たまんちゅ!#28【沖縄(このしま)から、あの場所へ】「宣言」
これは、わたしの瞳にくっきりと浮かび上がった未来の景色。
真夏の炎天下、青々と生い茂るツタに覆われた甲子園球場。満員のスタンドでは鳥の鳴き声のような指笛が高々と響きわたり、沖縄応援名物ハイサイおじさんの大合唱で地面が揺れている。
野球好きな人たちが生み出した熱気の中心、マウンドから見たホームでは、よーがミットを構えてる。背中越しにるーるーが声を掛けてくれて、打席に立ってるのは真琴ちゃんだ。よく見ると口元に微笑が浮かんでることに気付いて、わたしも笑い返してからボールをギュッと握りしめた。
わたしが産まれるよりもずっと前から積み上げられていった、たくさんの人の努力があって、高校女子野球の決勝は甲子園でやる時代になった。男子も女子も関係なく、世界で一番野球に夢中になれる場所。そこでわたしは、ふっと小さく息を吐く。右足を上げ、背番号を見せつけるように背中を打者に向けて、左腕を力いっぱい振り抜いた。
ここから始まる、わたしたちの挑戦。苦しくても下を向かない。辛くても諦めない。涙を流しても、最後には笑っていたい。だから、みんなと一緒に叶えてみせる。
沖縄から、かならずたどり着いてみせる――。
甲子園から遠く離れた、四月の沖縄。本州では桜が見頃を迎えるこの季節に、沖縄では深紅に色づくデイゴの花や、色とりどりのブーゲンビリアが咲き乱れている。春の期待に胸をふくらませる新入生を、温かく祝福するかのように。
沖縄の中心地、那覇から少し南のほうにある県立美波島高校。青空がよく見える開放的な中庭で、大中小と背丈が整った女子が3人、ベンチに並んで座っていた。
「いっただっきまーす!」
おばぁが握ってくれたポーク玉子おにぎりを両手で持ち、ぱくりとかぶりつく。大好物の味が口いっぱいに広がって、玉城ありあは口元にくっついた米粒も気にせず満面の笑みを浮かべた。
「よかったね~、3人とも同じクラスで」
お人形のようにさらさらとした髪を楽しげに揺らしながら、ありあが美味しそうにご飯を食べている。その事実に幸福を噛み締めながら微笑んでいるのは、3人の中では一番背が高い山里羊だ。ゆるくカールした髪を片手でかき上げ、お弁当のプチトマトを口に運びながら、同じクラスになれたことを嬉しそうに話している。
「ね! でーじすごいことだよね? 小学校から高校までずーっと一緒のクラスなんてさー!」
「こういうのって、先生側が情報共有とかしてあらかじめ決めてるんだよ。だから、完全ランダムってわけじゃないんじゃない?」
はしゃぐありあに大人びた口調で現実的な意見を返し、レタスとハムのサンドイッチにかじり付いたのは波平琉海。2人とは対照的に、短めの髪がボーイッシュな印象を与えている。喜びに水を差されたありあは、つやつやの唇をへの字に曲げた。
「えぇ~、それじゃあちむどんどんしないさ~。わたしとよーとるーるー、3人のつよ~い絆が、偶然に次ぐ偶然を積み重ねてここまできたわけさー! ぜったい!」
「そうだよるーるー。そうやって夢のないことばっか言ってると、背ぇ伸びらんよ」
「身長は関係ないでしょ!?」
3人の中で最も小柄な琉海からのツッコミに、ありあと羊が頬を緩める。天然なありあと何食わぬ顔で冗談を言いがちな羊の前で、琉海がこの役割に収まるのは3人にとっての日常だった。
「校長先生の話、そこそこ長かったね~。あーりー、ちゃんと聞いてた?」
「えへへ、甲子園のこと考えてたさー」
「気が早すぎるよ。あ……それって午後の部活説明会のこと?」
「それもあるけど、ずーっと頭に浮かんでたさー。舞台は甲子園、高校女子野球の決勝が、沖縄の高校同士で実現する日のこと!」
