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できなかった夜、はじまったふたり

彼と過ごした初めての「できなかった」夜、私はどこか安堵していた。

信じてきた在り方から逸脱することに迷いがなかったわけではない。性行為に前向きになれるように努力しなければならないとさえ、どこかで思い込んでいた。

振り返れば、学生時代の私は、「好き」というトキメキよりも「条件」で人を見ていた。
学歴、志、性格。結婚生活を思い描けるかどうかが、何より大事だった。
誰となら安心して「普通に」暮らせるか。お金に困らず、いつかは子どもを持ち、年に数回旅行に行けるか。
打算的だったと思う。でも、当時はそれが「普通の愛」だと、本気で信じていた。

高校生のとき、理想的な人に出会った。頭が良くて、志があり、息の合う人だった。高校生で出会って5年ほど一緒にいた。本当にこの人と結婚するだろうと思っていた。

だが、「そういうこと」になったときに問題が起きた。
彼とのセックスが、全く好きになれなかったのだ。

私たちは付き合い始めて約1年、実にプラトニックなお付き合いを続けていた。私が浪人したからである。勉強に集中するという大義名分のもと、デートは月に一度、短時間お茶する程度だった。

彼には悪いが、その一夜を先延ばしにしていることは、むしろ好都合と思っていた。

私は心の底からしたくなかったのだ。彼は「そんなに簡単に妊娠しない」と言うけれど。避妊具の性能がどんなに優れていても、何かが取り返しのつかないほど変わってしまう気がして怖かった。前向きな彼と、怖がりな私。ふたりの夜に対する考え方は、どこまでも平行線だった。

ただ、「待たせている」という罪悪感は日々募った。
こんなに待たせた挙句、「そういうことは将来、子どもをつくる時にしよう」などというのは彼が可哀想に思えた。そんなひどいことをしたら、この関係は終わってしまうかもしれない。

この先も彼と一緒にいたいなら、私が腹を括るしかないと思った。大学生になってすぐ、私は心の準備も何もないまま、ただ義務のように応じた。

快感なんてなかった。
男の部分を見るのが怖かったし、気持ち悪いとさえ思ってしまった。張り付く肌の生々しさに、恐怖に近い感覚を覚えた。

我慢強い彼も、やはり二十歳前後の青年だった。
一度許してしまえば欲望ははち切れて、会うたびに求められるようになった。

「お金がないから、うちに来て」
よくそう言われた。そのたびに、「嫌だ」と思った。
行ってしまうと成り行きに従わざるを得ないのだ。彼と一緒にいたい私が顔を出してきて、「そうなる」。

喫茶店では何時間でも話していられる気がするのに、私はたった30分の行為に耐えられない。

外で会えば好きだった。
家では距離を感じた。
外では結婚したいと思い、
家では別れが頭をよぎった。

彼の欲望、それは仕方がないことだと分かっている。でも、心がついていかないのだ。
彼を好きな自分と嫌いな自分が乖離していくのもつらくて、学生の最後に別れた。

いつかは破綻する関係だった。そう分かっていても、続いていく生活の中に彼がいない。その痛みは常に横たわっていた。
社会人になった頃、その寂しさを埋めるのはきっと新しい恋愛であるのだろうと、マッチングアプリをインストールした。

結婚がまだ遠く見えていた別れた彼とは違い、経済的にも安定し、次の人とは家族になるかもしれない。私は早く結婚して、相手を繋ぎ止めておきたかった。きっと望んだ「普通」の家庭を持てるはずだと。
私は半年ほど経って、のちに夫となる人と付き合うことになった。

ただ、相手が変わっても、幸せの真後ろには心臓に張り付くような「夜」の怖さがちらつく。終電に間に合うと、名残惜しさと同時にホッとする。また同じことになるのではないかと、彼と会う前日に怖くて眠れなくなる。

なかなか一夜を共にする機会はなかったが、私はまた、覚悟を決めようと思っていた。「きっと大丈夫」と、呪文のように言い聞かせた。これさえ我慢できれば、私は今度こそ、新しい彼とうまくやっていける。

うまくいかなかったら。
また別れることになるだろう。それはそれで、仕方ないのかもしれない。

だが、覚悟して向かった初めての旅行で彼は「できなかった」。不能というわけではない。ただ、疲れや緊張でできないことが多いと言った。彼はそんな自分に傷ついていて、「ごめん」と言った。

なんの「ごめん」なんだろう。

私はむしろ、彼が今日、できなかったことに喜んでしまっている。
ひどいだろうか。ひどいのだろうな。

「できなくてもいい」

彼の背中を撫でながら口にした。彼は慰めと取ったかもしれないが、私はそんなつもりじゃなかった。

「できなくてもいい」
本当にそう思ったのだ。

その後、何度か同じような夜を過ごした。行為に至ることはあっても、なかなかうまくいかなかった。好きな人と体を重ねることを幸せとする「普通」から、遠ざかっているような不安はあったが、彼が「ごめん」と謝るたびに、私には彼が愛しく思えた。肌を重ねなくても、彼の匂いに寄り添って眠れたらそれだけで心が満ちて、「これでいいのかもしれない」と思い始めていた。

大きな変化はないまま、数年後、彼と結婚した。
夫婦となっても、相変わらず「そう」なるのは稀だ。世間的にはセックスレスなのかもしれない。その言葉は、夫婦仲がうまくいっていない証のように響く。時に破綻を連想させることさえある。

求められていないと感じて、歪みが生まれるのならばそれは不幸だろう。その歪みを案じて、彼は「ごめん」と言うのだろう。
だが、むしろ性的な関係が制限されているからこそ、私は安心して彼と一緒にいられる気がする。

恋のような愛のような、親友のような。
結婚した頃に出会った性行為を伴わない結婚を指す言葉──『友情結婚』とも、少し違う。私たちの関係は、友情とは呼べない。そんな綺麗な言葉には、はめ込めない。
そんな結婚で、私たちは家族になった。

肌を重ねない後ろめたさに囚われていた。
昔の彼と初詣に行ったとき、「セックスがうまくできますように」と必死に祈ったこともある。

時間が経とうと相手が変わろうと、行為に慣れることはなかったけれど、夫に出会い気づいたのだ。ふたりの中に離れない何かがあれば、愛や思いやりを、肌の記憶だけに閉じ込めなくてもいい。私たちには、そう思える夜がある。

今日も何も起きない寝室で、ふたり手を繋ぎ眠る。

夫婦に定型などないのではないか。
ハート型には程遠い、ぐにゃりと曲がったそのいびつさを、私は愛と呼びたい。

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