高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」から学ぶ|メッセージ性と芸術性のバランス
普段、このシリーズでは近代~昭和初期にかけて活動した文士の作品から、「詩のどこが良いのか」「どう書けば詩なのか」を探していく。
どの記事も一本で完結している。
今回は、3月13日に誕生日を迎える高村光太郎氏の詩。
「ぼろぼろな駝鳥」から、詩の“メッセージ性”と“芸術性”のバランスについて考えていく。

はじめに、高村光太郎とは
明治十六年生まれの芸術家(絵画・彫刻分野)、詩人、歌人。
『道程』や、「レモン哀歌」で名高い『智恵子抄』などの著者として、
国語の教科書でもよく取り上げられる。
明治末期には木下杢太郎氏や北原白秋氏のような耽美派詩人らと共に、芸術会「パンの会」に参加。
第二次世界大戦後の晩年は、詩をプロパガンダに使ってしまった自責の念から、七年間の山籠もりに入った。
ぼろぼろな駝鳥
何が面白おもしろくて駝鳥を飼うのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢじゃないか。
頚があんまり長過ぎるぢじゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢじゃないか。
腹がへるから堅パンも喰ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐいるぢじゃないか。
身も世もない様に燃えてゐいるぢじゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへえてゐいるぢじゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐいるぢじゃないか。
これはもう駝鳥ぢじゃないぢじゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
この詩を初めて読んだ時、恐らく私は小学校の高学年で、「駝鳥は頭が小さいから、そこまで考えられないだろう」と思った。
成人して読み返すと、「頭が小さいからこそ、故郷と違う環境に我慢できないかもしれない。理解が出来ないのと、感情が無いのとは違うことだ」と思うことができた。
「ぢゃないか」という言葉の繰り返しが観察的で、ひとつひとつ現実を突きつけるような一篇である。
メッセージ性のある詩
この「ぼろぼろな駝鳥」は『銅鑼』という同人誌に収録されていた。
草野心平氏ら、中国の広州嶺南大学に留学していた人物が中心となった同人誌である。
国際情勢の悪化に伴って日本に原稿が持ち帰られ、そこから宮沢賢治氏など様々な作家も参加するようになった。
「ぼろぼろな駝鳥」が載せられたのは最終号で、昭和三年のもの。
最終号近くの『銅鑼』は、アナーキズム※的な雰囲気であった。
※アナーキズム…大雑把に説明すると、政府の管理ではなく、個々の助け合いで成り立つ生活と、それに伴う自由を目指そうとする動き。縄文時代の生活が近いかも知れない。
「人間」は誰のことを指している?
この詩は動物園の駝鳥を描いているものだが、それを踏まえて「人間よ、もうよせ、」という一節を読むと、こう思う人が出てくるかもしれない。
「いや、そのおかげで高村氏も駝鳥を見ることができたではないか」
と。
しかし、駝鳥がどのような姿でいるかは、実際に動物園へ行かないことには分からない。
もしかすると手入れが行き届いていて、幸せな駝鳥が居るかもしれない。
百聞は一見に如かずというように、予想と違うことも往々にしてある。
そのことと、前述のアナーキズムとを踏まえると、 “観察しているうちに、自身を含めた人類と、駝鳥とを重ねていった”と読むことができる。
人間も駝鳥も、本来の生活圏で、何にも縛られず、自由に生きるべきなのだと。
「こんなこと」とは何のことか
中央アフリカという温暖な地域の、走る鳥を、雪も降る国の約13㎡に閉じ込める。
「こんなこと」の内容は上記の通り。
この詩では高村氏は、駝鳥を駝鳥たらしめる条件として、生息環境を重視した。
それゆえ「駝鳥ぢゃないぢゃないか」という一節が生まれたと読むことができる。
では、人間は「こんなこと」を駝鳥だけにしているのかというと、答えは否である。
先述の、人間と駝鳥とを重ねたという説に繋がってくる。
人間同士でも「こんなこと」をし得る。
むしろするのが普通になっているから、他の動物にもする。
それが、高村氏の考えだったのではないだろうか。
“メッセージ性のある詩”が受け入れられるのは
私は、 “沢山の人間へ、動くように呼び掛ける” という目的の文学を好ましくないと思っている。
詩で、報道で知っただけの他国の情勢に首を突っ込むのも、不特定多数に向けて如何なるメッセージを発するのも、無責任な言葉の使い方だと思っている。
それでも私がこの「人間よ、もうよせ、」という不特定多数に呼びかけのある詩を、それほど嫌だと思わなかったのは何故だろうか。
それはこの詩が、人類への呼びかけという形をとっていながら、その実「どうにもできない」という無力な感情の吐露となっているからと考えられる。
感情は、詩を芸術品たらしめるものである。
駝鳥の状態を列挙できるほど、状況は理解しているのに、「もうよせ」と言う事しかできない。
ここでもし「人間よ、駝鳥を開放せよ」という一節がついていたならば、私はこの詩を好きになれなかった。
自分でできないくせに何を言うんだ、と感じていたに違いない。
変えることの難しい世の中で、「それでも自分はこう思っている」と自分の位置を確かめる。
この詩はそのようなものであって、不特定多数に生き方を強制するものではないのだと思う。
まとめ
高村氏が「ぢゃないか」と繰り返した丹念な観察は、目を逸らさずに現実を咀嚼し続ける行為そのものである。
詩は、文学は、人々を動かすために書くものではない、という私の意見は変わらない。
しかし「自分はこう生きる。こう生きたい」という感情を表すことにおいては、重要な役割を持つ。
感情によって宣言は芸術となり、詩になり、そして、それが図らずも支持を得る場合がある。
この詩を読むたび、寒々しく小さな敷地に立つ駝鳥の姿を通して、自分たちが何を失い、どこに閉じ込められているのかを、改めて問い直されることになる。

「♡」を押すことができます。
読了の印があると、嬉しいです。
【参考および引用】
高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」-『近代詩の鑑賞』さ・え・ら書房、1971年
・関連記事
高村光太郎氏と同時代に活躍した草野心平氏らは、青空文庫入りしていないので、「パンの会」時代の詩人の記事を。
北原白秋の詩「一炷」から学ぶ - 一呼吸置く・流れを止めない -
(2025年1月19日投稿・1290文字)
いいなと思ったら応援しよう!
この記事を保存したいとお思いの方、応援いただけますと幸いです。
頂戴したチップは同人誌「さくさく」への寄稿費など、文芸活動に充てます。