北原白秋の詩「一炷」から学ぶ - 一呼吸置く・流れを止めない -
このシリーズでは近代~昭和初期にかけて活動した文士の作品から、「詩のどこが良いのか」「どう書けば詩なのか」を探していく。
どの記事も一本で完結している。
前回はお正月ということで、羽根つきをテーマにした夢野久作氏の作品を取り上げた。
今回は誕生日(1月25日)が近い北原白秋氏の詩「一炷」を取り上げる。
この詩は、あの「邪宗門」に収録されている。
私が限界ヲタクにならないうちに、学んだことを、この詩に相応しく簡潔に記そうと思う。
一炷
香炉いま
一炷のかをり。
あはれ、火はこころのそこに。
さあれ、その
一炷のけむり、
かの空の青き龕に。
基本のキ「対比」
一呼吸置く「。」
1連目も2連目も、2行目のはじまりは「一炷の」。
1連目は文末が「。」となっており、体言止め(名詞で文が終わる技法)が使われている。
読者は香炉と、それが発する香りだけに集中できる。この技が、一息ついたような静寂をもたらしている。
流れを止めない「、」
1連目に対して2連目の文末は「、」となっており、3連目に続いている。
「こころのそこ」から生まれながらも、留まることなく空へ上っていく。
その様子が、読点ひとつで表現されている。
かくれ対句
1連目は、火が近くにあることが書かれており、その火が赤く温かいのを想像させる。
すると2連目は青い空の遠いこと、火の温かさから遠ざかっていくことが想像できる。
赤い⇔青い、温かい⇔冷たい、近い⇔遠い。露骨に並べなくても、対であることがきちんと伝わってくる。
さすが詩聖……。
予測変換では出ない「一炷」
いっす、煙が立ち上る様子のこと。
す、という響きがまさに煙のよう。
私はずっと「一寸」の仲間だと思い込んでいた。
余談「北原氏とけむり」
北原氏は大変な愛煙家。
「自分の作品はタバコの煙から生まれる」と本人が言うほどである。短歌や詩の小作品などにも、タバコの描写が度々登場する。
しかし今回は、香炉の煙である。もしや彼はタバコに限らず、煙のゆらゆらくゆる風景が好きだったのだろうか。
愛煙家とはいえ、1本1本を最後までは吸わなかったという話もある。
「美味しい最初だけ味わいたいから」というのが理由だそうだが、もしかすると、一瞬の煙の風情が好きだったのかもしれない。
まとめ
小さな世界を短い詩で
この詩を読んだとき「視点は、香炉のある部屋からは出ない」となんとなく思った。
狭い部屋で、香炉から流れ出る煙を追いつつも、追いきらずに窓辺から見送っている。
青い空の広々としているのは、煙しか知り得ず、自分が知ることは無い──と言いたげな、僅かなセンチメンタリズムを感じた。
小さな世界がピッタリと収まるくらいのサイズで、詩を書いたのだろう。
これ以上書くと限界ヲタクな叫びしか出なくなりそうなので、やはり彼は憧れの人だとだけ書いて、結びとする。

《参考および引用 北原白秋 邪宗門》
最後にこれだけ。彼の「五十音」も読んで欲しい。
特にハ行。アウフタクト(1小節目より前に助走の音が入ること。「蛍の光」の最初の「ほ」のようなもの)になっているから。読んで欲しい。
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