夏の高校女子野球選手権大会は、男子と違って都道府県毎に代表校を決めていない。年々増え続けている出場校は7月になると、大会会場となる兵庫県の球場に集まって、トーナメント形式で勝ち上がっていく。つまり、組み合わせ次第では同じ都道府県同士で優勝を争う可能性もあるのだ。
「先行も後攻も応援歌がハイサイおじさんになったら、絶対楽しいさー!」
ありあが2つ目のポーク玉子おにぎりを食べ始めたところで、琉海が難しそうな表情で食事の手を止めた。
「ところでさ……本気でやるの? 例の計画」
「もちろん本気やさ。興北とか他の高校と違って、わたしたちはいちから部活を作らんといけんさー。なら、このくらいのことはしないといけないわけよ!」
「波高は部活に入るのがルールやから、1年生にまとめてアピールできるいいチャンスやさ。あーりーの好きにしたらいいさ~」
「よー、なんか面白がってない……?」
美波島高校は入学式の日に部活説明会がある。部の魅力を存分にアピールしたい在校生と、3年間の高校生活を左右する選択肢の判断材料を見極めたい新入生。どちらもエネルギーを必要とするからこそ、今のうちにお昼を食べておくのだ。
「何を言うかも昨日の夜に全部考えてきたし……まかちょーけー!」
「野球以外のことで自信満々なあーりー、大体失敗してるイメージしかないからなぁ……」
最後のサンドイッチを食べ終えた琉海が、指先で唇を拭いながら小さなため息をつく。
「最近だと、入学式の日をドヤ顔で間違えてからによ~」
「そ、その話はもういいさー……! ほら、行こ! 体育館!」
琉海に便乗するように、羊も笑ってありあの失敗談を口にする。ありあは気恥ずかしさを誤魔化すように立ち上がって、午後からの部活説明会が行われる体育館へと向かった。
「……以上が、写真部の紹介でした。続きまして……」
写真部のプレゼンが終わると、体育館の電気が消えて暗幕が掛けられた。天文部の部員たちが、せかせかとプロジェクターの準備を進めていく。
「これで最後ねー?」
「そうやったと思うよ~」
暗がりに目が慣れない中で、ありあは体育館のステージ横に貼り出されたプログラムに目を凝らす。羊にもあらためて確認をしたが、これが最後の部活紹介だ。白いスクリーンに映し出されている星々の煌めきと同じくらい、ありあは自分の胸がときめいていくのを感じていた。美波島高校女子野球部の一歩目は、ここから始まる。
「興味のある方はぜひ、入部お待ちしてます……!」
天文部の部長が頭を下げると、ぱちぱちと拍手が起こった。電気が点いて、複数の生徒の手でカーテンが開けられていく。数分ぶりの陽の光に目を細めながら、司会進行を務めていた生徒がマイクの前に立った。
「天文部の紹介でした。以上をもちまして……」
「はいっっっ!!!!!」
勢いよく立ち上がり、左手をピシッと挙げたありあ。力強く天に伸びる一本の樹のような雰囲気の彼女に、体育館にいる全員の注目が集まった。パイプ椅子の間をぬって前に出るなり、ありあは司会の女子生徒の前に立つ。
「あの、ちょっといいですか!」
「へ……?」
許可を待つ前に、ありあは備えつけのマイクをスタンドから外して手に取った。「あー、あー」と、一丁前にボリュームチェックを挟んでから、壇上へと駆け上がり、そして……
「皆さん、こんにちはー!! 1年2組、玉城ありあです!」
予定にない人物からの突然の挨拶に、生徒も教師も動揺しながら目を離せずにいる。「誰……?」「1年?」「なになに?」といった声が、ざわめきとなって浮かんでは消えていく。
「えっと……」
眼下の生徒たちを見渡すなどして、ありあはたっぷりと間を取っていた。ように見えていた。しかし、ありあのことを昔からよく知る琉海と羊には、今のありあがどんな状態にあるか、手に取るように分かってしまったのだ。
「用意してきたって言ってたセリフ……全部飛んだでしょ、あれ」
「ぷっ……ふふっ……」
