を遣った結果だった)、
「そんなに馬鹿だと思わなかった」
とヒステリックに叫ばれて、何かがぶちんと切れてしまった。家を出るほかない。

以前から同じ家に住む祖母が何かに激昂して子ども部屋に乗り込んできたり、長電話しているのを詮索されたりすることに自分の空間が侵害されているような感覚はあった。

一人暮らしがよぎったことももちろんあったが、自分名義で家を借りて一人で住むなど、夢物語だと思っていた。
自分は家事能力0で、洗濯機も回せない。もともと慎重でリスクばかりを先回りしてしまう自分が、そんなのありえない。一人暮らしへの希望や憧れを抑え込んで、実家に留まる選択をしていた。

ただ、きっかけは唐突に訪れるものである。
クリスマスのこのスクリーム事件を機に心が決まった。

私は叫ぶ人とは住めない。

心が決まると、とんとんと準備が進んだ。
年明けには自分の予算と家の条件を決め、悪い物件を掴まされないように下調べも入念にした。
それでも不安が拭い切れず、初めての不動産屋は彼氏同伴で一人暮らしの家を探すという形で進んでいった。

母には無許可だった。はじめて不動産屋に行った日に一人暮らしすると宣言し、あとは
「もう決めた」
で押し切った。

祖母はそれを聞きつけて、繰り返し
「実家があるのに家賃を借りて住むなど勿体無い」
と言い続けた。
時に怒りに任せて、時になだめるように説得を試みている様だった。小さい頃から、仕事人間の母に代わっていつも傍にいてくれた祖母。
恩知らずのようで心が痛んだが、決意は結束バンドのように心から離れなかった。


この時、母がどんな気持ちでいたか、私は知らない。

姉に続いて家を出る下の娘が世間知らずで心配だったのか。
病院勤めでピリついているというのに、能天気に外を出歩く娘が家から出るということを、渡りに船と思ったか。
家から人が減るのはやはり寂しいと思ったか。

祖父の使っていたシングルベッドを家から持ち出し、一人暮らしがスタートした4月。
ベージュの安っぽいフローリングの上に、がっちりしたベットフレームが一つ乗っかった。

初日の夕食はピクニックのようにして部屋の真ん中で彼と新生活を祝った。
当時二人でゆっくり話せる場所は限られていたので、勝ち得たこの場所が誇らしかった反面、暗くなると実家が心配にもなっていた。

勢いで飛び出してしまったけれど、母や祖母は怒っていないだろうか。
子供がいなくなった家で、急に老け込んだりしないだろうか。
話し相手が減って、認知症になったりしないだろうか。

余計な心配ばかりして、いや、でも半ば強引に家を出た手前、電話はかけられない。かかってくるまでは。
彼が帰った後、がらんとした部屋がとにかく静かで、怖くて、早く寝てしまおうと布団に入った。

電車で一時間ほどの距離が、遥か果てのように感じられた。追い焚きのない風呂が途中で冷めてくると、実家の暖かさを思い出して切なかった。

1週間ほどして、実家の祖母から待ち侘びた電話がかかってくる。
「何食べてるかなと思ってー」
と寂しがる声は、いつもどおり明るい。1週間で変わるはずもないのに、内心ほっとした。
すぐに母に取り次ぐと言って、有無を言わさない保留音になる。

何を言おう。何を言う。
考える間もなく、母は電話に出た。

「元気にしてる?」

お母さん。こんな声だったっけ。

「元気だよ」
家に冷蔵庫が来た話とか、引越しで通勤が楽になった話をして、じゃあまたといって電話を終えた。


母の心中など、私には分からない。
ヒステリックに叫ばれたことも理解できない。

ただ、相手が悪いと思うばかりで、向き合うことを放棄していたのだと分かった。
同じ家にいた母の声色を、母の話を久しぶりに聞いた気がした。

実家の騒がしさが、また恋しくなる。
違う空間に生きるという決断が、分かろうとする心を手繰り寄せた夜だった。

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