使えないお金、渡されたままの想い
祖母からもらったお金が、どうしても使えない。
大学生の頃は、洋服や美容にこだわって、お金はあればあるだけ使っていた。けれど、そのお金だけは、なぜか手をつけられないままだった。
「卒業おめでとう」
青っぽいインクで書かれた、シンプルな白い封筒。中には、しゃっきりとした諭吉が何枚か入っていた。高校卒業のお祝いだった。
祖母はいつも、お金を渡すときにさらりとしていた。「そこにお金があるから、持ってきてみなさい」と言って、私に封筒を取りに行かせる。それから「お祝いだよ」と言って、私に委ねるのだ。
よく母に、「使うときはケチケチするな」「買うなら良いものを買え」と言っていた祖母。姉の成人式のとき、母が用意したショールが安物すぎると、業火の如く怒った人である。それで私の成人式のときには、「水鳥」の裏表もこもこのファーを買ってきた(値段が全然違った)。
そんな人だからこそ、私に渡したお金も、気持ちよく使ってほしいと思っていたに違いない。それなのに、あの封筒は今もクローゼットの奥にしまわれたままだ。
あのお金を受け取ったのは、浪人生活が始まった頃だった。バイトの経験もなく、お小遣いだけが頼りだった私にとって、それは大金だった。けれど、そのときは使う余裕も理由もなかった。
「大学生になったら、何か記念のものを買おう」
そう思って、優しい眼差しの諭吉を、そっと封筒に戻した。
けれど、大学生になっても、そのお金は使われないままだった。
華やかな私立大学だったし、使おうと思えばいくらでも機会はあった。なのに、なんとなく高価な買い物が憚られた。
1年浪人させてもらったのに、これといった成果も出せずにいた私は、大学生になった自分のことがどうしても好きになれなかった。だから自分を認めたくて、美容や洋服に熱心だったけれど、祖母からもらったそのお金は、一過性のものには使いたくなかった。
「二十歳になったら、何か記念に買おう」
そんなふうに思っていたが、その機会も結局訪れなかった。
社会人になると、自分の収入で欲しいものはだいたい手に入るようになった。
それと同時に、「祖母のお金で買いたいほど欲しいもの」が、どこにもないことに気づいた。
祖母のお金を使うのなら、それは私が本当に欲しくて、ずっと一緒に時を過ごしていけるようなものがよかった。けれど、時計もアクセサリーも、その頃にはもう興味が薄れていて、「喉から手が出るほど欲しい」と思えるものには出会わなかった。
もっと大人になれば、焦がれるように欲しいものに出会えるのだろうか。
インスタグラムを開けば、キラキラした生活があふれていて、「30歳の記念に憧れのブランドのペンダントを購入しました!」という投稿を見かけた。
そうか、30歳になったら。
年齢的にも、少し良いものを身につける頃合いになれば、「これが欲しい!」という衝動がやってくるかもしれない。
——そう思っていたけれど、30歳になった今も、「これが欲しい」には出会えていない。
使えないお金は、これが初めてだ。
もしかすると私は、死ぬまでこのお金を使えないのかもしれない。
今も変わらずそこにある、祖母のお金。
「卒業おめでとう」——あの青い文字も、まるで息をしているかのように、静かにたたずんでいる。
「お金は、ただの紙だから」
女優の石田ゆり子さんが、お金はちゃんと使って、経験に投資しなさいと言っていた記憶がある。その通りだと思う。
——でも、あのクローゼットの中にある、ただの「紙」は、今もそっと、祖母が私に手渡し続けてくれているような気がするのだ。
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素敵な企画をありがとうございました。