だから言ったのに、と言わんばかりの表情を浮かべる琉海の横で、羊はその大きな体を小さく丸めて笑いを堪えている。
「あ、あの、誰ですかあなた……? マイク、返してください」
司会進行の女子が、勇気を振り絞った様子で壇上に上がってきた。これが乱入であると判断した教師陣も、なるべく騒ぎにならないように事を収めようと、ゆるやかな歩調でステージの下に集まり始めている。
「言いたいことがあるんです! その、ひとつだけ……!」
残された時間は数秒もない。そう直感したありあは、天井に向けて高々と人差し指を掲げ、輝く瞳を大きく見開いた。
「女子野球部を創ります! 一緒に甲子園に行くさー!!」
キィン、とハウリングの音を残して、ありあの宣言が体育館にこだまする。それを聞いた生徒たちと、ありあを止めるために動き出していた教師たちは皆一様に足を止め、ぽかんとした表情でありあのほうを向いていた。
「……あれ?」
ありあの中では、大喝采と共に応援の声が飛び交うことを予想していたらしかった。しかし体育館は水を打ったような静寂。そのあまりのギャップに、ありあもまた生徒たちと同じように間の抜けた表情になってしまった。
「だから言ったじゃん……無理……あたしまで恥ずい……」
共感性羞恥によって、赤くなってきた顔を両手で覆う琉海。
「あーりー、上等さ~!」
我が子を褒める母親のような眼差しで、ぱちぱちと一人拍手を鳴らす羊。その拍手に釣られて数人からまばらな拍手は起こったものの、次第に体育館はざわざわと騒がしくなり始めた。
「甲子園? え、女子が……?」
「なんか、すごい子だね」
「あの子同じクラスなんだけど……大丈夫かな」
その騒がしさで我に返った司会進行の女子が、今度こそありあに近付いてマイクを取り上げようとした、その時だった。
「ばっかじゃねぇの」
明らかに棘を含んだ男子の一言。敵意のこもった短い罵倒は、ざわついた体育館をもう一度静まらせるには十分だった。
ありあはマイクを握り締めたまま、壇上から声の主を探す。大勢の中からでもすぐに相手が見つかったのは、逃げることなく尖った視線を向けてきていたから。そして何より、周囲から浮くほどに目立つ容姿をしていたからだ。
胸元を全開にした制服と太めのズボン。ブリーチで染めた金髪をスタイリング剤でガチガチのリーゼントに塗り固め、黒いマスクで口元を覆っている。誰がどう見ても分かるほどに不良な彼の周辺は、生徒たちが密集している体育館の中で自然とスペースができていた。
「ばかってなんねー?」
「はーやー、わからんば?」
「あ! もしかして、女子は甲子園に行けないと思ってる? ふっふーん、さては知らんね? 高校の女子硬式野球部も、去年から決勝戦が甲子園で開催されるようになったばーよ!」
ドヤァ、という効果音が鳴りそうな顔で、野次ってきた男子に反論をするありあ。「自分だって最近知ったくせに」という琉海のツッコミは、羊をくすりと笑わせるくらいの小さな声に収まった。
「そういう意味じゃねぇよ。ぽってかすーだな」
ありあの朗らかさが気に食わないと言った様子で、男子が言葉を返す。
「野球は男子がするもんやっし。女子の野球なんて野球やあらん。ばからしい」
その場にいる誰もが、ありあに向けられた感情が嫌悪感であることを感じていた。司会の子はあたふたとしながらもありあからマイクを回収し、教師たちはこれ以上騒ぎが大きくなる前にと、生徒たちを教室に戻るよう促し始めた、まさにその時だった。
「ほっ」
勢いよく壇上から飛び降りたありあが、着地するなり野次った男子の元へと駆け寄っていった。喧嘩が始まってしまう。そう思った生徒は一人や二人ではなかったはずだ。
けれどありあは予想を裏切り、明るく笑ってこう言った。
「なら、わたしと野球で勝負するさー!」
つづく!
